台風の余波がまだ残る中、7月18日15時より、新宮市民会館で公開リハーサルが行われました。市民会館は熊野川の氾濫や市内の冠水で、避難場所となり、仕込みが終わり調整作業二日目は、避難された方、消防団などと同居で、舞台稽古となりました。
それでも、地方新聞の記者さんたちが、連日トピックを掲載してくださって、市民コーラスやエキストラの稽古の模様が報道されました。
熊野川べりの市民会館は、冒頭の沖田のせりふ「済んでのところで間に合いました。もう風が匂う、ほら水面をごらんなさい。満ち潮が川を遡ってきてた」
というせりふが、まさにそのままの佇まいです。
市民エキストラの方が、「これは野外で川べりでやったらすごいですね」と言ってました。市民エキストラ、市内の萩原きもの総合学院よりご提供頂いた、素晴らしい時代衣装をまとって、百年前の新宮町の人々です。サラリーマンも元議員さんも、市役所の方もおやこ劇場代表も、若い演劇青年もこの日を4年前から待っててくださった、県庁の方もいます。本当にたくさんの味が集まってきました。
市民コーラスは三つの団体の有志です。コーラス指導は、福田先生。御年80を超えながら情熱とタクトは燃え上がっています。舞台稽古中も「そんな音をだしたらあかん!子音をたてて!」と厳しい指導がとんでいました。その素晴らしい歌声は市民会館での公演の最後の祈りとなっています。これが皆さんにお届けできないのは本当にくやしい!という私はあまりのバタバタで、ゲネのビデオを回すのを忘れました。もちろん、誰かとってますけど。
裏方を支えて下さる皆さんも、顕彰する会、おやこ劇場、くまの鐡道倶楽部、熊野映画の方がおもですが、パンフレット作業はもうエキストラも、レクチャー講師の泉先生の手まで借りて済ませ、熊野市観光協会長自ら、上演台本の物販係のお手伝いまでしてくださいました。私と杉嶋と衣装の中村さんが、経費削減で転がり込んだむつみさんのお宅は、陶芸のアトリエで、気さくなお人柄であっという間に意気投合。そして、昔、入間市に住んでいて武蔵野幼稚園に子どもが通っていたむつみさんは、私と懐かしのバッハザールでニアミスしていました。
たくさんの差し入れも頂いております。ビールにめはり寿司、神さんま、おはぎ、お茶、お菓子で貧しい台所事情は改善されております。消え物のスイカもいただきました。
毎日おいしいお弁当を届けてくれるのは、畑中さん。御浜町でお弁当屋さんをしてますが、熊野映画の脚本家でもあります。市民参加者の着付けは、知る人ぞ知る、新宮一の美女で踊りの師匠で合気道にも通じる麻美さん。もう着付けすごすぎ!気合いも一緒に注入されていきます。新宮にはすごい人がたくさんいます。何でこれで、市民劇団できないんでしょうね??きっと意見が多すぎるのかもしれません。新宮人は本当に一人一人、意見もこだわりもしっかりとあって、簡単には曲がりません。でも、本当に太平洋食堂ってこんな風にたくさんの人がワイワイガヤガヤやっていたんでしょうね。
昨日は雨もやみ、出演者で南谷の墓地に墓参をいたしました。高木顕明、大石誠之助、峯尾節堂のお墓を巡り、開店報告いたしました。さあ、今日は彼らも見守ってくれているとおもいます。百年の昔、今もなお、あなた方を想っている人がこんなに沢山いますよ、とメッセージを送ります。どうぞ、受け取ってください。
沢山の方のご支援、サポーターとして加わってくださった市民の皆さんによって、本日、太平洋食堂は新宮で開店致します!!!まだ交通状況が宜しくないようですが、ご都合がつく方は是非、ご来店くださいませ。では正午に開場します!太平洋食堂へようこそ!!

