熊本紀行3 | メメントCの世界

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熊本紀行3

八代の戦う七十歳




前回の八代訪問からひと月、経ってしまいました。あれもこれもと制作仕事に追われ、他の執筆に追われておりました。また報告します。
そんなわけで、前回書いた分が中途半端にありますが、そこから続けます。

前回は八代へは、名物喫茶店「ミック」のマスターを訪ねました。市民で知らない人はモグリだという位で、喫茶というよりダイナーで、美術館です。ここを教えてくれたのは民藝の俳優の佐々木梅治さんです。そこのオーナー・出水晃さんは、70歳のかくしゃくとしたマスターで、川辺川ダム反対運動を牽引してきました。一回目は、ちょうどお昼時にお邪魔し、店は満員。壁にはこれは?と思うリトグラフだか版画の美術が展示されています。料理も名物のカツカレーから、魅力的なホットサンド、日替わり定食、が次から次へと運ばれてくるカウンター内には、たいぎゃ元気そうなマスターが次から次へと料理を繰り出していました。よく通る大きな声で、「いらっしゃーい」と叫ぶその手元は動きを止めません。テーブル席がいっぱいなので、カウンター席に陣取り松岡さんとどうしよう?と顔を見合わせ、マスターの手が止まるのを待ちました。「あのう、ダムのことで……」というと、「ダムならこれ!」といきなり、昔のビッグコミックスピリッツが出てきました。広げられたページは、題名は分かんなくなっちゃったんですが、魚河岸の若旦那が日本で一番旨い鮎を探して、八代に現れるという設定の劇画です。その中の濃いキャラクターはなんと!出水さん本人でした。(*写真を見てはいよ。)
話中、川辺川の上流ダムができることによって思わぬ洪水がその周辺で起きることを、出水さんは、キャラになって熱弁をふるっていました。そして実際その通りで、出水さんは何十年もダム反対闘争をしてきました。「俺はコミュニストじゃない。郷土の川を守る為に右も左もないんだ」
 
出水さんは映画にも出演しています。八代でロケした映画の監督が毎日、名物カツカレーを食べに来ていて、マスターと知り合い、劇中の保護司役でマスターが出演することに。実際、マスターは保護司をしていたそうです。ありゃまあいくつも顔を持っている戦う老人は、その話の間もひと時の手を止めず、忙しそうに料理を作っていました。




二度目の今回、ゼロソー松岡さんと吉丸君、市民劇場の青谷さん、そして東京からは、清田氏も同行。清田氏は熊本出身です。
7時20分の羽田発熊本行に乗り、9時に到着。松岡さんの車でメンバーを乗せて兎に角、出発。
二度目の「ミック」訪問はちょっと空いてる午後でした。前日に松岡さんがマスターからダム反対運動の中心となられた緒方俊一郎医師をご紹介いただいていて、その日、私達は八代から人吉、相良、五木へと無謀な旅程を計画していたのでした。
マスターはやはり忙しそうにしながら、人吉の住民討論会の事を語ってくれました。
「まあ、兎に角、こっちはダムに反対だし土建屋の脅しにも負けんという気で、人吉の住民討論会は絶対に負けられないと団結したわけだ。そんで、何故か、俺に公安が付きよった。万が一、何かあったらいけないからって。VIPでもないのに、SPがついてくれた。よっぽど推進派が荒っぽいことを考えてたんだと思うけど。俺らは相良の緒方先生とつるさんに、着いて行っただけだ。そんで、何とかして知事にダム反対のパンフを手渡そうとして苦労したんさ。当時の潮谷知事は、ものの分かった人で、きっと渡せば分かってくれると思ったが、何しろ秘書室を通すと自民党に都合の悪いもんは、知事には届かんようになってるから、ある美術展の開会式で対面した時に手渡したんだ。そしたら、女房と知り合いだったのさ。住民討論会での知事は偉かった。議論騒然で推進派が席を蹴って帰ろうとした時、知事はマイクを奪って『まだ終わりではありません!残りなさい!私は両方の意見を聞きに来たのです!!!』と知事自らが叫んだんだ。ほんまに偉か人ばい」
そしてまた、
「あの時、満員の人吉市民会館を会場に入れん参加者がぐるりと取り囲み、とりわけ水俣病訴訟原告団の人達がバス三台で乗り付けて緒方先生を応援しようって来てくれたのは凄かった。あれはさすがに緒方先生の人徳だ」

いきなりサビに突入したので、何が何だか分からないと思いますが、川辺川ダム問題と40年の歴史があります。1966年に国による五木村のダム計画が発表されて、水没地の五木村は即座に反対を表明、当初は反対運動は地元のみでやがて、保障交渉へと舵を切り五木村は自治体としてはダム推進になります。しかし、その後、下流の相良町や人吉市では、その前からあった市房ダムの放流による浸水被害が続発し、家財産を犠牲にした市民はダムが治水に役立つというダム建設の嘘を、身をもって知ったのでした。その後、「清流川辺川を守る県民の会」なども発足し、皮肉なことに一番の当事者である五木村が国のダム建設に屈してダムによる地域振興を受け入れた後に、相良村、人吉市、八代市の市民を中心としたダム反対運動が燃えあがったのです。その中でダム反対派と推進派が激突した2001年からの住民討論集会というのは一つの天王山でした。県主催のこの集会は、反対、推進の双方から行政が意見を聞くと趣旨で国土交通省も参加して、ダムについての双方の意見を地域住民からの意見を吸い上げるために開かれたものです。これは「ダム」の芝居の中でもワンシーンとして入れ込みました。今ではこのような集会は成り立たないだろうと思います。それは、最近の公聴会をみれば明らかです。まだまだ行政側に住民からの意見を聞く度量と余裕があった頃でした。そしてその時の熊本県知事は潮谷義子知事でした。住民討論会の結果としての、ダムの利水事業の廃止、荒瀬ダムの撤去という流れがあるのです。八代の丁畑さんも参加していたこの討論会、本当に凄い集会だったのでしょう。今でも、熊本県HPにてその議事録は読むことができます。私のネタ本です。

八代は南国ムードいっぱい。川と海、港があるからか、陽光きらめくリゾートな感じです。のんびりとした街並み、そしてデカい八代のお城に目を奪われながら、「ミック」を後にし、日奈久温泉に向かいました。「九月は日奈久で山頭火」という幟があちこちにあり、何ともよい風情です。山頭火する、という動詞は、「温泉に浸かって、飲んで食って、銭を払わない」ということだそうです。
そこで八代の市民劇団「あったかハート」の種田山頭火の舞台が上演されるのです。出演者の山本さんの舞台は子供達と一緒にミュージカルの山頭火でした。20年続いている市民劇団は、子供の幸せを願う大人たちが運営しています。たくさんの年代の人がかかわることで、こういう営みは豊かになり続くのだと感じました。
そして、八代を後にして、落ち行く先は~九州相良へ~~続く。