お盆 | メメントCの世界

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お盆


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は~暑い

日本の夏、猛暑の夏ですな。

実家で夏休みしながら、公演のお礼状を書いてます。

お礼状を書くという行為は、感謝しながら自分の悔恨と向き合うことになりますので、なかなかに、大変です。こんな暑い中、杉並区まで足を運んで下さった皆様とは、ある種のご縁を感じます。いやいや、私という人間を知らずとも、「太平洋食堂」という私を観て知って頂いたわけですから。


この異常な暑さは日本各地、どこが楽というのはないのでしょうけれど、何かに睨まれているような、赦してもらえないような「仕置き」の感もあります。そしてうだるような暑さに慣れるころ、やってくるのが花火大会とお盆。我、故郷の遠州地方でも昨夜、花火大会がありまして、私と子どもとお客で、掛川市と袋井市の境目に流れている原野川の土手の上で、「たまや~」と花火見物をしました。その河川敷は幼い私の夏休みの全てでした。河原にある茶畑と野菜畑、水路、お宮とその裏山、プール代りの原野川。



年々、花火も進化するので本当にびっくりするようなのが上がります。これも一発勝負の世界、打ち上げられる花火はどこどこの、工場の花火だと、作家のようにお知らせのアナウンスが入ります。その一瞬に込める花火師の気合は清々しいというか、あっぱれというか。

打ち上げられ、高々と咲き誇る大輪の花を生み出す誇らしさ、一瞬後に花落ちるあっけなさ、刹那の芸術と言えばその通りですが、気象条件で全く同じになることがない花火ですからより一層、愛おしく美しいのですね。しかし、若いころには楽しめた花火は、四十代後半にさしかかると痛い!!何万発も打ち上げられる中、私のハートには「人生とは花火の様に終わるのだ」と、どーんどーんと響いてくるのです。ああ、痛い。



そして次にはお盆です。

たくさんの親戚達、従姉妹やハトコが大集合。大きくなった子供らを久しぶりに見ると血の不思議というのに驚きます。斜めの遺伝です。

私には、二十代後半で拒食で亡くなった「みっちゃん」という従妹がいます。その母親は叔母ですが、幼い頃にずっと預けられていた里に、彼女も婚期を逃したOLとして実家住まいしていました。小学校2年生のころ、その叔母が見あいをし、終に嫁に行くという段、私はずいぶんと甘えてベタベタとひっついてました。

そして彼女の新婚の家庭に、小学生の従姉妹たちと連れだって遊びに行ったのですが、ある意味彼女には晴々しさが無かったのです。何かの引っかかりがずっと私の胸に生まれたのですが、私の結婚式にその叔母とみっちゃんが来てくれた頃には、そんなことも忘れ果てていました。それを思い出したのは、それから28年たった、その時、一歳だったみっちゃんの告別式でした。


年老いた一人の伯母(私には13人の伯母、叔母がいます)は、自分の高校生の孫に言いました。

伯母「あんた、この頃、みっちゃんに似てきたね」

周りはじっと、高校生を見つめて、「うん、似てる似てる」と言います。

孫は「それ、誰?」と、胡乱気に聞きくと、伯母「死んだ子だよ。若くて死んだよ。よく似てるねえ」と懐かしさと嬉しさが混じったような声音で言います。

孫は、益々困った顔で皆の注視を浴び、伯母はカラカラと笑い、ぴしゃっと話をやめました。

そのみっちゃんの事を知らない世代は、死の匂いをイキナリ嗅がされ、不条理な開かずの間に取り残されたのでした。

その生前のみっちゃんの、「万事にこだわる性格」は確かに私の息子にも受け継がれているのです。みっちゃんが三歳のころ、クルクルと玄関先で踊り、それを従姉妹たち皆で囃したてた夏の日は、まだ脳裏にくっきりと浮かびます。その記憶もいつか薄れるのでしょうか。


年をとるということは、見えないものが見えてくるのですが、死者が生きているもののすぐそばに居る、息づいているというのを、お盆の度に思い知らされるのです。繰り返される死の中で、やがては自分の番が来るのだというどうしようもない事実を、ゆっくりと受容するのがお盆なのでしょう。

そうして、私を育てた叔父叔母も90に手が届くようなこの夏、呵責なき太陽は万民を貫き、暑さに声をあげる気力さえも奪って行くようです。この夏を越して、次の夏には、健康やら命やら、つまらない人生など、あらゆる人が雑多な何かを失い、損なうのでしょうね。


来年はどんなお盆になるのかな。