パレツキーに愛をこめて。そして青鞜じゃなくてレッド・ストッキング | メメントCの世界

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パレツキーに愛をこめて。そして青鞜じゃなくてレッド・ストッキング

 

ワーニャおばさん! 残り3ステージとなりました。

兎に角!お見逃しなく!

駒塚さんはじめ、実力派の錚々たる女優が大活躍です。以下、ネタバレです。

 

 

アメリカを舞台にしました、というと翻訳劇からとおまわれますが、オリジナルのストーリーです。

女性がすったもんだしながら成長していきます。

私の作品では異色ですが、いつかこんな作品を、ジョン・アーヴィングとサラ・パレツキーの様な話を舞台でやりたいと思っていました。それが、今回実現し、ついに私のヴィクトリアというキャラクターが生身の女優さんになって現れました。

そう、ヴィクといえば、女探偵・ヴィクトリア・ウォーショースキーですよ。


 

サラ・パレツキーがシカゴを舞台に描く女探偵の活劇は、30年近いコアなファンがいるアメリカの探偵小説です。

私は、ヴィクが50になる頃に、30代になり、もうヴィクと同じ様な年齢になっています。

駒さんはかなり、ヴィクに似ている所があります。もっともヴィクの方が用心深いかもしれないけど。

シカゴの町は物騒だから、自分で描くには手ごわいので、実際に自分が滞在したことのある、ロサンジェルスのセンチュリーシティを、舞台にしたんです。

あそこには、芝生とホテルとチョッピングモールと劇場、撮影所関係、そしてビバリーヒルズ・ハイスクールがあるという、おめでたい町なのです。

 

 

私の年代では、パレツキーの影響を受けた人がとても多いと思います。

孤独で男に依存しない、でも御洒落で無鉄砲な女探偵。そのつっぱる意思の強さや、男なんかふんづけて先に進むけど

恋愛も捨てないヴィクが大好きでした。そして、必ず痛い目に合うけど、報われる。

フェミニストで、ヒューマニストの女探偵は、ピストルもぶっ放すし、格闘もします。

巨悪を小さい糸口から探って暴き、大きな犯罪や会社の不正をただします。そして本人はかなり、酷い目にあう。

ああ、それなのに、ヴィクトリアはシカゴの街で悪と戦い続けるのでした。

 

私の物語、「ワーニャおばさん!」では、ヴィクトリアは女優。そして無鉄砲さは変わらないけど、とにかくポジティブで楽観的。そして物語と現実は、稽古をしている間にどんどんどんどん距離を縮めていったんです。

そして、私の物語のヒロインは、コルテス医師です。

シカゴと言えばERですね。わはは

でも、NYのコロナ病棟で消耗したコルテス先生は、まさに、アーストロフ先生なのです。

写真は、私が大好きな夜の病棟のシーン。

田岡さん演じるホームレスになった元女性活動家と、女医が夜の病棟で過去の女性解放について語り合います。

田岡さん演じるローレンスは、かつて「ジェーン」と呼ばれた堕胎を請け負った地下組織の女でした。

やっぱり、ジェーンもシカゴを本拠地として活動しました。

インテリではない女性たち、労働者階級で看護助手などをしていた女性が、男性医師のする堕胎の方法を身に着けて、

当時、望まない妊娠をした女性たちに、堕胎の手助けをしたのです。

レッド・ストッキングズとは、NYの過激な女達と呼ばれた活動家たち。

文藝でフェミニズムを訴えるブルーストッキングズ(青鞜)の向こうをはってレッド・ストッキングズを名乗りました。女性の権利や男女平等を訴えて、ダイレクトアクションを実行したのです。
 

 

そして、ジェシカはエコロジー・フェミニズムの研究者です。

一体、誰がモデルなのか??

モデルは、最初、上野千鶴子さんにしようかと思っていたのですが、彼女はエコ・フェミには反対の立場をとりましたね。

結局のところ、モデルはいません。

でも、議論を徹底的に突き詰めるジェシカの役割は、稽古の時にあらゆる疑問をぶつけてくれる加奈子さんそのものでもありました。

 

 

堕胎の話といえば、ジョン・アーヴィングの小説群です。

昔、会社に勤めていた頃に、私は「サイダー・ハウス・ルール」に大きな影響を受けました。

彼の小説は愛読書でもあり一時期、私のバイブルでした。いつもアーヴィングは信仰と生殖とリプロダクティブ・ライツと呼ばれる様々な女性の権利を小説のまな板に載せます。

サイダーハウスの主人公は、神の手と悪魔の手を持って、恋人や息子の恋人の命を救います。

日本の社会では容認されているようで、議論は深まっているとは思えないのが人口妊娠中絶の問題です。

命に対する倫理と男性側の責任が置き去りにされたまま、女性の責任だけが増え続けていると私は感じます。

 

ジェーンの人たちについては、ドキュメンタリー映画もあります。

そして、1973年中絶の権利を訴えた原告であった女性の変節についても、本が出版されています。

最初は中絶問題のジャンヌダルクと呼ばれた女性が、後にキリスト教の教えを重要とし自分のとった行動を

否定する発言をしていますので、何が彼女にとって必要だったのかははたから見ると、裁判の勝利ではなく、目の前の救済だったのでしょう。

裁判に時間が掛かり過ぎて、結局は子供を産んでしまったのが真実なんです。

人はずっと同じ考えや立場ではありません。

固定化するのは他者からの一つの暴力ではないかとも思います。

 

 

脚本の執筆と稽古で、いろんな人の意見を取り入れつつ、最初に描きたかった私のヴィクトリアの物語は一応の完結を見ました。

舞台上で女優が演じれば、それはまた生身の人間の要素が入り、拡大したキャラクターになります。

是非、劇場で彼女達の生き様を見てください。