安全区・稽古場の往復
あっという間に、稽古は半分も過ぎました。
稽古場は水天宮にある水天宮ピットです。
初演よりも広い稽古場で稽古しています。とても助かります。
ストリングラフィも、5本+αセットできました。
絃の微妙な長さや貼りで、マイナーにもメジャーにもなりますので、日替わり音楽です。
さあ、頑張らねば。絃の長さを前回の二倍にしました。そのため、奏者は舞台にはみだします。
変な踊りを踊ってる人がいるなあ、と思ったらストリングラフィの奏者ですよ~!
稽古は難しいのです。毎日、違う課題が生まれ、いろいろな方法を試します。終わるとヘトヘトで、帰りの半蔵門線では、爆睡です。
荷物抱えてがーがー寝ている人がいたら、それは私です。各駅だと50分間熟睡できますので、帰宅前の貴重な休憩時間でもあります。
この稽古場への往路は、大抵、本を読んでます。堀田のものや、南京の資料、それと最近、文庫になったスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのシリーズ。
「戦争は女の顔をしていない」「ボタン穴~」どれもすごいです。
これは第二次世界大戦中、第三帝国だったドイツがソ連の白ロシア地方、ベラルーシやウクライナ地方へ侵攻した頃の、子ども達や女性の聴き取り調査です。戦争から25年以上たって、作者が多くの子供や女性の口から語られる戦争のエピソードを丹念に編んだものです。ノーベル賞をこれでとられた女史、これは人類全体への手紙でしょうし、あらゆる戦争の惨禍について考える糸口になります。三浦みどりさんの翻訳が素晴らしい。
堀田善衞は「ゴヤ」の中で戦争の惨禍について書いています。その「ゴヤ」とこのアレクシエービチの書いた戦争は、寸分違わぬほど似ています。戦争とは同じ悪を必ず産むのでしょう。そして、ドイツ軍がやった村の焼き払いなどに恐怖し嘔吐しそうになるのですが、それはそのままシベリア出兵のパルチザンと日本軍の戦いのようです。もちろん、日中戦争の大陸での日軍の戦争犯罪も同じものです。ドイツ軍もやりましたでしょうし、ソ連の兵隊もまた同じようなことをし返したのです。
勿論、ナチスのユダヤ人虐殺はもう一つ、更に上をいきます。なぜ、あのようなことが出来たのか、ナチスを学ばねばならないのです。ナチスとは、ユダヤ排斥だけをやったのではなく、社会保障や公共事業の大改革もやりました。その時代に機能する政治をやり、政権を手に入れてそれを継続させたのです。
まあ、どうしてこんなに人間は同じことをやるのでしょう。
戦争で焼け出されたウクライナの子ども達、親がパルチザンだと、母親も惨い殺され方をして孤児になります。そして孤児院に送られればよいし、ユダヤ人狩りにあって収容所へ送られて虐殺されてしまう子もいます。孤児院での生活や、周りの親切な大人に養われる子供の話に、涙するのです。愛のある孤児院がたびたび出てきて、ほっとしますが、そればかりではないでしょうね。そうして孤児は戦争を生き延び、現代に生きていますが、戦争の爪痕が消えることは無さそうです。
こんなふうに殺戮の地で、人生をやり直し魂を癒すことが出来るのか?と希望を無くしますが、ドイツがヨーロッパで主要な役割を果たしているのですから、それなりの償いと折り合いがつけられ、それが努力によって続いているのだろうと思うのです。けして忘却がそれを助けているわけではありません。
翻って日本と大陸の間にも恐ろしい加害と侵略がありました。それはまだ償いを終えないまま、忘却を呼び寄せています。アレクシエーヴィチは、戦争を教えてくれます。生き生きと沢山の無名の人々の人生を語ることで。
堀田善衞の「時間」にも、乗り越えるべき課題が提示されています。戦争の現場に身を置いた彼なりの過去の克服です。真実を記録する記憶する、それがもっとも有効なのでしょう。