2015年「太平洋食堂」東京公演パンフレットより | メメントCの世界

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新宮への路     メメントC代表 嶽本あゆ美

2013年に杉並区で開店した「太平洋食堂」が今年は東京、大阪、和歌山県新宮で再開店します。ご支援くださった全国の皆様、現地の方々の熱いサポートに心から感謝致します。初演時には上演するだけで精一杯でした。しかし、「是非現地で!」という気持ちが止まらず、あらゆる周囲に迷惑をかけ、そして支えられ、御蔭様で新宮への路が開けました。ありがとうございました。
 さて、この二年は皆様にとってどのような時間だったのでしょうか?
 2013年の12月、とある公立中学校で、パネルディスカッションのテーマに「秘密保護法」を選んだクラスがありました。真剣な議論に立ち会っていた私は、褌を締め直した記憶が鮮やかです。国籍も家族構成も様々、社会の多様性を映し出す公立校の子ども達は子どもであっても大人です。新宿や鶴橋で叫ばれるヘイト・スピーチを聞く子ども達、彼らの目に社会はどう映るのか? 
  「戦争と平和」についてのニュースもヘッドラインには絶えません。そうなってみると、百年前に日露戦争開戦の年に、パシフィックとパシフィストをかけて、洋食レストランをオープンすることで非戦を世に問うた大石誠之助は、何とまあユーモアのセンス溢れた人だったでしょうか。当時、保守もリベラルも舌戦を繰り広げ、町のささいな事件から文明論を論じた人々は、楽観的な理想主義者だったのかもしれません。日露戦争景気に湧く町で、清貧を貴び自由・平等・博愛を高らかに謳った。それらが問答無用と大きな手で叩きつぶされてしまったのが大逆事件なのです。権力はレッテルを張りました。「彼らは社会にとって害である」今でもある種のレッテルを張られることは、存在の危機を意味します。そのように人の尊厳を踏みにじり、加害や差別の言い訳を簡単に与えるのです。子ども達は必ずそれを見ています。
 日露戦争の提灯行列に向かって「大日本帝国〇〇〇〇」と言った誠之助ですが、現代日本を見たらどんな冗談を飛ばしてくれるでしょう。死刑宣告という絶望の中でも、独特のユーモアを選択した誠之助の表現には深い人間性が伺えます。
 ドクトル大石らの魂は、新宮での上演をどんなふうに思うのでしょう。静かに苦笑いしているかもしれません。現地・新宮では市民コーラスも参加して特別コーラスバージョン・カーテンコールも致します。ちなみにコーダはこんな歌詞です。
「嘘から出でし真なり 静かな笑顔の誠之助 大いなる手に奪われて 百年の昔 今もなお あなた想う この町で」 
ご都合が宜しければ新宮にお越しください。新宮市民会館から数百メートルのところに、かつて太平洋食堂はありました。今日は「太平洋食堂」に集った観客の皆様、そして未来の幸福、ユートピアの為に乾杯したいと思います。 太平洋食堂に乾杯!