マルセル・ジュノー博士〜被爆地に降りた救護医師
マルセル・ジュノー博士©ICRC
私がこれまで目にしてきたことを、"過去の出来事"として片づけるわけにはいけません。いまだに同じような光景が目の前に広がり、この先はさらに広がっていくでしょう。助けを呼んでいる人たちは数知れず、彼らのその声はあなたに向かっているのです。
Marcel Junod『Warrior without weapons』(1982年)International Committee of the Red Crossより
1945年8月、世界で初めて
核兵器が広島と長崎に投下され、
多くの人々が犠牲となりました
以来、日本は唯一の被爆国として
世界に核兵器の廃絶を訴えてきました。
数万の被爆者を救った医師
昭和20年(1945年)8月9日、広島に続き
長崎にも原爆が投下されたその日、
ジュノー博士は
赤十字国際委員会(ICRC)の
駐日主席代表として来日しました
広島を救った15トンの医薬品
ジュノー博士は広島の惨状に心を痛め
連合軍司令部(GHQ)に詰め寄り救援を要請。
博士の熱意のおかげで
15トンの医薬品が供給されました。
そして9月8日に自らも広島入りし
被害調査に当たるとともに
治療に携わりました
武器を持たない中立の番人 ジュノー博士
広島平和記念館南の緑地帯にあるジュノー顕彰碑©ICRC
ジュノー博士は帰国後
1925年の毒ガス等使用禁止に関する
ジュネーブ議定書と同様に
核兵器に対しても適用することを訴え
広島の原爆の非人道性を訴えました
核兵器の無い世界が訪れますように
ジュノー博士の功績を簡単に紹介しました。
この記事は30分で書いたので
要約記事になってしまいました
時間がある時に
ジュノー博士の記事の続きを書きますね
参考記事