早川倉庫にて
「ダム」東京公演が終わりました。ご来場ありがとうございました。
8年目にしてようやく「ダム」を舞台で見ることができました。実現への後押しをしてくださった皆様、難物の戯曲と格闘してくださった藤井ごうさん、戯曲の世界を具現化してくださったスタッフの皆様、渾身の演技で戯曲にこたえてくれた俳優の皆様、転換、稽古場、あらゆるサポートしてくださった演出助手の佐藤さん、若い参加者の辻本さん、駒井さん、山下さん、青山君、岡村さん、受付手伝いに駆けつけてくれた明樹さんはじめ、若い皆様。陰で私を支えて下さる方々、二度も三度もリピート観劇してくださる応援団、そういう全ての皆様の熱意とご厚意で、東京公演は終了致しました。
昨年のリーディングまで、「ダム」蓋をしてきた箱を開けた私は驚きました。昔、これを書いた自分を再発見したのです。歳月は人間を老いさせるだけでなく、全く違う人間へと変えていくのでしょう。あれを書いた私はある意味、もう存在していないようにも思いながら、稽古を見守りました。いわゆる作家は既にもうこの世にない、という戯曲は世の中にたくさんあります。そういうつもりで稽古を見ていました。しかし、稽古が進むとせりふの中に隠れているものが噴出してくることが多々あり、やはり私はまだ生きているのだ、というような細胞が再生するような気分にもなりました。流れ出す情動は時々、私を過去に弾き戻し混乱させもしましたが、苦い思いで登場人物を見ていた昨年とは違い、全てが愛おしいと思いました。この愚かな男女の営み、人間のダム建設という愚行、親子関係という骨肉のしがらみ、それらは結局は無に帰し、わずかにその記憶が残されていくだけで、全ては忘却され行くものです。それをこのような演劇として立ち上がらせることは、一体何をしたいのか、人間とは自分を映し出すことにこれほどまでに執着する生き物なのかと驚くとともに、己の執着にも呆れます。
そして、ここ熊本に入り、早川倉庫に居るに至って、まあ「私も流れていくとです」と書いたセリフ通りに私は流れついたのです。
前にも書きましたが、早川倉庫を知ったのは人の縁。熊本の劇団ゼロソーの松岡優子さんに会ったからです。彼女は女優であり制作であり、公立劇場の職員であります。いろんな立場を持っている方ですが、ダムに強い関心を持って下さり、その劇団の皆様を巻き込む形で公演に踏み切りました。もちろん、東京公演にお付き合頂いた方も、巻き込まれた方、ついてきてくださった方、一歩先を手を引いてくれた方、いろんな立場の方がいます。ただ、この「ダム」という情念の塊のような戯曲に、皆さんが関わってくれたからこそ、こうして物語は立ち上がっていったのでした。
早川倉庫の恐ろしいほど立派な梁や屋根組は百年の昔に建てられ、大逆事件の後に社会に吹き荒れた嵐を知っているのです。また、オーナーの早川さんのご先祖が島原から移られ、やがてこの熊本市内の酒蔵を所有することになったのも、一つの大きな物語です。熊本市内はご城下という呼び名がまさにふさわしくあちこちに残る町名は、何百年も変わらなかったのでしょう。
呉服町近隣にはありとあらゆる宗派の寺があり、それが都市計画上の必要によってその町に配せられたのだと、早川さんは教えてくれました。そこに降り積もる歴史、それを知る木造の倉庫で、私のダムから物語が流れ出した時、何か大きな邂逅をしたように思いました。
物語の途中、清美が幼いころに母にネグレクトされ伯父に家族の情愛を注いでもらうことで、耐えた逸話があります。母子の確執は軽く半世紀は続くものなのです。作者の私も未だにその軛から抜け出してはいませんが、親の老い、自分の老いに向き合うことで確執は流れていくのです。佐々木梅治さんが演じる宗助の歌う子守歌は、早川倉庫の中で情愛深く響き、可愛い姪に何もできない、してやれないという悲しみをセリフ以上に物語ってくれました。
何もしてやれない、自分には力がない、他に縋るしかない、これを他力というのでしょうか。年老いて行く中、力を失い幸せを願うばかりで、清美の人生を変えてやることができない悲しみを、宗助はうるさく干渉することで慰さめています。人間はいつかは自分が無力であると知る瞬間があるのですが、それはなかなかやっては来ません。無条件で縋る相手がいるとはとても思えないのです。
宗助は縋る相手を山ん太郎、川ん太郎に体現される自然そのものと決めました。川から離れるな、という戒めは清美の母親の縊死への恐怖、繰り返される女の末路を回避するためになくてはならないのです。しかし自然は簡単に命を取ります。とっておいて、何の説明もしません。その理屈を頭でなく体で受け止めている農夫には、説明などいらないのです。私たちは、いつからかそんな考え方を忘れてしまった。理屈を通すために自然を捻じ曲げながら、大いなる力を見なくなった。
何物にも縋れない巨大な自我と欲望は、流れる先がなくなった水がダムに溜まるようです。
早川倉庫の初日を聞きながら、ダムが壊れて流れていくのを感じました。
私のダムさん、流れてくれた・・・・・・