「パターチャーラー」地謡奮戦記 | メメントCの世界

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「パターチャーラー」地謡奮戦記

 

いやはや

地謡がこんなに難しいとは・・・・・思っていた百倍、大変でした。当たり前ですが。

もちろん、なめてたわけじゃないんです。だけども、できるんじゃないかなあ~と楽天的に考えていたのも事実です。はい、ごめんなさい。

書くのは天国、やるのは地獄・・・いや、やはり天国です。うまく地謡があった時はもう昇天しますが、節を数えながら太い声で「辿った道の行く着く結末」と息まじりでうなったり、高らかに「来し方行く末~その道を知らず~」と歌う時は至福です。節回しはどちらかというと御詠歌やグレゴリア聖歌の旋法に似ている印象でした。

二年前に正法寺でのオルガンヴィトー公演の上演台本の中には、大きな二つの群読の詩を書き込みました。「マヌの天地創造」と、荒野を彷徨うパターを描いた「哀れ女人」です。

終わってから、不二稿さんが師事する能楽師・佐久間二郎先生が作調した試みの音声を聞きました。難しいなあとおもいながらも、韻律の持つダイナミックな響きに思わず「やりたい!」と思ったのです。

 

というわけで、だめもとで「女人往生環」を企画したんですよ~。これでいつも地獄をみるんです。もともと、離れた主題の「パターチャーラー」「彼の僧の娘」ですが、どうも上演してみると、「なんでこんなにひどい目に会わなくちゃならないのさ!」というため息でした。作品を一番よいスタイルで上演したいと思うのは、作家の烏滸がましさです。

やはり、パターの謡のバックには四拍子のお囃子が鳴り響いて欲しかった!

 

オルガンの不二稿さんと髙橋さん、そして梅田喬さんは、永年、佐久間先生に師事されて、土蜘蛛を発表会で演じられていました。そこに、宝生流を学んだことのある桝谷さん、そしてクラシックしかやったことのない大内史子がジョイントして地謡合唱団が生まれました。一つバラすと、大内は高校生のころ、蝶々夫人の「ある晴れた日に」を歌っていました。元々の声が高いから四苦八苦しながら、地謡と後見目指して私たちは半年前から(たった半年)スタートしたんです。地謡合唱団にとって、2017年の夏は暑い夏でした。そこから一曲、一曲、耳で聴きながら佐久間先生に根気よく指導していただきました。

まず、節を覚える、記譜するのが一苦労。私は西洋音階で記録をとっていきましたが、節は相対的な音階です。昔、ネウマ譜というのを授業で習い歌いました。キリスト教音楽(チャント)の原始的な記譜法です。ずっと口伝で伝えられたチャントを、四本線で相対的な音の高低を記します。長さ(音価) も白は二倍、テンテンは短め、とかの大体なんです。旋法といって、決まった音の節回しがギリシャの古来からあるんですね。もちろん、これは邪道な理解の仕方ですね。能楽師はそんなこと考えません。

でも、人間の生理に基づいているものは、そんな風に相対的な音階であり、節回しなんでしょう。

 

地謡合唱団にとって、大雑把ながらも節が分かったころに、更に高い壁が立ちはだかりました。それはお囃子でした!

勿論、来るぞ来るぞと思ってはいたけれど、お囃子と合わせて謡うって楽しいけど、私達には超絶難しかったんですよ。(当たり前ですね。)

しかも、地謡組はそれぞれ別の役も担ってました。人使いが荒い私です。

髙橋さんは、青年ドルダ

梅田さんは、里の人と長者

大内は、後見でした。

桝谷さんは、仏陀です。

ところで謡は惹起でした。

惹起(じゃっき)っていうのは、アウフ・タクトといって、拍の裏からシンコペーションで、ン、ターターターと出るパターンです。なんだ、日本人、惹起得意じゃん!とか思ってたら、このシンコペーションが難題で、表拍と裏拍がひっくりかえってしまったら、もうひたすら、八分音符分、ずれて行くんです。 中のり、大のり、で拍の頭から出るので安心していると、これもいつしか置いていかれます。

笹塚メソッドのお囃子合同の第一日目は、もうボロボロで、ああ、出来るのか!?と打ちひしがれながらも、いやきっと出来る出来る!!と根拠のない勇気を胸に帰ったのです。そして、芝居の中間部には、義太夫三味線の鶴澤津賀寿さんに、パターが夫を亡くし、野を超えて行く状況を奏でて頂き、乳母役の不二稿さんは太夫となって語るのです。

鼓の堅田喜三代さん、安倍真結さん、大太鼓の望月晴美さんには、ホントに何度もお付き合い頂いて懇切丁寧に教えて頂きました。しかし、そこに笛が入った瞬間、やっぱりまたもう一回分からなくなりました。

何故かというとですね、素人には打楽器はまとまって入って耳に入ってくるのですが、そことまた一つ違うタイムラインで、能管が鳴り響くのです。曼陀羅のような音の渦に身を任せて謡うのは、もう極楽です。本当に人生に一回だけかもしれないのだ!と思い、みんな頑張りました。

 昔、大学時代に「テテンテンテン テンガテン」「オヒョーローリー、ヒューイヒョ~」と口三味線方式で、お囃子をちょっとだけ教えられたのを頼りに聴き取りました。こんな風にお囃子は、言語というか擬音になっていて、口で歌えるんです。

オルガンの髙橋さんと梅田さんは、緻密に佐久間先生の音声CDを全部完全コピーしてました。でも、お囃子にのって歌うのは完全コピーでも難しんです。だって、間がそこにあるから。

偉大なる邦楽の間、日本音楽の間、間が悪いの間、間が全ての時計を自由自在に変えていくのです。

鳴り物は、他に「ハ~ ヨ~ ホハイヨ~ ホ~」などなどの掛け声を繰りだし、それと打音によって、鵜匠の様に

演者を支配しているようでした。恐るべし四拍子、もう人生の全てかけても凡人にはその入り口に立つことしかできない。

能は完成された芸能です。能楽囃子の簡潔さは他に比類ないほどです。ただ、やはり謡の意味はなかなか分からないのです。

面をつけているから、声は中で反射してくぐもります。倍音がある意味、子音を打ち消すのです。

漢字の発音も違いますし、やはり古語は難しい。

けれども、圧倒的に美しい響きなのです。ああ、よくぞ日本に生まれけり。

だけど大元は大陸由来のお経ですね。世阿弥は凄かったんですねえ。いやはや