再びの新宮 | メメントCの世界

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演劇ユニット「メメントC」の活動・公演情報をお知らせしています。

再びの新宮 ・・・ 嶽本 あゆ美

 19日、日曜日の夜行高速バスで横浜を経ち、新宮へ向かいました。
 すでに演出家の藤井ごうさんは先乗りして新宮に在り、新宮市内を自転車で駆け回り、太平洋食堂ゆかりの場所を探訪していました。そして、佐藤春夫記念館の館長・辻本さんの案内で、一昨年私と福山さんが巡った場所を見ていたのです。「是非、新宮の空気に触れて稽古を始めたい」というごうさんの気持ちと、助成金のおかげで交通費を捻出できました。

 新宮は三重県と和歌山県の県境、熊野川が熊野灘に流れ込む場所です。紀勢本線で来るとよくわかるのですが、尾鷲辺りの複雑陰影に富んだリアス式海岸線が終わると、ひたすらまっすぐ平らな海岸が現れ、陽光がきらめきます。のったりとたわむ波のラインが、静かでいながら粘度のある海。太平でありながら海面下に不穏さを秘めた熊野灘が現れるのです。その外海が対峙する向こうはアメリカ大陸西海岸。この海を見ながら育ったらその眩しさを目に焼きつけつつも、陽光が生み出すクマどりのような影に、その身体は引き寄せられるる宿命なのかもしれません。

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 とついつい、中上健次モードになりますが、今回私が初めて見た場所は新宮から本宮へ車で30分ほど上った場所にある、松沢炭鉱跡地です。熊野の山は石炭、銅、などの鉱脈が走る豊富な鉱物資源の山塊なのだそうです。たくさんの小さな炭鉱があり、明治中期以降近代化に不可欠な石炭を掘っていたのです。こないだ行った松沢炭鉱は小さなものですが、炭鉱の穴の周りというか、斜面にそって住宅が立ち並び、最盛期には会社の慰安設備なども備えたちょっとした集落だったのです。今でも廃屋が並び、またかつて鉱山労働者だった人が、わずかながら周囲に住んでいました。

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 この「探検」には、新宮の大逆事件の犠牲者を顕彰する会のメンバーも御同行くださいまさした。新宮人は不思議で、何も言わせないでその人のしたいことをさせてくれます。この日も、二年前の洪水で那智勝浦から新宮市内に移った「峯尾節堂記念館」を見学するということをお願いしたら、熊野歴史ガイドの栗林さん、顕彰する会の事務局をしてられる濱野さん、そして熊野新聞さんが待ち構えてました。栗林さんから、丸木伊里、俊さんの書いた「大逆事件の図」の絵解きを聞かせてもらいました。栗林さんは熊野のガイドとこの大逆事件のガイドをボランティアで続けています。そのあと、熊野茶房に移り、会のメンバーと雑談、午後の予定を組みました。この会の人々はそれぞれが際立ったキャラクターの皆さまで、その面白さときたら、私の筆では書きつくせません。その日も、集まったメンバーはこの日も新宮市解放同盟の中上さん、(中上健次さんの従兄の息子さん)もいらっしゃって、前来た時の百倍の笑顔で迎えてくれました。市内の選挙話、太平洋食堂観劇ツアーの話、あーだこーだと盛り上がり、しかもそれぞれが勝手にしゃべっていながらそれぞれつっこみまくっているのです。まるで太平洋食堂状態でした。一番、おかしかったのは、ドキュメンタリー映画にも出ていた、御年84歳になる耳の日に生まれた二河会長の武勇談。二河さんは、この運動の精神的支柱というか、この町の殆どの住民が通った学校の校長先生を退職し、図書館館長を務められたので、本当にこの町の「精神」みたいな人です。先生は依然、2チャンネルに「共産党上がりの暴力教師」という書き込み込みをされてそれに「俺は暴力教師だったが、共産党ではないぞ!」反論したそうです。退職の後は自転車で毎日市内を走り回って大石誠之助を名誉市民にするべく、日々、活動しているのです。そして高円寺の劇場に行くということで、「わしの青春の高円寺だ。昔、わしは親に歯医者になれと言われ、歯学部に三年行ったが、一生、人の口の中を覗いて終わるなんて嫌だ、やはり東京まで来たのだから、男のロマンの早稲田に行きたい!」と親に頼みこんで早稲田に入り、高円寺の下宿から青春時代を早稲田で送ったということです。というわけで60年前の高円寺について語ってくれました。
 都会の大逆事件の研究者はまあほとんど、左の人々ですが、この顕彰する会は右も左も真ん中も多様な人々が活動しているのが素晴らしいなあと。其れゆえの喧々諤々ですね。
熊野新聞さんはいろんな質問の後で、やはり舞台で語られる新宮弁について気にしてました。難しいのです、新宮弁。しかも、みんな俺のしゃべるのがほんまの新宮弁だと、思ってます。はい、その通り。

 二河会長に「目はり寿司」を御馳走になりました。高菜の漬物でくるんだおにぎりとトン汁。朝ご飯を二杯食べたのに、嶽本はまた食べてしまいました。そしてそのカロリーを消費すべく、藤井ごうさんと栗林さんと、あの神倉神社登山に出かけました。往復30分、鎌倉積みと言われる不条理なほどのプリミティブ石段を這って登りひーひー息が切れましたが、ごうさんは平気な顔でスタスタと登っていました。流石。
 神倉からの眺めは最高です。そして、その後、私らはドヤドヤと車二台で松沢炭鉱へ探検にでかけたのであります。(続く)

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