太平洋の荒波
いよいよ、太平洋食堂の東京・大阪公演が情報公開となりました。
東京は昨年と同じ座・高円寺1、大阪は真宗大谷派・難波別院の御堂会館大ホールとなりました。新宮が入ってないぞって、声が多数です。今、ミッションインポッシブルまっただ中。嶽本が挫折するか、寄りきるか、もうすぐ分かります。
さて、私が東奔西走でプロデューサーをやっていると、「作家が何でそんなことをやってるのかい?」とよく聞かれます。また、小道具のラッキョを探したり、昨年も着物探しに奔走でした。それも「何で作家が衣装手伝ってるのかい?」と聞かれます。しかし、メメントCはちっちゃちっちゃい、資金力のないユニットです。そこに外部の演出や俳優、スタッフが合流しての演劇製作です。人も金も有ればきっと作家はパソコンに向かっていればよいのでしょうが、メメントCではそうもいきません。お休みしてるメンバーも、後方で衣装集めたり、チケット郵送手伝ったりって、でもこれって、大きな劇団やら興行会社でなければ仕方ないことなんです。と、思ってたら昔居た巨大劇団でこんなことがありました。
とある猫ミュージカルの製作記者発表の時、後輩の音響担当者が、現場の劇場に行くと、社長が座るはずの舞台上の机のテーブルクロスが皺だらけでした。いくらなんでも思っていましたが、誰もそのクロスを変えようとしないので、仕方なから後輩は衣裳部屋でそのクロスにアイロンを掛けました。それで、記者発表の写真には皺のないテーブルクロスの掛かったテーブルに座る社長が映りましたが、アイロンを掛けていた為にスタンバイの時間がなくなった後輩の音響は、自分の仕事をとちったそうです。本末転倒なのか、何だか分かりませんが、自分の仕事かどうか分からないけど、その時に必要なことはやらなくっちゃいけないのさ、という意味です。
そんなわけで、この大阪公演が決定するまでの道のりと言ったら、そらあんた、重いコンダラ引っ張って蜘蛛の糸を手繰るようなものです。でもまあ、ドキュメンタリー映画の世界ではもっと過酷かもしれませんね。「アクト・オブ・キリング」のジョッシュ・オッペンハイマーや、「標的の村」の三上監督、「ライファーズ」「トーク・バック」の坂上監督のウェブでのメイキングの様子を読むにつけ、やりたい題材を追いかけて形にして世に出す事は、この日本では岩窟王でないと出来ません。
そんな岩窟オバサンの私は、昨年の初演時から、他人にお願いしてばかりです。真宗大谷派の高木顕明の顕彰に努めておられる皆さんにも、資料提供やら宣伝、果ては袈裟や数珠まで借りるという御協力を頂いておりました。そして、終演後にその関係の皆さまから、「是非関西でやりたいですね」とつぶやき続けて参りました。やりたい、やりたい、と言っても、場所と資金がなければ出来ません。それでまあ、手紙を書いたり、上演DVDを送ったりつぶやくどころか、絶叫し続けた結果、更に多くの人々を巻き込むことになりました。それで、その皆さんが本番を観ないまでも、上演DVDをご覧になって、「よし、やろう!」ということになったわけです。しかし、まあ本当に皆さんのポジティブな気持ちがなければ進みませんでした。一番、推進力になったのは「この時代、今こそ宗教者として声を挙げなければ、先の戦争に突入した時代と同じ轍を踏むのだ」という若い(中年)僧侶の皆さんが多かった事です。それに周りの方々が影響されてこんな風に、「太平洋食堂」が関西でも上演される事になったわけです。
高木顕明を知る前は、「どうして本願寺のお坊さんには毛が生えているのだろう?」という事しか考えた事がなかったのですが、10年以上前の新宮のオリュウノオバとレイジョさんから始まった旅は、こんな風に沢山の人々に何かを手渡し、手渡されして来年、大阪へと繋がります。まだまだ紀伊半島は遠い!さあ、この先の更なる僥倖を願うしかありませんが、奇跡が起きないとも限りません。何しろ御嶽山も噴火したくらいですから。不謹慎のそしりを受けるかもしれませんが、裏磐梯や富士山や乗鞍岳だって噴火するかもしれません。来年に、東南海地震が起きないという保証もどこにもありません。そんな来年、再来年の事をあーだこーだとやっている演劇って、いったい何なんだと思いますが、未来の事なんて誰にもわかりっこないんですよ。
ところで、「ダム」の稽古は進んでいます。まあ作家は死んでたって、戯曲さえあれば稽古は進むんですよ。ベートーベンが死んでようが、生まれ変わってようが、「運命」は変わらないのと同じです。というわけで、来週からは立ち稽古が始まり、稽古も本格化、益々楽しみです。ラッキョも手配が付きました。ラッキョ何にするの?って劇場に観に来れば分かりますって。乞うご期待!
