『太平洋食堂』観劇の感想 | メメントCの世界

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演劇ユニット「メメントC」の活動・公演情報をお知らせしています。

名古屋からご観劇頂いたFB友達の玉田さんより、素敵なご感想を頂きました。もう一人のドクトル、大変興味深いです。

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観劇した「太平洋食堂」、素晴らしかったです。
20世紀初頭、和歌山県新宮市に生きるアメリカ帰りの医師大石誠之助が開いた「太平洋食堂」に集う人たちを描いた物語なのですが、大石も彼の仲間たちも1910年の大逆事件(幸徳秋水事件)で捕えられ、処刑されるという…

大石の食堂には、芸術家、アナーキストだけではなく、日露戦争に鼓舞され、「戦争万歳」と叫ぶ人たち、「経済発展」のために街に「遊郭を作ろう」とする人たち、様々な人たちが集まり、自由な討議が行われます。

大石たちは「敵」に対して、鋭く的確な反論をおこないます。何が戦争万歳じゃ!と嗤って「戦争あぶない!」と声を揃えて唱える場面も痛烈です。部落差別への批判、貧しい女性が売られていく遊郭も争点になりますが、いずれの議論も、登場人物それぞれのことばに魂がこもっていて心に響くものでした。

反戦、市場至上主義への批判、女性の権利といった、今まさに課題となっている問題が、イキイキとした「敵」の言説とともに伝えられ、上演中は思わず何度も涙ぐみました。お芝居の中で何よりも興奮したのは、「敵」たちをも包容する太平洋食堂、あるいはドクトル大石の懐の深さです。

なかでも、幸徳秋水の恋人で管野スガをモデルとした新聞記者役の女性の言説が冴えていました。「自由や平等」を目指して社会を変えるというのは、男性には抽象的な理想に過ぎないのに対して、女性にとっては、明確に目標を設定できる企図であるということをあらためて実感しました。

時間的に無理かなあと思ったのですが、どうしても観にいきたくなり、無理をして駆け込んで本当に良かったです。

以下、個人的な話ですが、この芝居、拙著『近代と未来のはざまで』(風媒社、2013年)の討議部分と重なるところが多くて、恐ろしい思いをいたしました。拙著の討議、現代社会の問題を扱ったものなのですが、戦争、天皇制の復活、女性差別、性的マイノリティへの差別を肯定する発言がバンバン出て、こんなものを編集・出版して良いのかと重い気もちになりました。一般的には、こうした座談会というものは、同じような思想をもつ同志が、そうだそうだと言いながら盛り上げていくものだと思うのですが、拙著の討議では、太平洋食堂での議論のように、反動派の居丈高な反発に対して、必死の攻防を迫られました。

とはいえ、私は、討議に参加してもらった先生たちには恩義もあり、何より座談会がそこで頓挫してしまったら、本ができないというおそれもあって、じつはその場では太平洋食堂の大石氏たちのようにズバズバと反論できず、ボソボソと「それは、でも、だけど」と口ごもるばかりでした。

結果的に、速記録を読み返し、悔し涙を流しながら、活字にするときに、「後だしジャンケン」のように反論を書き込んでいったわけですが、人権的に見て、過激な発言は、結局、共編者の同僚が「発禁になるといけないから」と大方削除してしまいました。ドクトル大石が、社会の毒トルを目指したのに対して、私が出した本は「毒抜き」に過ぎないものとなってしまいました

(それでも「毒」を感じて、「怖い本を出しましたね」とねぎらってくださった先生もいらしたので、「一歩目」としては良かったのかもしれません。)

「太平洋食堂」は、そんなドクヌキ本を出してウジウジしていた私に「ドクトルになれ!」と励ましのエールを送ってくれました。この作品を作られた嶽本さんは、じつはリアルでは会ったことがないのにfacebookでおつき合いをしている唯一の友人でしたが、昨日受付でお会いできて本当にうれしかったです。有難うございました。

もっともっと個人的なことを書くと、うちも、ドクトル大石よりは少し後の時代ですが、20世紀初頭に曾祖父たちが一家でカリフォルニアに移民して1930年代に帰国したという家族です。1902年生まれの祖父、玉田倞(とおる)は、スタンフォード大学で医師になり、1935年に和歌山の隣、三重県鈴鹿市で、東京で医学を学んだ祖母とともに医院を開業しました。ドクトル大石と同じように、進んで被差別部落に往診に通っていたそうです。祖父は三重県での開業後も研究をつづけていましたが、レントゲンの実験を重ねたことがわざわいし、肺がんで、1957年に逝去したので、私は話したことがありません。けれども、鈴鹿には、まだ、父の従兄弟など、アメリカ生活を経験した親戚が何人かいます。

いつか家族の足跡を辿りたいと思いながらも、今まで目先のことに追われて手をつけられずにいましたが、今とりくんでいる研究を今年中に一段落させ、来年は必ず鈴鹿とカリフォルニアで調査を始めたいです。

玉田敦子(中部大学人文学部・准教授)