太平洋食堂・新宮への路② | メメントCの世界

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太平洋食堂・新宮への路②(大逆事件ニュースより)

 クラウド・ファンディングを決意

 脚本執筆の取材過程でお世話になっていた那智勝浦の中田商店さんは、青年劇場の会員であり素人映画監督です。素人ながらも沢山の市民を動員して、熊野伝説シリーズの映画を2本撮っておられました。その宣伝係の娘さんが、アメリカ上映会のクラウド・ファンディングに成功したのです。クラウド・ファンディングとは、ネットで不特定多数の方に呼びかけ企画を宣伝し、賛同者に寄付してもらって事業を行う仕組みです。今では様々なボランティア事業やイベント、官民のプロジェクトがこの資金集めの方法で行われています。私もダメで元々とクラウド・ファンディングを試して見る事となりました。


 この方法の利点は、予め設定した目標額が期間中に集まらなければ、賛同者からお金の引き落としが行われず、詐欺行為や迷惑が少ないという事です。難点はネット上のクレジット決済ということです。
予想される赤字全額では金額が大きすぎるので、二百五十万円という金額と二千十五年二月二日という締切を設定して、ネットで寄付呼びかけを始めました。開始後、すぐに中日新聞新宮支局より「現地で記者会見をして幅広く呼び掛けては?」というお電話を頂き、一面識もないまま記者会見を設定して頂いたのです。そして地元紙含め、和歌山県、三重県のほとんどの地方版でクラウド・ファンドの記事をご掲載頂きました。この後も新聞各社には上演後まで、度重なる記事掲載を頂くなど、大きな広報力でご支援いただきました。まさに異例の事だと思います。今、現代への違和感、それらが一面識もない演劇団体への架け橋となってくれたのでしょう。
また、ネットで私達の動きに注目していた「おやこ劇場新宮」の皆さんや「熊野鐡道倶楽部」の方々と直接お会いし、ご協力いただく事となりました。

 その後は、「真実をあきらかにする会」事務局長の大岩川さんが、会員の方々に積極的に広報をして下さったのでご存知の会員の方も多かったのではと思います。もちろん、地元を飛び越えての寄付活動には厳しい批判もありました。それには率直に謝罪致しました。しかしながら、地元の持ち出しや地方自治体の行政に頼ることは本意では有りませんでした。何より、現代社会が音を立てて変容していく今こそ何かすべきだという焦りが大きく、私や上演関係者を見切り発車させる要因でした。
 とは言えなかなか寄付は伸びませんでしたが、本当に全く縁も所縁もない方や海外からも寄付を下さり、金額の夥多ではなく、メッセージに込められたお気持ちに毎日感謝しておりました。年明けには早野透氏のデモクラTVで、女優の明樹さんが出演し上演活動と寄付アピールすることが出来ました。そうして一月中旬から劇的な展開となっていきました。
クラウドの締切、その日は大阪での上演実行委員会の会議でした。委員会でも個別にご寄附を頂き、その夜の8時を過ぎた頃、私の携帯電話には、次々と目標額達成お祝いメールが飛び込みました。本当に奇跡のような瞬間でした。

 目標達成とともに、準備期間5か月を切っての公演制作が始まりました。スタートは明樹さん、青年劇場の吉村直さんと共に新宮入りし、和歌山県東牟婁振興局の記者クラブで、太平洋食堂新宮公演決定の記者発表を行いました。同時に熊野市、新宮市内を周り、チラシを配布しながら広報活動です。ネットのサポーターの皆さんが、先に商店街や学校関係、議員の方々への根回しをして下さっていて、そのプロ顔負けのプロデュース力に驚きました。新宮の顕彰する会にも公演計画の報告と、チケット販売、宣伝へのご協力をお願い致しました。
最終的には新宮市、新宮市教育委員会、熊野市観光協会、新宮市観光協会の後援を頂き、地元の熊野新聞、紀南新聞からも後援を受けて、中日新聞、毎日、朝日、読売、産経と制作発表を広く報道をして頂くこととなりました。

 本来なら、しっかりとした上演実行委員の組織を作らなければ、このような活動は出来ないという厳しいご指摘も頂いておりました。しかし組織よりも「演劇を楽しむ」という為に緩く繋がった個人個人がサポーターとして参加して行く方法は、今の若い世代には自然でもありました。「最終的に舞台上演が成功し、郷土の歴史への理解や興味が増すのなら、入り口が違ってもいいじゃないか」というサポーターの方の言葉で、現場では自由な風が吹き始めました。顕彰への強い共通目標があったわけではありませんが、「このままではいけない、新宮の文化状況を変えたい」と言う明確な意識はどなたにもあり、このような一歩踏み出して下さったのです。そして想像以上の観客の広がりを産む結果となりました。

 さて、難問の一つは会館事情でした。新宮市民会館は照明や音響機材不足の上、電力問題など技術的な諸問題を解決しなければなりません。東京の技術スタッフが現地入りして問題点を確認するなどの細かい工程を必要としました。増える予算に頭を抱える毎日でしたが、六月の遠松忌には、新宮の町中にポスターが貼られて行き、顕彰する会の有志の方で百枚以上のチケットを引き受けて下さるなど、暖かい応援に励まされました。又、おやこ劇場新宮さんのプロデュースで、新宮市内で活動する三つのコーラスグループから、四十名を超える有志が集まって「誠之助の詩」をラストに歌って頂くことなども具体化しました。劇中のエキストラ参加への呼びかけには、十九歳から五十代の幅広い世代が参加することとなりました。

 この春から夏、東京では安保法案への反対運動も加速度的に熱を増していき、演劇関係者の時代への危機感は益々、高まって行きました。今年に入って、劇団民藝では木下順二の「冬の時代」、文学座では足尾鉱毒問題と田中正造を描いた宮本研の「明治の棺」と、立て続けに明治期の社会問題をテーマにした上演が続きました。私の所属する劇作家協会も安保法案への反対を表明するなど、芸術家のプロテストが色々な方法で始まっています。
「太平洋食堂」はフィクションを多く含む演劇ですが、大逆事件という歴史の暗部、国家権力による冤罪犠牲者の謂わば「陽の部分」を中心に舞台上に再現しています。大逆罪の被告として貶められ、現代でも負のイメージを背負わされた彼らは、言論により時代へのプロテストを敢然と為した誇るべき人々です。研究家ではない、劇作家にできる事は、彼らの短い生涯の一部切り取り、特別な存在ではなく苛酷な時代の中に置かれて葛藤し、社会や自己の矛盾と戦いながら生き切った素晴らしい「生」の部分を「人間のドラマ」として表現する事だけです。それが成功すれば、観客は時代を追体験することが可能となり、異なるものへの理解、共感を得られます。それが演劇や映画など表現芸術が出来る最大の「武器」なのです。

「太平洋食堂」の劇中で使われているセリフ「人間は未来に背を向けて進んでいる」という言葉は、堀田善衞のエッセイに由来します。過ぎ去った「時間」しか認識できない私達は、もっと目を凝らしてこの国の来し方を見つめ続ける必要が有る筈です。目を閉じたとしても、そこに横たわるものが無くなるわけではないのです。歴史を捻じ曲げ無かった事にする勢力には「否」と言って抗い続けなければ、人間は目をつぶったまま後ろ向きに進むというトンデモナイ動物になり果てるような気さえします。

 関西公演の前に、大石誠之助や高木顕明について知ってもらおうと、各地で事前学習会を行いました。彦根演劇鑑賞会では泉先生に講師をお願いし、青年劇場の吉村さんも交え、演劇の魅力と高木顕明について学習しました。会員の方から様々な感想レポートを頂きました。京都労演には山内小夜子さんに来て頂きました。その他、京都・東本願寺では戸次公正先生による宗派の学習会、大阪の南御堂や神戸演劇鑑賞会では作者の私が舞台の魅力を語る会を行いました。演劇鑑賞団体も垣根を超えて、上演運動を応援下さいました。

 石川啄木学学会や、関西の大学の文学部、社会文学会など研究団体でも幅広くご宣伝頂きました。六月中旬には東海、関西のマスコミからも取材が相次ぎ、作者の私は稽古場にいるよりも、宣伝活動やチケットを売って歩く時間の方が遥かに重要となりました。そうして着々と各地では公演準備が進んでいったのです。(まだ続く)