太平洋食堂への道②
前回、脱稿直後で思い切り濃いため息をついてしまいました。すみません。今、皆様ゴールデンウィークでしょうから、本来の自分を忘れて家族サービスやバイトや何ということは無い余暇の娯楽を追い求められていることでしょう。私はこのゴールデンウィークというのが兎に角苦手で、若いころ(学生時代)から子持ちになってからも居場所と身の置き所に汲々します。
わがホームタウンは静岡県の掛川といい、お茶の名産地なのですがゴールデンウィークともなれば、お茶摘みの最盛期、ハウスイチゴの最後の出荷時期と重なり、昔から師走よりも忙しく、高校の部活も連休の間の授業も「今日は茶摘みです」の一言で休める時期でした。今は茶狩り機が主流ですが、30年前は手摘みがまだまだ有力だったので、葉っぱが摘める者は全て、5歳から85歳まで一族郎党駆り出され、芋虫が這ってるような形状の茶畑で籠を片手に、朝から晩まで茶葉を摘みます。茶っ切り娘がたすき掛けで摘んでる絵を想像するかもしれませんが、これがなかなか、退屈かつ熟練のいる作業なのです。
素人は片手で摘み、一枚摘んでは籠に入れます。その際に、1枚につき0.2秒ほどの時間が無駄になるのです。この道50年近い老人は、親指と人差し指で葉をむしります。そしてそれをすぐに、中指から小指でとらえます。その間、すでに親指と人差し指は次の葉をとらえているのです。そして次々と親指と人差し指が摘んだ葉を後ろ?の三本指が重ねて握って行き、その五本の指の連動は停滞することがないのです。手に葉っぱがいっぱいになったところで。籠に茶葉は放り込まれます。ベテランはこれを両手でやります。すごい生産性の違いが歴然でしょう。しかも単純なのに集中力と、虫食いの葉っぱや古い葉っぱを掴みとらない視力と手先の連動が要求されるのです。ですから、1時間、茶っぱを摘み続けると疲れます。
飽きます。おしゃべりを始めます。しゃべってもいいけど、ベテランはしゃべりながら両手を動かすのです。昔の奴隷労働だと、私などはすぐに首というより、生産性が低いのでご飯を貰えないでしょうね。
この退屈と反復は、ピアノのハノンの指の練習と酷似しています。茶葉を五十キロ摘むというのはトンデモナク大変なのです。 この、単純かつ熟練度と集中と退屈を耐え抜かないとゴールデンウィークは終らないものだという、茶業関係の人間は身にしみています。
大学に行ってからは相当サボっておりましたが、それ程、アクティブな学生でもなかったので暇も持て余すことになりました。入間市の山の中の学生寮だったので行き場が無い、そして、周りは狭山茶の最盛期でしたので、周りに茶畑が多く、ドキドキしました。そしてまた、ゴールデンウィークに遊んでいいのかという、既に茶畑から遠く離れていても、幼時から染み込んだ繁忙期にうかうか遊べない人間になってしまったのです。
何で茶畑の話なのか?それが、今年はサボって子供を実家に預けて、高木顕明の百回忌に、滋賀の清休寺に行ったからです。ああ、その悔恨が長いイントロダクションとなりました。次はカプリスです。~続く