五月の田園と「彼の僧の娘」 | メメントCの世界

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五月の田園と「彼の僧の娘」



憲法記念日のイベントの助っ人をして、連休は遠州地方の実家へ。
何しろ東海地震の地域の実家ですが、地震対策は手薄です。しかも、母は野良猫を嫌って家の周りを農業用の網を張り巡らし、ちょっとやそっとでは逃げ出せません。しかし、母に言わせると、「ほっといてくれ、どうせ死ぬから」ですが、子どもとしてはそうもいきません。
Do it yourself 自分でやれ!の資材大型店で地震対策グッズを買いこみ、いざ据え付け!を始めようとしたら、インパクト・ドライバーが壊れていました。がっくり。
普通の女の人はあまりやらないけど一人娘はやります。

遠州地方の親戚が多い私は、一昨年まではお茶摘みの季節なので、一族郎党かりだされて本家の茶畑で茶摘みが恒例でしたが、ついに専用茶工場が閉鎖され、85歳の伯父は出荷するための茶作りを諦めました。私が生まれる前からあった川原の茶畑は単なる畑になりました。
この季節、農家は殺人的に忙しいのです。
お茶を摘み、遅霜に備え、イチゴハウスはどんどん実り過ぎて腐っていき、田では水を張り、籾を撒いて、田植え前の準備。玉ねぎが実り夏みかんがドカンドカンと垂れさがり、エンドウ豆や里芋が・・・待っててくれない豊穣の実りが田舎の五月を彩ります。

 去年の今頃は「太平洋食堂」のプロモーションがタケナワでした。まだ一年も経っていませんが、その間に若者はSEALDSを作り、安保法案が進み、「大日本帝国アブナーイ」と同じ状況でした。革命的転換点なんでしょう。ネットや机上でグチャグチャもめてる暇があったら、街に出よう!という状況やムーブメントが主流になって来ました。大体、「百冊本を読んでも、杉の木一本、生えては来ない」と西村伊作の祖母の鶴婆さんが言ったとおり、ブログを百本書こうが、千回呟こうが、アクションに繋がらなければ、何も変わりません。そんなわけで、駄文を垂れ流す私も、何かせねばと憲法記念日の情報公開についてのイベントで受付係をしておりました。会館の人が鍵を開けて10分後に客入れで、25分後には舞台中で照明とマイクとプロジェクターの準備を終えるという、芝居では有りえないスピードで、市民団体はイベントを始めましたので、できないなんてのは言い訳なんでしょう。驚く事ばかりでした。

実家に戻り、仕事の間に「ダム」の宗助のモデルになった伯父の家に行き、ずっと使ってない三味線を借りました。表も裏も皮が破れていますが、紅木製の良いものでしたので、皮が破れていても良い音が胴の中で反響しています。伯父は農業を長く営み、昼間は田畑で、日暮れてからは笛や三味線に琴という音曲の徒、田舎でも変り者でした。私も変り者なのは、この育ての親の伯父の血を引いたのかもしれません。
さて、この三味線で何をするかはお楽しみ!
そして既に一部ではお知らせしましたが、次作は「新宮から嶽本あゆ美の新作をスタートさせる会」にお手伝い頂いて、高木顕明の娘、加代子をモデルに生涯を偲ぶ芝居を書き、明樹由佳さんが主演します。題名が決まりました。

「彼の僧の娘―高代覚書(かのそうのむすめ・たかよおぼえがき)


となります。
大逆事件の後、新宮を追われ芸者置屋に売られた加代子は、産みの母との再会を通して天理教の信仰に出会います。その加代子が浜松に作った教会は、今遠州地方の磐田市に移ってあります。この教会は高代分教会という名前で、高木の高と、加代子の代をとって名づけられました。前にもブログで一度書きましたが、どうもこの彼女について静かに偲び祈るような作品を書きたくて周辺資料を探しています。いろいろと壁は高いです。どこの組織にも所属していない私は、聴き取り調査も「科捜研の女」みたいに、聞き込み調査からです。
その時に名乗る肩書がない!ない!ない♪ 全くない!

資料集めがうまくいくかどうかはコネと運です。
明治学院大みたいに親切な大学は、馬の骨の私でも閉架資料を閲覧できますが、どこでもそうではありません。そして取材となると、一般の人にとっては役所や大学の名前(学生であっても)が上にくっつけば大抵安心して口を割ってくれますが、フリーランスの私は、悪徳企業にまとわりつくシカゴの私立探偵V.I.ウォーショースキーと同様に怪しい女です。
最近、この分教会の管理の方が変わり、また調べものは振出しに戻りました。とりあえず教会の近所の家の御婆さんに聞いてみたものの、そこの教会は浜松に属しているようで、近所には信者の方は居ません。そういえば、二年前、最初にここを探しだした時、遠州の袋井、磐田の天理教の大教会全てに電話して探したにも関わらず、ほとんどの大教会の方はご存知なく、浜松に一番近い所の教会の方に教えて頂きました。

もうこうなると運を天に任せるしかありません。私に必要な周辺資料というのは、アカデミズムでは見向きもされないような当時の浜松の芸者や料理屋さんなど、普通の人の声や生活に近いものです。
 芝居はドキュメンタリーじゃないからいいんですけどね。でも加代子がどんな日常を送ったのだろう?と考えていると、分からないことがいっぱい出て来ます。それを知りたいと思う私は、野次馬なのか覗き趣味なのか、後世に判断されるでしょう。だから今は気にしません。
加代子研究に関しては、天理大学の池田士郎先生が聴き取り調査を行って、実際に加代子を知る周りの方の貴重な声を本にしていらっしゃいます。

「中山ミキの足跡と群像―被差別民衆と天理教」http://www.akashi.co.jp/author/a28888.html

今年一月のPカンパニー公演「プロキュストの寝台」は、昨年の「太平洋食堂」の制作中に構想を練り上げ、資料を読みこみました。同時に「パターチャーラー」も書いていたのですが、今年はそこまで苛酷な執筆環境にならないと思います。しかし、書くものは4本並走中です。形になるかどうかは分かりませんが。

6月には再び新宮の「遠松忌」にお邪魔します。新宮の皆様、またお会いしましょう!