女新聞記者(管野須賀子)の命日
1月25日は管野須賀子さんの死刑が執行された日です。
彼女のことを沢山の人が書いていますし、御芝居も沢山あります。
それだけ、引き寄せられる魅力にあふれた人なのでしょうね。
彼女が、不遇な少女時代と文筆で身を立てるべく、奮起して女性の新聞記者になったことも様々な評伝で読むことが出来ます。
彼女の文章は今のSNSの雰囲気と似ているように思いました。
ちょっとひねりがあって、気取っていて、背伸びをしているようで、時折はさまれる柔らかな表現がアンバランスです。
大阪中央区の天満にある教会で受洗しクリスチャンであったのですが、アルバイトで天理教の「みちのとも」にも原稿を書いていました。
どちらも人助けが教義の中で重要なので、彼女の正義感や不遇な人への目線を感じます。
と言う一方、正義感を振り回して、万博の賑やかしの芸者をこき下ろしています。
醜婦業と芸者を貶めているので、その頃はまだキリスト教の価値観のお仕着せで、その女性たちの苦悩は見えていないようです。
彼女が大阪から、和歌山の田辺にある牟婁新報の編集代理に赴任したのは、平民新聞の堺の紹介でした。
運命のいたずらと紐の絡まり方に驚くばかりです。
そこで出会った若い若い新聞青年、いやいや少年みたいな荒畑寒村と恋に落ちます。
「恋と革命」は彼女の代名詞でもありますが、私には男性不信と男性依存からの脱却の途中で、自立と自由を勝ち取れなかった部分が
とても悲しく感じます。幸徳秋水は思想家としては評価されるべきですが、どうにも好きになれないのは、出版の度に発禁処分となる平民社を、か細い腕と病身で支え続けた管野須賀子の献身が、時々、やりがい搾取に思えてしまうからです。
発禁の罰金が払えない代わりに、彼女が監獄へ行く。
それで平民社が少々、生き永らえる。思想弾圧の中でそれを繰返していくことの勇気は感服です。
劇団なんて、赤字が出るだけでしゅんとなって、次年度はバイトするしかなくなります。
コロナになって、平民社の気持ちがよく分かりました。やばい一線を越えても「自由思想」を出版した彼女は、結局のところ、どんな将来像を描いていたのだろうか?
何となく、秋水に尽くすことで消耗されつくした感が否めないのです。
彼女の才能は、本来もっと評価されるべきなのに。
新聞記者として活躍した和歌山で、公娼制度に反対してバンバン、あじっていた彼女は素敵でした。
セクハラも告発し、権力にも真正面から対決する、牟婁新報の女新聞記者は絶大な人気を誇った、そうです。
そのままでいてほしかったよ、須賀子さん。
伊藤野枝にもそう感じます。
大杉栄なんかに夢中になって。いずれは離別しただろうに、別れておけば殺されないで、もっと大成しただろうに。
もっとも彼女の子育てを助けてくれる乳母か、経済力が沢山いないと、彼女は活躍できなかったでしょう。
そうなんですよ、与謝野晶子みたいにいっぱい産んでも、下女やら親戚やらのお陰で彼女は、子どもおいてシベリア鉄道でパリの夫の所へ行けるんですね。
恋と革命にはもううんざりします。
神近市子が、大杉栄を日陰茶屋で刺し、戦後に政治家になって長い寿命分の再生を果たせたのと対照的だと思います。
何をオバサンが言ってんだ!と思っているかた、恋というのは短期でおわるんですよ。でも革命と言う道は長いのです。
恋っていう周期で革命やってたんじゃ、できるわけないだろうというのが、私の持論です。
つまりは、恋は革命の邪魔です。ロマンで終わっちゃうなんて革命じゃないっすよ。
何を言いたいかというと、彼女の追悼も気分で終わってしまってはいけないと思うのです。
なぜ、彼女達は失敗したのか?
後世の私たちはよく学ぶ必要がある。
恋と革命に騙されるなと。