夏の終わり
8月がもうすぐ終わる。
2020年から、時間の流れが違い過ぎるので、すぐに去年はこうだった、ああだった、と反芻することになる。
去年の8月の終わりは、太平洋食堂の予備稽古を初めていて、その他にもあちこち、ミュージカル指導に走り回っていた。
去年の八月は、まだこれほどコロナが酷くなるとは思えなかったし、その時が最悪だといつも思っていた。
やはり、奈落と言うのは奈落だけあって、際限がないのだ。
去年の八月、まだ何と言うか自分の注意で感染症は何とかなるのでは、と思って検査をし、アルコールで消毒しまくった。
お陰で、私の周りでは罹患者は極端に少なくて、どれほどニュースが感染者の増加を叫んでもそれほど怖くはなかった。
今回、9月1,2日の婀の会はそうはいかず、9月1日の公演は中止になり、出演者は交代します。
これも仕方ないし、公演ができるだけ凄いことかもしれません。
私たちの業界は稽古がなければ良いものが作れないので、コロナの状況が続けばよいものが作りにくい。
言い訳ではなく、稽古を続ける熱意が、感染症対策でボロボロになるから、本当に熱量がないと、舞台の幕が開けられない。
昔、ロングラン公演についていたころは、ラーメン屋さんのように、毎日おいしいラーメンが出せるかどうか?毎日、お客さんが、
ショーを見て満足して帰っていかれるか、命掛けだった。
そんなことに命かけてどうすんだ!?と、他の職業の人からは思われたけれども、自分の選んだことを必死でやることで、
その芸術の価値を信じていた。
大平洋食堂の脚本を書き始めていた時、きっとこの作品は面白いし、沢山の人に受け入れられるに違い無いと思った。
しかし、難産で、私の思う舞台を解ってくれる人はなかなか居なかった。
大石誠之助たちが、愛おしく、その世界を21世紀の現代に立ち上げたくてたまらなかった。
メメントのメンバー、青年劇場の福山さんらがそういう私の背中を支えてくれて、本当に上演するのだという決心を固めてくれた。
演出家が決まり、メインキャストが決まり、幕を開けるだけで精一杯だった2013年、舞台はようやく他人に受け入れられた。
それまで、脚本を読んでもなかなか他人には分ってもらえなかった。
戯曲というものは特殊な文章なので、三次元になってようやく、他人が分かる。
料理のレシピのようで、美味しいかどうかは、出来てようやく解るのだ。
そうやって上演、2015年の再演が沢山の人に支えられて成し遂げられ、2020年に最終上演をした。
やっている間に、嬉しいとか感動とかいう気持ちはゼロだった。
なぜなら、最後の日まで本当に上演ができるかどうか分からないからだ。
そして、本番のライブ配信も、できた。
映像化にはこの作品を面白いと信じてくれる映像担当の方が、全ての上演回を撮り続けて一日で4テラに達するデータ量を
さばいてくれたので、編集を仕上げることができた。
結局のところ、台本や作品を信じてくれる人が居なければ何も生まれない。
門真国際の最終審査に残って、本当に嬉しい。
もちろん、舞台は生が一番だ。
しかし、私が面白いに違い無いと思って書いていた脚本が、映像として固定化され、全く関係ない人たちに
評価されたことは、やはり12年前に「大石誠之助は最高!」と思った自分を信じ続けたからここまでこれたように思う。
大きなスクリーンで映像を観てみたいし、それを観た人が「大石誠之助、最高!」と思ってほしい
沢山の人に助けられた。人間は、他人に助けられると自分を信じられるようになる。
そういうわけで、信じ続けることが出来たのは、助けられ続けたせいだろう。
関わった人で亡くなった方も少なくない。
コロナになって、亡くなってもすぐに分からないでお葬式に行けなかった人もいる。
だから私は助けてもらったことで自分をもっと信じて前に進みたい。
昨今の、アフガニスタンのカブール陥落をテレビやネットで見ていると、何度でも奈落に落ちるのだとよくわかる
そして、今、国の中でコロナで見捨てられていく人や職業や沢山のことは、関係無い人には、アフガンやミャンマーのことと
変わらない位、遠いのだと思う。
余裕が無さ過ぎて、先行きが見えなさ過ぎて、シャッターが下りて行くのだ。
どうして、難民の女性が酷い虐待をうけても法律違反ではないのか?
女性の負担や差別は他の差別よりも後回しになるのか?
学校の授業がどんどん減って、教育が満足に機能しないのか?
若い人のことはどうでもいいのか?
うちに、学校からパソコン端末が来たけど、遠隔授業は始まらない。
学校がしまって塾がしまって、勉強に集中できる場所がないと子供がいう。
我家の住宅事情のせいで私も、原稿に集中できる場所は、暑すぎて今はない。
私はワクチンをまだうてないが順番を並んでまつしかない。
8月中に、12月公演の『私の心にそっと触れて』も何とか書き上げた。
自分の頭の中にある、ドラマが動き出すのが待ち遠しい。
そういう事ができるというのは、とても幸福で有難いことなのだった。