明治百五十年異聞『太平洋食堂』『彼の僧の娘』パンフレットより3 2020年のパンフレットは、 | メメントCの世界

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明治百五十年異聞『太平洋食堂』『彼の僧の娘』パンフレットより 3

2020年のパンフレットは、これまでの上演でお寄せ頂いた文章を再掲致しました。

 

2015年パンフレットより

 

 『通りすがりの教え子として〜西村伊作先生のこと〜』 ・・・ 阿藤智恵

 

 文化学院で、少しの間、教えていました。『太平洋食堂』の主人公、大石誠之助の甥で、ひょうひょうとした青年として登場する西村伊作を、呼び捨てにできず「先生」と呼んでしまうのは、学院での短い期間の体験からです。

 

 劇中でも、その自由人ぶりが際立っている伊作は、長じて文化学院という風変わりな学校を作ります。大阪生まれ大阪育ちで、このすてきな学校のことを何一つ知らなかったわたしが、どういうわけか、あのアーチをくぐって4年間の学院通い。学院の長い歴史の中で訪れたいくつかの転機のうち、特に大きなものとして数えられることになりそうな転換期を、学生たちと芝居を作って過ごしました。最後の卒業公演では、ひそかに伊作先生を劇中に。先生の本を何度も何度も読み返しながら芝居を作っている間に、伊作先生の薫陶を受けた教え子であるかのような気分に染まりました。公演の打ち上げでは学生たちより自分の卒業がうれしくて笑いが止まりませんでした。学院での日々が嫌なことばっかりだったというわけじゃありません。伊作先生の不思議な楽観主義にわたしも満たされて、未来はよくなる、と信じることができたからだと思います。

 

 短い学院生活の「卒業証書」のように、いただいてきた2冊の伊作先生の本。ひとつは、先生の自伝『我に益あり』、もうひとつは、なくなったあとに編纂された、断片的なことばを集めた『われ思う』。どちらもやたらに面白い。ことに後のほうは、ところどころに、先生、それは暴言でしょうといいたいような、へんなアイデアをも交えながら、それがあるからこそ魅力的な、先生の口調を伝えてくれます。

 

 先生はシニカルでした。シニカルだったけれど、シニシズムに陥ってはいなかった。シニシズムというのは、だめだとわかっていながら、それでも信じる「ふり」をする態度のこと。先生は、先生の作った学び舎を通りすがり、その本を読んだだけの(自称)教え子が知った限りでの伊作先生は、そんな恥ずかしい態度はとらなかった。信じていないものを信じているふりはしなかったし、そのようなことをしてしまったときははっきりとそれを認めて苦しんだ。

 

 そして、とわたしは思うのです。そして、わたしはどうかしらと。信じていないのに信じているふりをしていたり、信じているのに信じないふりをしているものが、そうして、考えないようにしていることが、ああ、先生、確かにあります。

 

 伊作先生は学院を懲罰の場として作らなかった。出席を取らず、誰でも卒業させた。わたしもうかうかと卒業してしまいました。けれど先生の本はいつもそばにあって、今、あなたはそれを信じていますか、本当に信じてそうするのですかと問い続けてくれています。

(「太平洋食堂」2015年プログラムより)