暮れの雑感
今年もあと少し。
この一年を振り返るというのが正直苦手です。個人的には年々、年を取るのが加速度的に早くなってまして、あれ?と言ってるうちに大晦日です。
メメントCは今年も七転び八起きのような一年でした。散々、あーでもこーでもないと騒いだり迷ったりするうちに一年が暮れていくようです。
子ども達を連れて帰省する前、雑務が片付かず、三日間、仮眠状態で仕事しまくりました。12月の最初に風邪を拗らせそこから喘息を8年ぶりに発症してしまったので、なんというか酷い状態を抜け出そうという努力もなく、仕事してました。
それでもって実家に帰り、電動車椅子を操るのが上手になった父と子どもと山の方へと散歩に行きました。実家の周囲には、年を経た雑木林があちこちにあるのです。そこに遠州地方の強い風が吹き付け、木々や竹林を揺らします。クマザサの茂みもザワザワゴウゴウと鳴りますが、五木村のような恐ろしさはなく平べったい土地という風の音です。冬でも遠州地方は暖かい土地です。ただ、風だけが強い。
散歩する内に長男が枯葉の道をザクザク歩いて穴にはまって転びました。何でそんなところを歩くのか?と思ったら、自分は同じように歩いていても、穴をよけているのです。都会暮らしの子どもは、落ち葉が溜まっていたらそこが往々にして窪みがあることに気付かないのです。何度か転んで解るものなんでしょうね。その後、キャッチボールをしていたら、随分と体の衰えを感じました。制球しようとして肩が痛い。ゴロを拾おうとして、とっさに屈むと腰が痛い!!!!!気持ちはボールに着いて行きますが体が着いて行かない。ああ、悲しいアラフィフの嘆き。準備運動無しに動いては行けないのです。
4年前、サッカーを小学三年生とやっていて、太ももが肉離れしました。あれ以来、一度もシュートをしません。ていうか、サッカーに付き合うのも止めました。子どもたちは勝手に公園へ行き、友達とサッカーしてます。そして、勝手に上手になって勝手に体力をつけて帰って来てくれます。私はそれと反対にどんどん体力を失ってました。だから喘息なんかおこしちゃったんだろうな、と納得。自分の小学生時代はソフトボールと水泳で一日が終わり、疲れて寝ぼけながらピアノでした。中学はブラスバンド部。毎日、マリンバとティンパニンを3階の音楽室から一階の練習場へ降ろして、上げて、椅子は四つ持って走って・・・・なんて、全然、自慢にもならないのですが、体力勝負でした。きっと子どもというのは、体を無茶苦茶使って成長するんでしょうね。ちなみに高校時代のマラソンは12Kでした。男子はハーフマラソン。強制されれば人間やるものです。
こんなつまらない思い出話をするのは、記憶というのが頭じゃなくて体の筋肉に蓄えられているように感じたからです。ふとした記憶が、とっさの動作や体の痛みの中でよみがえるのです。喘息になって咳に苦しんで思い出したのは、劇作家協会新人戯曲賞を受賞した8年前の12月でした。あの頃も喘息と中耳炎を繰り返していて、咳をするたびにダムの審査会を思い出したのです。審査会が終わってタクシーに喜びで乗って、でも喉が苦しく、そしてその頃は臨月に突入していたので、咳がパンパンの腹に響いて響いて。大橋也寸さんに電話して受賞を告げたら、返って来たのは今日子さんの臨終の知らせ。
やはり今年、そんな12月に芸術祭優秀賞の知らせを電話で受けて、声にならない森進一声で、文化庁の人に同情されました。それでやっぱりその日は岸田今日子さんの命日でした。そんなわけで、8年という周期がもたらすものが成長なのか、世間の変わり目なのか、咳をしながら思ったのです。
そういうわけで受賞というものは、上から落っこちてくるもので、取れえいっと取るものでもないと思いました。何のコネクションも持たないメメントCにはマスコミ招待だって来る記者と来ない記者で分かれます。「情報来なかったけどどうしてだ?」とあるカメラマンに謂われました。私は確かにDMを送っているつもりですが、届いてなかったようです。ごめんなさい、ご縁がなかったんですね。だからきっとメメントCって何だ?と言う演劇関係者の方が多いでしょう。仕方ありません。戯曲を読んでわかる人はそんなに居ません。3Dになって初めて面白さが分かるものです。
あれからまあよく諦めずにやってきたと思うのです。私は成仏しないで、地縛霊になるタイプだとはっきり分かりました。ダムが上演できたら成仏でしょうか?それがそうでもないところが人間のこだわりの恐ろしさです。
もう一つの妄執、「太平洋食堂」を新宮で上演するがぶら下がっています。クラウドファンドも始めましたが、まだまだ上り坂は緩いです。さてこれで決着がつくのか?ダムも然り。文化庁芸術祭優秀賞を取ったからと言っても、ダムが再演できるとは限りません。なかなか分かってもらえないことですが、劇場システムというものは、大抵、1年半以上前に予約をしなくちゃならないのです。今、メメントCは再来年の劇場押えがありません。ということは、再来年は白紙、ということなんです。
ひょっとしたら、「ダム」再演を共同制作してくれる公立劇場なんかが現れる可能性があるかもしれませんが、この八年間、どの劇団もこれを上演しようとは思わなかったわけなので、やっぱりゼロだと思ってます。私たちは重いものをひきずるようにしてしか、上演という手段を手に入れなれない境遇から抜け出せないのかもしれません。助成金の採択が分かるのは年度の終わりの3月。そこで初めて最低保障の予算が見えてきて、企画が始まるか、分からないまま博打を打つのか?私はたぶん、作家をしているよりも制作をしている時間が桁違いに長いので、あと人生で残った20年くらいの間に、何本の作品を書けるのか?段々戦々恐々としてきました。太く短い人生もいいじゃないか!いやいや、書きたい。妄執を書きたい。それが来年の私の抱負です。あんまり、いい感じじゃないですね。でもとても受賞は嬉しかったです。だからもっと書きたい、その為には何をするのか?
そこで笑ってる人、まず掃除からって思ってるでしょ。その通り。混沌とした仕事部屋を片付けて、何が必要で何が要らないか考えなくては、もう何も生み出しえないでしょう。
2015年は劇団BDPに書き下ろした「リアの食卓」が始まりです。父の介護の恨みつらみを書きました。介護とリア王と三人娘の話は、父を抱きかかえながら、トイレの介助をしながら溜めたある痛みです。どうせ父には分かりっこありませんから。私の父は要介護4で、左半身マヒですが、電動車椅子で近所を走り回るほどに回復しました。ただし、失語で何を喋ってるのかよくわかりません。でも人間の神経は驚異的な可塑性があるようですね。STAP細胞だって父の中にはあるかもしれません。支離滅裂、酩酊しているまま2014年は終わるでしょうね。
皆様に感謝をこめて。良いお年をお迎えください。