川筋男の意地とユートピア | メメントCの世界

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川筋男の意地とユートピア

 

中村哲氏の偉業を知らない人は少ない。

椿組の「まっくらやみ」の稽古をしながら、色々と考えた。

あの偉業は川筋男だからこそできたのだ。

アフガンの義理と人情の世界には、川筋男だから人心を掌握できたのだろうと。

筑豊を訪れた時に色々感じたが、川筋の人の義理とかなんというか筋の通し方は、やはり石炭の気合が入っていると思った。

筑豊の石炭産業がなくなった後に、多くの納屋は土建屋になり、セメント工場になり、資本家は別の産業へと転換していった。

かくいう私も、幼い頃にテキヤの夫婦に預けられていた。というのは母が看護師で土曜も仕事があり、保育園が早く終わってしまうので、その近所に住んでた、母の仕事の知り合いの親戚だか実家?にあたる家にやっかいになっていたのだった。

謎すぎる。

 

しかし、私が小学生低学年の頃には、近所のおばさんが私を預かってくれるけど、そのまま寿司屋のパートに出て、その寿司屋でその家の子と遊んでいたことがあるので、そのおばさんもそうだけど、世間がそれでもよかったのだろう。

寿司屋の裏は川があり土手があって、そこで遊んだり、寿司屋の戻っておいしいお茶を飲んでいた。

大人たちはニコニコしていて、居心地が悪かったことはない。有難いことだ。

熱が出た場合は、母の病院のレントゲン室のあたりに寝ているか、薬剤が詰まれている部屋で寝ていた。

野蛮な時代なのだ。

 

この椿組の芝居に取り組みはじめて、筑豊の古閑さんという歴史好きなおばさんから、どんどん資料が送られてきて、

有難い。関わってくれる積極性と温かさが昔のご近所のようだ。今、女優の望月さんが、セナ担ぎにチャレンジしている。

難しすぎて、どうやってやってたのか、本当にびっくりする。バランス感覚が大変なのだ。

芝居が終わったらまた筑豊へ行きたい。

そして、井手川泰子さんにも会いたいし、お話も伺いたい。

そして、次こそは、どこかで温泉に入りたい。

 

中村氏が、ユンボを運転している姿は、医師であったことよりも鉄の意思と使命感を体現したような姿だった。

あの周りに集まる人は、そこで素晴らしい力を発揮したという。

本当に普通の人間には出来ないことばかりだが、川筋男という話を聞くに及んで、それならば、と腑に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

お芝居は大正炭鉱労働闘争の途中で終わり、森崎さんも谷川雁の革命のその行方を成功したとは書いていない。

しかし、直接に第二組合の闘争を切りまわしていた河野靖好氏は、その労働者による闘争と労働者による自立と自治を描いている。ユートピアは出来つつあったと。

 

『大正炭鉱戦記ー革命に魅せられた魂たち』

大正行動隊という第二組合が、炭労の考える斜め45度くらいの上を戦っていく話です。

それはまた、川筋男のとんでもなさとか、規格を大きく外れた凄さにびっくりします。

 

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ユートピアはなくて作るもので、中村さんは、ユートピアを作ったのかな、とつくづく思いました。

谷川雁がどうこうというより、中村さんの様々なバックボーンに積まれたものが、彼をしてアフガンの地に

ユートピアを作ったのでしょう。でもそれを維持するのは、その後の人です。

 

戦争ばかりの世界の中で、これほどすごい偉業はないと思う。

武器を捨てて井戸をほり、農地を耕そう。

 

私の好きなオペラキャンディードの、最後の壮大なナンバーは、Make our garden grow 庭を育てよう、耕そうと呼び掛ける。

下へ、下へ、根へ、根へ。降りていくしかないのだ。