婀の会パンフレットより | メメントCの世界

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演劇ユニット「メメントC」の活動・公演情報をお知らせしています。

婀の会パンフレットより

28日19時より、観劇三昧で映像配信が始まります。パンフレットに寄せた作者の文章です。

 

明治の娘義太夫

今回のテーマは娘義太夫ということで、竹本綾之助を語り芝居として書きおろしました。

前回の「いろは大王」に続いて明治時代が舞台です。綾之助に関する本は松井今朝子さんの著書を始め、沢山あります。長谷川時雨の画く『竹本綾之助』は、芸能界で活躍しただけでなく、引退後も主婦となり三人の娘を育て上げる天晴な母親です。まるで山口百恵のような良妻賢母ながら、結婚から十年後に高座に復活するという正にハッピーエンド、理想の姿で出来過ぎな感じもします。

 今回の執筆は、加丸入登著『竹本綾之助艶物語』に多くを助けられました。その綾之助は、また違った印象です。多分に脚色が入っているこの面白可笑しい『艶物語』ですが、娘義太夫の厳しい世界が垣間見えます。綾之助談として伝わる本人の復帰にむけての心意気などは、覚悟のほどが伝わり背筋が伸びるようです。子ども時代に学校にも行かず、義太夫節によって育ったということですが、綾之助の自由闊達な雰囲気と、男前な気性は、ひょっとしたら、江戸の女性が持っていたしなやかな強さかもしれません。

 私は義太夫に関しては不勉強だったので、駒之助先生のCDを聞きながら、専ら、杉山其の日庵著『義太夫素人講釈』をとても面白く読みました。そこに現れる名人の言葉には「語る」という芸の奥深さや苦労が、太夫の言葉そのままに鮮やかに記されています。明治時代、女性が自分の人生を自分で切り開きひたむきに生きる姿を、女形の林さんが演じることで、コロナ時代の女性に大きなエネルギーを与えてくれることと思います。また邦楽でミュージカル仕立にして頂くなど、婀の会ならではの楽しい作品となりました。困難な時代ほど、生の舞台の声や息遣いが人生の潤いです。本日は厳しい状況の中、ご観劇頂き誠にありがとうございます。お楽しみ下さいませ。

 

引用文献

『竹本綾之助艶物語』 加丸入登 編 出版者 三芳屋

『竹本綾之助』         長谷川時雨 著

『浄瑠璃素人講釈』  杉山其日庵 著 岩波文庫

『知られざる芸能史娘義太夫』 水野悠子 著 中公新書

 

参考文献

『星と輝き花と咲き 松井今朝子』 講談社

『縁のはし 高岡宣之』

『素女物語 守美雄 蒼林社』

 

 

 

女芸人の興隆・娘義太夫の時代

 貞享元年(1684年)竹本義太夫が道頓堀にて、人形芝居の興行を成功させてから五十年後に、竹本新太夫(豊竹肥前掾)が江戸に義太夫節を伝えたとされています。その後、女性による義太夫語りが生まれ、江戸時代の後期・宝暦年間にすでに女性が浄瑠璃を語ったという記録があります。ところが文化二年には全面禁止。天保の改革の時代には、寄席が禁止され、芸人が召し取られるなど、極端な芸能弾圧が起きます。幕府の財政が逼迫するなか、庶民の贅沢や楽しみが最初に奪われました。

 そして明治維新となり、明治十年以降に寄席取締規則が制定された頃を契機に一気に娘義太夫は開化します。女義の歴史では京枝(きょうし)、東玉(とうぎょく)、綾之助の三人を女義中興の祖と呼んでいます。京枝は名古屋から、東玉は大阪から上京した実力派の大物。そこへ彗星のごとく現れたのが綾之助。(水野悠子著 『知られざる芸能史 娘義太夫』より)

 

 この様な娘義太夫の大流行は、男女問わず、あらゆる階層に受け入れられました。夏目漱石や沢山の文化人が娘義太夫について書き残し、樋口一葉などは借金をするほどお金に困っても、浄瑠璃を聞きに行ったことが日記に残っています。誰でも行ける寄席が人々の娯楽の中心であった時代、日本の芸能を庶民が最も楽しんだ時代、そんな明治に咲いた花が娘義太夫だったのです。

 

嶽本あゆ美(だけもとあゆみ)

脚本家・演出家 メメントC代表。武蔵野音楽大学卒業 日本劇作家協会会員2016年より堅田喜三代の邦楽で、「彼の僧の娘―高代書」を創作。以来、「パターチャーラー」「韋提希」などを上演している。

日本劇作家協会新人戯曲賞や文化庁優秀賞などを受賞。主な作品「太平洋食堂」

2021年は11月に劇団BDP「リアの食卓」(あうるすぽっと)12月にメメントC公演「私の心にそっと触れて」(新宿スターフィールド)を上演予定。