魯迅・劉慈欣の先生
「妄想先生」の稽古がスタートして、教師について考える毎日になりました。
人はたいてい人生の12年は学校に居ますし、16年とかそれ以上、行く人もいます
。一番、吸収力が深い時代に自分に刻まれた思い出とか思い込みとか思いやりとかが、知識以上に情緒面を作っていくんだな、と日々、稽古しながら感じます。チラシにある「笑い皮肉に包まれた人間喜劇!」まさに学校はそういうところですね。
久しぶりに、帰りの電車で、劉慈欣のSF短編集「円」を読んでいました。円は、yenではなく、円周率の話です。どれも面白いというかゲーム的な側面もありつつ、三体ワールドの足湯のような感じで楽しいです。
その中で、「郷村教師」という作品が、すごく沁みました。
21世紀の直前、中国の山間部の僻地で、発展から取り残され、経済至上主義に破滅させられ、無分別に無知に知性から離れてどうしようもなく堕落していく大人から、子どもを教育で守り、知識を与えようと命掛けで小学校を運営する先生。先生は、末期がんと知りながら、お金を自分の治療に使わず、子どもたちの本を買い、最後の瞬間まで血を吐きながら、算数や物理を小学生に教えます。「もう時間がないから、中学校の物理だよ、いいから暗記しなさい!!」と言いながら、夜ごとにチョークで小さな黒板に数式を記すのでした。
ある時、三体世界あたりの異次元な宇宙生命体が現れ、色々あって、地球にどんな生命体がいるのかを調べに来ます。文明を持つ救うべき生命体が存在しないと、その恒星の周辺は、ブラックホールにされます。さて、地球はどうやら生命と文明があるぞ、ということで、地球上の30ポイントがリサーチされます。生命体に投げられる設問の中で、3つ正解があれば殲滅を免れます。たまたま対象として選ばれた場所は、その中国の山奥の小学校で、子どもたちは死にゆく先生から教えられたニュートンの三つの法則に正答して、地球は救われます。
地球外生命体は、地球人類の進化を不思議がり、その文明では世代間の知識の蓄積がほぼ、人の口と耳による授業が、教師という個体によって行われていることに驚嘆するのでした。宇宙人は、既に知性フィールドを超時空間的に共有しているため、そんな非効率的な知識の世代間の受け渡しが文明を創るなんてことにびっくりするわけです。確かに言われてみればそうですね。文明は教師と書物によってつくられたとの言えるのでした。
そして宇宙生命体は、かつて自分たちも信じていた宇宙への夢や希望が、まだこの惑星に残っていることに郷愁を感じて、みんなで歌を歌いながら去っていきます。すでに、黒闇森林と化し生命体同士が殲滅戦を繰返している彼方の宇宙では、宇宙とは猜疑と殺戮の場でしかなかったからです。
先生が死に際に魯迅の「吶喊」を子どもたちに暗唱させるのですが、そこに知性への劉氏の希望を見ます。それと共に、中国社会が経済成長し大国強国になるなか、まるで魯迅時代の不毛な中国が再生産されていることも、また国外の人に感じさせるのでした。魯迅先生は劉氏の大きな核にあるのでしょう。
ここに写させてもらいます。
魯迅『吶喊』より
「例えばひとつの部屋があるとしよう。この部屋にはどこにも窓もなく壊すこともできない。中には熟睡している人が大勢いて、まもなく全員が窒息死する。彼等は昏睡から死に至るので死の苦痛を感じることはない。今もし、あなたが大声をだして彼らに呼びかければ、不幸な少数が目を覚まして現実に直面し、救いようのない臨終の苦しみを味わうことになる。そうなっても、あなたは彼らに対して正しいことをしたと思いますか?」
「しかし、その少数はすでに立ち上がった。だとすれば、この鉄の部屋を壊すという希望がないとは言えまい。」
日本の状態も、これに近いものかもしれないです。中国は理性を保つためには魯迅を必用とする社会なのかもしれません。過去の歴史を伝えてきた宦官たち、殺されながら公文書を記した人たちもまた、中国文明を作った教師なのでした。
魯迅が紹介した「絶望は虚妄であり、それはまた希望も同じ」という言葉がありますが、どちらかというと、やはり希望は虚妄ではないと信じたいものです。
劉氏の作品には、魯迅が良く出てきます。SFを漢字で読むというか、そう書くのか!という部分で、また面白い作品ですし、魯迅という共通の知識や漢字を使う文化圏ならではの共感が溢れるのでした。