貞末麻哉子監督「普通に死ぬ」
全国で貞末監督の「普通に死ぬ」が上演されています。
今週末6/5(土)より一週間、
名古屋シネマスコーレにてアンコールロードショーです!
舞台挨拶は 6/5・6/6・6/8・6/9・6/11
リモートにてさせていただきます。
2021年6月5日(土)~6月11日(金)
名古屋シネマスコーレ<アンコールロードショー>
全日 10:20 -12:25
2021年7月3日(土)~7月9日(金)
神戸元町映画館
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■「普通に死ぬ~いのちの自立~」
予告編:https://youtu.be/iF_aqRrSekY
Newダイジェスト版: https://youtu.be/zzCdgvmK3To
公式サイト:http://www.motherbird.net/~ikiru2
facebookページ:https://www.facebook.com/futuu.ni.sinu/
HPから転載致します。
『続編となる本作 『普通に死ぬ~いのちの自立~』 は、前作 『普通に生きる~自立をめざして~』 から8年、グループホームの開所や、設立十年 を迎えて次第に変わりゆく運営方針や、3つ目 の事業所建設という流れの中で、年齢を重ねて ゆく本人とその家族を撮影しました。その途中、「医療的ケア」を必要とする人の、在宅生活の中心的ケアラーであった母親が病に倒れます。残された子の母亡き後の地域生活・・・そこには厳しい現実がありました。
なぜ、 医療的ケアが必要だと、「地域で生ききる」こと が難しいのか。なぜこの人たちの生活や人生を 社会が障害する ことになってしまうのか・・・。
映画は厳しい現実を見据えつつ、後半、家族と 支援者、医療者の葛藤や気付きを物語の軸に、 兵庫県へと、希望を探して旅に出ます。そこには、伊丹市で<しぇあーど>を率いる 李国本修慈さんと、西宮市で<青葉園>を率いる 清水明彦さんらの重ねてきた地道な活動があり ました。軽快でしなやかで、しかしとても強かに 人生を賭けて、真正面から繰り広げられている 「一緒に生き合う」取り組みがありました。』
製作 : マザーバード ・ Cinema Sound Works/著作・配給 : マザーバード
私は横浜シネマリンの上演にかけこみました、6月4日までですが、全国各地でこの後も上映が続きます。
私のネタバレ感想です。
「衝撃的だった。衝撃というのは、ほぼ諦めていたことが、その映画の中ではエネルギーをもって行われていたから。
大抵の場合、介護状態になると諦める方が早かったりする。それは高齢者だし、もう人生はほとんどおわったようなものだったりするし、その人らしく過ごすっていうのは、よほど家族が気にかけない限り、難しいこと。
私も要介護4の父のケアについて、少し、ケアマネさんと議論したら、「あの娘さんは怖い」と言われて、担当者が変わってしまったことがある。それは、父の車椅子での玄関の出入りに、重いスロープをいちいち使っていたら、母が腰を悪くしてしまったからだった。
私にしてみれば、例えば車椅子の動線とか、スロープの角度とか、当たり前に三次元になったら、無理なことを、無理ですよ、と
お願いしていただけだった。
でも、ケアマネさんだからといって、トイレの扉と動線の角度の矛盾とか、段差のことまで、解決できるわけではないのだ。
でも、一度、リフォームしたら出来ないままに、放置されるのはたまらないので、私は「その角度は間違ってます」と指摘してしまったことがある。
結局、担当者が変わり、私の主張したことが正しいことが証明された。
そして、交代した次のケアマネさんは、なんと、父自身の力で、玄関の段差を乗り越えて歩くという奇跡をおこしてくれた。
あり得ない!ことが、ケアマネさんが変わったら起きたので、私は本当にその時に、心の底からびっくりした。
というような経験があった私は、貞末監督のドキュメンタリーを見ていて、人が生きることに物凄い心と力を注いでいる人たちを知り、
世の中ってすごいなあと救われたのだった。
この映画に出て来る重度身障の方たちのご家族は、親である自分が亡くなった後に、この子を残していけるだろうか?と案じ、子どもらに幸せに生きてほしいという願いによって、不可能を次々と可能にしていく。
静岡県の富士市と富士宮市で、ケアホーム(グループホーム)を立ち上げた家族たち。市会議員さんもいれば、普通の人もいる。先を先を考えていく前向きで建設的な人々。そこの施設長さんや看護師さん、介護士さんが、入所してくる人、病院に入院になっちゃう人について、また病者の家族が、どうしたらその人が安らいで生きられるかを、壮絶なというほど真剣にディスカッションするシーンがあった。
ものすごく感動というか、心が揺り動かされた。だってそんな風に心配して、病者のことを考える事なんて、もう諦めていたことだから。
患者に医療行為ができるのは、看護師と家族だけ。
私も経験があるが、痰の吸引や胃ろう、インシュリン注射、そういうことは当たり前にやるもんだと思ってたら、そうではなかった。
やる家族がいなければ、入院や入所するしかなかったりする。
思い障害の子のお母さんたちの命懸けの看病とか、そういう犠牲精神とか普通に思ってもいけないとおもう。
よく、保育園とか幼稚園とかで痰の吸引ができないから、来ちゃだめ、って言われる子供がいるけど、リスクを負いたくない施設は
未来永劫、受け入れられないだろう。
映画の中の、富士の人たちは、出来ないことを乗り越えて、行政や医療を動かしていく。我が子の為だけど、それが全ての身障者の人の
自立的な生き方に繋がっていった。そこは観てほしい。だって、重度の身障者ってのは、そう生まれた人だけじゃなくて、老いていく私達、
全員のことだ。アルツハイマーで日常生活が出来なくなる人も沢山みた。それでも、どうやって生きていくのか?
病院のシーンで、母親が入院したために、居場所が変わり泣き叫ぶ男性がいた。その人は、つらくて寂しくて泣いていた。
でも、仕方ないから薬で鎮静させられていった。そういうことは当たり前のようにされている。なきさけぶこと、悲しむことを禁じられる病院は
ものすごくたくさんいるのだろう。私もきっと、あなたも、年を取ってぼけて、不安になって堪らなくなっても、薬で嘆くこともできなくなるかもしれない。そのために、自立したい。泣きたい時に泣くために。
https://www.dinf.ne.jp/.../jsrd/norma/n194/n194_022.html
西宮の青葉園という重症心身障害の施設が、また異次元にすごかった。
人の命によりそうって、簡単に言うけど、その寄り添い方が半端じゃない。もう命の尊重って、こういうことね、と。もう言葉だけの「命が、命が、なんちゃら」とかスローガンみたいなのは詭弁だ。
命が漲ってる場所。人の尊厳とは何か、地面にたたきつけられた。
究極の愛だなあ、と思う。
福祉って自治体で違いすぎる。福井県では介護がつらくて、義理の両親と夫を殺した妻がいた。
辛い、無理だ、と言える社会がそこにはなかったのだ。嘆くことを禁じられたからだ。
田舎へ行けばいくほど、病気は隠される。
田んぼが美しく山には緑がしたたっていても、病気は許されないのだ。なぜなのか?
病で酷い目にあったら、別の町へ逃げよう。
きっとどこかに生きられる場所はあるはずだ。
貞末監督、ありがとうございました。