顔合わせ・・・今更報告! | メメントCの世界

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演劇ユニット「メメントC」の活動・公演情報をお知らせしています。

ども田中です。

去る11月5日に『クララ・ジェスフィールド公園で』の顔合わせが有りました。

毎度の事ながら写真を撮ろうと思いつつ撮らず後悔しております。

まだ本日8日ですが、なんだか凄い昔の様に感じます。
それ位密度が濃く立ち直りに時間がかかりました。

そんな演出の脳みそが平常以下にしか動かないまま、スタッフさんも皆集まって下さり恐縮至極。
打ち合わせは混沌を極め、翌日は倒れておりました。

本読みは楽しく、台本の重量感に完全に飲み込まれていた私を救って下さいました。

本当に芝居は一人じゃ出来ませんねぇ・・・しみじみ。。。


『愛』と言う物は実に面倒くさく、理屈では説明出来ない物があります。
えっ!?
何を急に? とお思いでしょうが、今回は嶽本の堀田善衛さんに対する『愛』が深く理解が着いて行かない部分も正直有りました。
そりゃそうです。
彼女にとって堀田さんはライフワークと言い切っている位の作家さんな訳で、昨日今日の新参者には入り込む余地はない訳です。


そこで話が本読みに戻る訳ですが、本読みを聞きながら私の脳みそにはある人がムズムズっと浮かび上がって来ました。
今から書く事も、全く他者には理解に苦しむ事かもしれませんが覚え書きとして書いておきたいと思います。
私の祖父は売れない小説家で、曾祖父は海軍の偉い人でした。
因に戦後の日々の糧はお嬢様大学の国文の教授をして得ている様などこか浮世離れした人でした。
私が大学進学に失敗し、出来心から芝居の路に迷い込もうとしていた頃、父は落胆し祖母は何だかイライラしていました。
我が家・特に母方は大学に行かないと言う選択肢はなく私の様な敗北者は許されない雰囲気が一軒家の中に充満していました。
そんな時期、肺を病み話す事すら侭ならなくなっていた祖父が私に言いました。
「貴方は好きな事を自由にやれる時代に産まれたのです。
物書きなんか愚の骨頂の様に言われ体力のある短い期間を(戦争に)奪われる様な愚かな私とは違い今が有る。
自由に自由に生きなさい。判ってもらう必要なんか無いんです」
病院に行くタクシーを母が拾いに行っている短い時間に祖父は只只それだけを伝えたかったのでしょう。
そして過去の自分に
「判ってもらう必要なんか無かったんです」
と言いたかったのでしょう。

今回の芝居には祖父が憧れた様な人生を歩む人が何人か出て来ます。
そしてやはり、そんなには幸せではないのです。
あくまで一般的な幸せですけど。
でも幸せって何でしょうね・・・嶽本の今回の本は幸福に満ちていると私は思います。
文人として、ある使命を負った人間として、色々な立場で自分に嘘をつかなかった一人の人間として、生きる事を全うした人々が出て来ます。
ぐるっと回って今回の台本が、やっと「わたし」がやる意味が判って来た・・・って感じです。
だって通知表で歴史と地理が2だった私ですよ、アメリカと中国が逆に有ると思っていた私です。
もっと言えば神奈川県は沖縄の手前に有ると高校卒業しても思っていたし、明智と聞いたら明智小五郎が浮かんじゃう人間なんです。
世界史なんてもっての他、空(くう)を見つめちゃいます。
でもね、人って単純で「あなたにやって欲しい」とかお世辞でも言われるとやはり嬉しい訳で、「無知は強み!」って事で御座います。

なんやねん!
遅いっちゅうの!
って思いますが、自由って難しいですよ。
少しルールや枠組みが有る方が凡人の私は自由になれるのです。

いつも通り強力スタッフ陣に囲まれ、毎度のごとく役者さん探しに難航しましたがこれが噂の「案ずるより産むが易し」だなっと。
その役をその役者さんがやる意味を模索しながら・・・贅沢な本読みでした。
稽古が始まれば楽しい事ばかりだし、嶽本のオリジナル曲も今から楽しみです。

そしてこれはメメントC・3人の完全分業一回目の公演です。
家庭に迷惑かけつつ折り合いをつけつつ協力してくれる役者さんに恵まれ、作家・女優・演出に徹します。
(まぁ嶽本は音楽・制作もやって貰いますが)
珍しく長文を書きましたが(絵文字も顔文字も有りませんが)、ご覧戴いた方々に楽しんで戴ける物を自由に作って行けたらなぁ・・・と若干傲慢ながら思っておりますので是非是非劇場迄お越し戴けたら本当に嬉しいです。

一同お待ちしております。


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆田中史子