あれやこれや「永井荷風」③ | メメントCの世界

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あれやこれや③

永井荷風と言えば、「墨東綺譚」「断腸亭日乗」やその日記でおなじみです。

そしてどっちかというとメディア的にはエロい方向に知られているのですが、何もエロかったばかりではなく、明治の人らしい気骨のある文章をたくさん残しているのです。

明治末期の大逆事件の時も、荷風は毅然として筆を取り、小説「花火」を書いております。

大逆事件の囚人を載せた護送馬車が通るのを目撃した様子とその驚愕が、「私に良心の呵責と羞恥を感じさせ、これに抗する力がないのなら、これから自分は三味線をひき煙管をふき、戯れるような戯作者になるのだ、その次元にまで自分を引きずり下ろすのだ」という意味の言葉を書いています。

大逆事件に対する日本の文学者や芸術家の抵抗のなさを、フランスのドレフュス事件のエミール・ゾラの抗議と照らし合わせて嘆くのです。確かに大逆事件への表だった抗議は、徳富蘆花の一高で講義くらいです。

(永井荷風を演じる外波山文明氏)

 

永井も「ふらんす物語」をはじめとして、発禁処分にあっていますので表現に加えられる政府の圧迫の当事者でした。

当時は、社会主義的なものだけでなく、秩序を紊乱するということで、沢山の芸術表現が取り締まられていました。

慶応大学教授になったあとは「三田文学」を創刊する仕事もしてます。しかし、芸者と結婚して周囲との軋轢などいろいろごちゃごちゃ私生活もありまして、そういう地位は窮屈だったのか、早々にやめています。

 

堀田は大学入学後、様々な監視にあい、下宿を転々と引っ越し魔のように移っています。

その中で、墨東の玉ノ井の娼窟をうろうろしているところに、堀田は出くわしたようです。堀田の小説中で

「カメラを首からぶら下げて」うろうろしている荷風が描かれていますが、面白いのは「そんなに毎日来るなら、住んでしまえばいいのに、と思っていた」 と書いて、堀田自らが玉ノ井の近所に引っ越してしまったそうです。

 

小説中には永井だけでなく、高見順もうろついていますし、美女が大好きな川端先生も小説「浅草紅団」を書き、ずいぶんとみなさん入れ込んだものです。

 

 

 

分裂したあきれたぼういずから、ミルク・ブラザーズを作った川田氏のお嫁さんになった桜文子(鶴子)譲に、永井は結婚のご祝儀に、五円包んで渡したそうですが、あったかい義理人情を感じます。

明治から昭和の激動を、永井がどのように見たのか、永井荷風の日記をみるととても面白いですし、現場からの報告的で当時の空気が分りやすいです。女性問題など、ずいぶんとあけっぴろげなことが書いてあるので笑ってしまいます。

 

歴史を俯瞰するという立ち位置でみると、永井の立ち位置も、堀田の立ち位置もそれぞれ文学者として独特なのと、

現場を訪ね歩くという姿勢は共通しています。

堀田は必ずしも永井が好きだったわけではないけど、浅草に引き付けられた部分、どこか斜めに距離をとって

物事を眺める見かたは似ています。

 

外波山さんの「これがあの有名な写真となる」亀子「それに私は映ってない!」はアドリブですが、よくできています。作者は得をしました!!

このように、登場人物はその場で動き、その場で呼吸して生きて歩いていくのです。