キジバトとドバトとウルトラマン
今年になってから、我が狭いマンションのベランダで、朝になるとドバトが、ムームームー・・・デデッデデッデデ・・・とシンコペーションに鳴きます。低音のくせに、リズムの切れがいいのがドバト。実家の庭の樹木にもよく、ドバトやキジバトが巣をつくっていました。
もうちょっとゆっくり寝たくても、鳩の奴がシンコペーションを始めるので、頭の中でそのリズムが跳ねだすと寝てはいられないのです。
鳩はうるさいのです。うるさいけど、そいつが鳴くと日常がまた緩慢に来たことを脳細胞がシンコペーションに反応して、ルーチンな一日を始めます。多分ですが、その鳩は雌ではないだろうか。
「韋提希」の映像編集しながら、女の人は、男だったらしなくていい苦労をこんなにしているのだなあ、と肩こりが増します。
女の人というより、家族の中で奉仕者にならざるをえなかった女性といいますか。
通夜のシーンで、嫁さんが場をつなごうとして一生懸命、義母の気持ちを汲んだり夫をかばったりします。
穏便になだらかに、モデラートに、その空気を宥めたいのに、通夜の夜は静かな思い出のぶったぎりの応酬へと変わっていくのです。
比較的、よく交わったと思う親戚や友人の葬儀は、清々しています。だって、それ以上に弔問のしようがないから。
そしてその人が生き切ったと思えれば、明るく送り出したいと思うものです。
知人の中には、コロナもあり、入院したまま、自宅療養のまま亡くなったとあとから聞く人も増えました。
そういう時、安らかになってよかったのだ、いい思い出しかなくてよかった、と思う様にしてます。
劇中で、「死んだらどこへいくの?」と観世葉子さんがふんする母が息子に聞きます。
息子
「ここじゃないどこか。」
S: Not here, it seems.
母
あの人ほら、昔、大蔵省だったか、かなり悪いことしてた人・・・
地獄へ行ったのかしら?
M: What about that person – remember, he worked somewhere like the Ministry of Finance and did quite bad things… maybe he’s gone to Hell.
息子
さあね。
S: Maybe.
母
ねえ、お父さんは・・・悪い人間じゃないからきっと地獄じゃないわ。
M: You know, your father wasn’t a bad person. So surely he’s not in Hell.
息子
「答えはない」
S: There’s no answer to that.
そう、答えはないのです。どこかに行くのかな?と思ってる人がほとんどでしょうが、死んでみなければわかりません。
これを、ロト6みたいに、どこか行くところがあったら御報せしてくれた方に1億円!とかになったら、様子が解るのではないか?と
考えてこともありますが、どんなに良い?人も悪い人も、五十歩百歩で、消えてなくなるのかなとも思います。
4月に、能の「求塚」を観ました。ウナイ乙女という、いたいけな美少女が、二人の男性に求婚されて、選べないので、
河のオシドリを先に射た方と結婚すると言い出すも、やはり選べなくて自ら死んで、男性も殺し合い、一同揃って地獄へ落ちます。
ウナイ乙女は、「なんで私がこんな目に~~~~!!」と諸国一見のワキの僧侶に嘆くのですが・・・・地獄の業火に焼かれる毎日。
かわいいものです。
沢山人を殺した人も良い行いをした人も、結局のところは死んでみなければわからないので、それについて考える人間というのは、
毎日、明滅する燈のように死んだり生まれたりする蚊とかプランクトンとかと大して違わないように思えてきました。
ちょっと前から、筑豊の炭鉱のことを読み始めていて、私は男性の作家よりも、森崎和江など女性作家を中心に読んでいました。それで、上野英信の奥さんの晴子さんが書いた「キジバトの記」を読んで、世の中にはすごい女性がいるものだと、希望が湧いてきました。
上野英信は、筑豊文庫の主で、そのヤマの世界を知らしめた人です。
筑豊だけでなく、「眉屋私記」という沖縄の炭鉱夫、その家族の流転のドキュメンタリーを書きました。彼にその材料を提供したのは、三木健氏そして、なんとそこで、あの「緑の牢獄」にもつながりました。黄インイク監督「緑の牢獄」の歴史問題の顧問をされている三木氏は、沖縄や南西諸島の炭鉱を研究した第一人者です。「沖縄・西表炭鉱史」をはじめ、沖縄の戦後だけでなく明治からの炭鉱について数々の著作があります。私はミーハーなので、黄監督の作品をポレポレで観なければ、そこが繋がってることにも気づきませんでした。
まあ、男性の世界はおいといて、上野英信という人の奥さんは、これまたすごい人だったと、上野晴子『キジバトの記』で、知りました。
それは、筑豊文庫を台所から見た30年です。森崎和江の流麗な迸るような文学性とか活動の対極にあるものかもしれませんが、その観察眼の凄さに驚くばかりなのです。
『彼の女性観はあまりにも偏っていた。何ものにもとらわれぬ進歩的な思想の持ち主でありながら、女性に対する部分だけがまるで凍結したように古典的であり続けた背景には、彼の生まれた長州の風土と専制君主的な父を持つ家庭と、彼を庇護した著名な明治の文人と、旧日本帝国陸軍の影が巖として存在している。ー中略ー また、女性を「奉仕する者」としてあくまで男性の下位に置くことは、彼にとっては思想というよりも「好み」の問題であった。それゆえに尚度し難いのである。』
奥さんである晴子さんは、このような夫の旧式な部分と理想の部分のギャップ、外面の良さと家庭内でのカースト、支配を、作家英信を俯瞰することで、生き延びたとあります。そしてその専制君主の英信の生涯の仕事を守護しつづけたのです。
『いま思い返してもあれは教育ではなく調教である。』
こういう言葉に打ちのめされながらも、日々の主婦業を苦労してこなしながらも、その怜悧の精神を歪められずいられたものは、客観的な英信の著述の仕事への尊敬だったとあります。そして、その主が亡くなった後に、30年間のことが文字になったのは、彼女の精神の強さと健康さがそれをさせたのではないかと思います。ここまで戦いあえばお互いに本望というものではないでしょうか。
そして伝説のように英信を祀り上げる人びとについても、その素朴なキジバトの目は容赦がない。それは結局のところ、そこに関わりあった全ての人に誠実だからこそだろう・・・・と、自ら癌に侵された身体で晴子氏が決められたことなのでしょう。
筑豊文庫の看板を上げた1965年に、上野英信が気負って書いたという宣言文はどこか、西光万吉の「水平社宣言」のようでもあります。
福岡県直方市立図書館内に再現された筑豊文庫の大きな木のテーブルは、そこに集ったツワモノたちの熱と汗と酒とツバキを立ち上がらせているような雰囲気です。コロナ禍の昨年の7月にオープン。行ってみたい場所がどんどん増えます。
余談ながら、私が筑豊の炭鉱について語ってくれた身近な人は、女優の井出みなこさんです。
井出さんが、アルツハイマーの病をおして、ウルトラマン映画の撮影のために、筑豊へ行った時に、そのロケの間のこと、
夜中に宿舎から迷い出てぼた山を見上げたことを映像の様に語ってくれました。
なぜあれほどまでに、活き活きとその筑豊の風景を持ち返ってくれたのか?
彼女のその頃の病状を考えるとあり得ないことばかりです。
しかし、彼女は度々に、目に映った世界を記憶して語ってくれたものです。
劇場公開されたウルトラマンゼロを幼い息子たちと観に行った私は、異星人の攻撃をぼた山で受けて逃げまどい、画面いっぱいのクローズアップの井出さんの苦悶の表情にひたすらブラボー喝采し、その映像が伝える筑豊の様子が、彼女の語りそのままに未来永劫、ウルトラマン映画として残ることに嬉しくなったのでした。
- ウルトラのばぁちゃんを演じた井出さん、こんな役柄の説明がありました。
- ランとナオの祖母。レギオノイドに襲われた際も逃げずに立ち塞がった、気丈な人物である。
私には筑豊というと、その彼女のことを思い出すのが最初の反射としてあり、上野晴子『キジバトの記」の晴子さんの風情も、やはり、
その井出さんに重なるのでした。