「いろは大王とは誰だ?」 | メメントCの世界

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「いろは大王とは誰だ?」

 

なかなか暖かくなりません。

確か、昨年のゴールデンウィークの頃は猛暑だったような気がします。

春から夏になるのでしょうか。4月の終わりの今日、寒さと原稿アップに震えております。

3月の「かくも碧き海、風のように」では、ご来場いただきありがとうございました。

あれは昭和の激動で、これから令和の激動が同じように始まるのでしょうかね。

何とも不気味さも感じます。

 

さて、5月25(土)26日(日)に浅草岡田屋さんでのライブで、ご披露する「いろは大王狂想曲・その1」を脱稿しました。

このいろは大王とは、山田風太郎の小説「いろは大王の火葬場」に詳しい木村荘平という男です。

今回も、ほぼそこから潤色し、安愚楽鍋やらその時代の牛鍋と火葬を廻る歴史ものを取り入れた、

語り芝居、講談、落語、そのミックスと思ってください。語って下さるのは、駒塚由衣さん。

劇団四季の大先輩で、声優としてもメリル・ストリープの声やシガニ―・ウイーパーなど、大人の女性の声で

活躍中です。てっきり洋物の人かと思っていたら、江戸人情噺を吉原などでおやりになっています。

築地生まれ築地育ちの江戸っ子!人の縁とは不思議です。

 

 

 

いろは大王である木村荘平は、、幕末の大阪の生まれで百姓のせがれ。しかし、ものすごいバイタリティーで、字もほとんど書けないのに、製茶業から輸入業、青物組合までつくる。

尊王攘夷、討幕運動が激しい京都ですごい商売をしておりました。やがて薩摩の御用商人となり、御一新とともにのし上がります。とにかくこの人は、とんでもない人でした。

明治には、今の私たちの常識を超えるとんでもない人がたくさんいました。

だいたい、国民全員が封建時代と、立憲君主国とを経験するんですから、まともじゃあやってられないのかもしれません。

 

山田風太郎は明治を廻る著名なジャーナリストや、実業家、小説家をネタにした虚虚実実の小説を出しています。

どれも面白いし、テレビドラマや舞台になっています。

今回、「明治バベルの塔」に収録されている「いろは大王の火葬場」を、ひぱりだしたというわけです。

山田風太郎は、様々な木村の伝記からこれを書いたのですが、どれが本当でどれが創作なのかよくわかりません。

 

牛肉を食べるようになった明治人、牛鍋屋におしかけました。

それまでの屠畜場や皮革製品の加工、食肉産業は、一定の身分の人しか関われない領域で、差別にともなって既得権もあったのですが、明治維新で、その権利をとりあげて身分差別の現状はほったらかしになりました。

ですから、東京だったら弾座衛門支配によってなりたっていた秩序は崩壊します。

木村は大阪から上京し、官営の屠畜場を安く払い下げてもらい、都内の組合を吸収し、つぶし、のし上がっていきます。

それで巨大な直肉産業の会社をつくり、「牛肉いろは」という牛鍋屋チェーンを都内に20数店舗作るのです。

その店長の全てが彼の妾でした・・・・・・・・いろはチェーンも彼の死後はすぐにつぶれてしまいました。

 

その彼が次に手を出したのが、火葬場経営。これもやはり封建時代には被差別階級よって運営されていました。

時代劇の墓守の老人、おんぼう、と呼ばれる焼き場人です。

江戸時代に土葬が禁止され、火葬が普通になるのを見越しての木村の新規参入、さてうまくいったのか・・・・・

ちなみに、彼が作った火葬の会社、東京博善社はまだあります。

 

最新式の釜で仏を焼く、それを宣伝にするのだ、杮落しの仏探しが始まります。

山田風太郎は、斎藤緑雨に与謝野鉄幹、歌舞伎役者の団菊左、などを出して話を綴っていきます。

福地桜痴と岸田吟香の話は爆笑です。

東京日日新聞で新聞記者として二人は活躍しました。福地が岸田を左遷したため、吟香は記者として活躍できず、目薬屋の主人となっって不遇な晩年です。目薬商売は繁盛しましたが・・・・岸田は福地よりも先に死んで記念すべき木村の初釜の客となるところを、アクシデントで焼かれませんでした。岸田吟香の息子は、岸田劉生なんですね・・・・・みんな子どもが多いので、誰か彼か有名です。

一方、福地桜痴は、広壮な邸宅を持ち、吉原や柳橋で豪遊し「池の端の御前」と呼ばれたのですが、晩年は凋落、築地二丁目の陋屋で死にます。

 

「わしは右手で軍人勅諭を書き、左手で吉原の看板を書いた。」

と火葬場セールスマンを相手に語りだすのです。

福地桜痴は漢学、蘭学、外国奉行調役もやって英語、仏語をものにし、幕府の開国派で活動しつつ、倒幕後は

野に下って新聞屋になり、あっちの派閥、こっちの派閥をこうもりのように応援したり、批判したりとやって、新聞社をくび。

そのあと、演劇改良に乗り出して歌舞伎座を作ってしまうのです。

鏡獅子、春雨傘の作者として、長唄をやってるとお目にかかります。

政治家、役人、実業家、新聞人、学者、文学者、詩人、戯作者・・・・・・

小説では、木村から巻き上げた肉をレアで食べ、三日後に死ぬ桜痴となっています。

 

尊王攘夷と佐幕の間を両極端に揺れ続けた明治人、現代人の想像を超える天才が

あちこちにいて、時代と社会を振り回していたんだなあと、絶句します。

 

木村の話は、面白いだけでなく、社会構造の変化を利用した羽柴秀吉のようでもあります。それまで江戸の封建の中で守られ固められた身分差別と被差別社会、それを壊して規制緩和といいつつ、利益を奪い去ってく資本主義の最初の嵐にも驚かされます。

誰のための国なのか、誰のための商売なのか、もちつもたれついくはずが結局は自分のことしか考えなくなて、

破滅していくのも、なんだかなあです。

薩長支配が未だに強く感じられる、令和の元旦???五月一日でした。