下北沢の「南京」を後に ② 一書の人を怖れよ
続きですが、「もう先は知れた」「いや、まだ足りない」
何の問答だ?
公演が終わったのに後からごちゃごちゃ言うのは良くないんですよ。でもね、たった3日だったので、まだ足りないんです。
そんなのは、お前の都合だろう?はいそうです。しつこいんですよ、私は。
三月のお彼岸の三連休に公演をしたい!と言った時、大内と杉嶋は、「太平洋食堂」で疲れてすっかり懲りたはずの私が全く懲りていないないのに唖然としていました。そして、「よく考えたがいい」と言われ、私もその通りだと思いました。私の頭の中には、普通の算数がちゃんと分る私と、全く分らない私がいます。それで、その時は「算数が出来ない私」と何か衝動のようなものが私をグイグイと押して、GEKI地下Libertyの劇場マネージャーの多賀谷さんの所に走らせたのです。
多賀谷さんは作家でもあり、私が昔々、「かつて東方に国ありき」で文化庁の創作奨励賞現代演劇部門佳作を頂いた時、同じ入賞で表彰式で出会いました。それでもって、今回の再会は十年ぶりだったのです。ニコニコと助言を下さる多賀谷さんは、神様みたいでした。
終わったからネタばれでどんどんしゃべります。
この際言っておきますが、私がこの「南京」を書くために読んだものはたかが知れています。だれでも、たやすくネットを介して手に入れられるものばかり。本当に便利な世の中になりました。だから、ないだの有るだの言ってる人はちょっとでもいいから、両方の主張の根拠となる一次資料を自分で見たらいいんです。それだけ。スマイスレポートでも、偕行社の南京戦史でも読めばいい。ちなみに、これは無かった派の根拠とされている資料です。あるんですよ、この中に、あの残敵掃討に関する注意事項が。みんな知ってることですよ。それをハンナ・アーレントが言うように、凡愚に実行した。
青・壮年を便衣兵として捕らえよ。捕らえた人は便衣兵を捕らえただけ。トラックに乗せた人は乗せただけ。機関銃で撃った人は便衣兵を撃っただけ。埋めた人は・・・・
「クララ」は元々、堀田善衞の「時間」の後に起きた上海の出来事として書かれました。堀田善衞が敗戦後に上海残留を決めた1945年の上海日記である「滬上天下1945」に現れるクララの面影を探して書いたものです。日中戦争のさなか、室伏クララは南京に新政府が樹立された後、文化政策を担っていた草野心平を頼って、本土から南京へ渡りました。そこで、日中文学者らの作品を翻訳し、せっせと漢奸製造業をしていました。南京では、中国人の青年の恋人が居ました。上海にうつってからは多くの軍人、文化人、外人らと浮名を流し、そのいくつかは、宣撫工作という名のスパイ活動につきものである交わりでもありました。クララがなぜそれを受け入れ、どこへ進もうとしたのか?
クララの恋人である田之倉、クリーンで理想主義者であり、ナチズムに傾倒していた彼をより変質させてしまったもの、それが南京です。私は南京を書く前に、既に変質した田之倉をステージに上げたのです。そんなわけで「クララ」の登場人物達の疵でもある「南京」は、後編のクララではある種、漠としていました。ようやく、「南京」を書きあげ、舞台で演じられる三人の男達のぶつかり合いを見て、なぜかようやく私は「クララ」が分りました。時を遡る形で書いた「南京」はクララ探しの旅でもあったのです。
おいおい、無責任だぞ、時系列に添って上演しなさい!という声が聞こえてきますが。しかし、一昨年の私には南京で起きた三人のドラマを見る力が有りませんでした。というか、南京で起きていること、(虐殺に非ず)田之倉が出会った二人の男が、くっきりと見えなかったのです。英呈と林田がどのよう出会い、死んだのか?何故、田之倉は彼らを抹殺したのか?
不思議なもので、去年の暮れに、特定秘密保護法案の反対の声の嵐の中、あちこちの小中学校で、コミュニケーション教育のワークショップ授業をしていた私は、「ああ、私達は歴史と繋がっている」という感覚を肌で感じました。堀田の「時間」を読み返す内、非常にはっきりと、軍隊の塵芥を吸い込むようにして生きた男・従軍僧林田が見え始めました。もちろん、「時間」にはこのキャラは微塵も存在しません。けれど、そういう現実を全て見知った男が必要だと思ったのです。
田之倉は、クララの中で既に存在していました。英呈は「時間」の中に居ました。二人だけの芝居というのも十分あり得たでしょう。しかし、彼らはインテリで、ある種のクラスの中に生きる人間であり、地獄の戦場に居たわけではありません。私はあの中国戦線において、「南無阿弥陀仏」に縋れる人間というものを、究極の「一書の人」だと考えました。
「一書の人を恐れよ」これの意味を、「多くの書を浅く読む人間よりも、一冊の本を深く読む人は知が深い」とする人がほとんどです。堀田善衞はエッセイの中で、それを一書(聖書・コーラン・マルクス・レーニン)の価値を絶対とし、他を排斥する人を怖れよ、とする意味を採っています。一書に、「南無阿弥陀仏」も加えること、「八紘一宇」「愛国心」何でも入れ替え可能なモジュールです。 南無阿弥陀仏と唱えて極楽往生を願う事。
徴兵制による国家防衛は、宗教と国家権力の結合を必定としました。ですから戦前は、各宗派のトップが靖国に参拝し、文字通り全ての宗教が天皇という現人神の元に膝まづき、服従したのです。まつらう、とは服するということ、一つの宇内を頂いて王道楽土を目指しました。
ここまでは戦場に居ないからこそできることです。
生き地獄たる戦場で従軍僧が唱える「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」エトセトラ、エトセトラ・・・はどのように大陸で響いたのでしょうか。日本仏教による戦前の国家権力との癒着を公表した書物は各宗派から刊行され、その戦争協力への反省は既になされています。今一つ、私が分らないのは、彼らが一書と信じたその一書は、一書たりえるものなか?「汝。殺すなかれ」とどの神々も戒めた、その戒を誰もが破ってあれだけの戦争があった後、再び宗教というものが信じられ語られる、それが私には理解できないのです。
劇中、茉莉が数々の汚辱と暴力にさらされ南京に戻って「それが運命だとは信じないわ」と言った時、彼女はそれまでの神を捨てました。容易い宿命論に逆らい、己の力に依ってようやく彼女は癒えるということを受け入れられた、そう、今になって私は思うのです。不思議ですね。
一方、英呈は宿命に嵌められないようにと、中尉を陥れる林田の計画に便乗してささやかな復讐を謀ります。俺は死ぬのだという思い込みと反対に、首つりの縄は短く、全くもってみっともない失敗をやからします。まだ、お前は死ぬ時ではない、と宿命が言うのです。豚にくわせる運命、その裏をかくことは容易くはないのです。
シベリアの古兵・林田が死ぬ時、脳裏をよぎったのは、南無阿弥陀仏ではなくある女の面影でした。劇中では漠然と、蓮華の亡霊の変化として彼の夢に現れた女は誰だったのでしょう。私は知りませんが、ハバロフスクやウラジオストクにいた日本人女郎のカラユキさん、又は、朝鮮人慰安婦
の誰かです。
戦争で敵を殺す時、人は仏の殺生戒を破り続けます。それを背負ってくれるもの、現人神とは彼らにこそ必要な装置だったのです。それなしに、従軍僧が戦場で兵を鼓舞することは不可能です。太平洋食堂の「高木顕明」が「南無阿弥陀仏を戦争の掛け声にするな!」と叫び、タブーを破ったことは本当に重いことだったのです。
国家と宗教、軍隊と慰安婦、それらを切り離して歴史を語ることは不可能です。