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◇マトメノフミ◇

世も末(節目)となりました。死後に後悔する方が少しでも減るように、私なりにお手伝いをさせていただきます。


神之公園さんのブログ・第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その12(最終)より。

第××項 私見。創造神ならば、この世を終わらせるは不可能ではないが


私は大本教神諭予告。【九つ花に咲く一輪の言霊の火水(秘密)】に関して、言で成る【誠】の仕組で紐解きました。それは驚くことに、大本教出口王仁三郎聖師が世に出された【ス】の神論ではなくて、本来は【ラ】神論だったのです。

まさに、大本教の出口王仁三郎聖師が遺言として残された【信天翁(アホウドリ)】にある、【この大本教に現れた変性女子はニセ者だ】なのです。しかも、それは【みのおわり】を示しているのです。

しかしながら、現在の新神道系の教団ではどこも【ス】の神論で走っています。その中で私がいくら【ラ】神論を説いても、孤立無援に近いと言えます。



明治25年(いち早くにの西暦1892年)に大本教から世に出された【ウシトラ金神国常立尊】とは、牛頭虎パンツの「鬼」で云うの牛虎(ウシトラ)の【魂】論の仕組であったなのです。

大本教からは【五六七】大神として、【みろく神】が世に出されました。そのみろく神とは、当然に仏教で説かれるお釈迦様の死後【56億7千万年】後にこの世の終わりが訪れて、人々が忘れていたお釈迦様の本当の悟りをお釈迦様に代わって説き、人類を【未来の世】に渡すとされた弥勒菩薩のことです。

しかしながら、この地球が所属する太陽系でも誕生してから約46億年と言われており、人類の歴史などたかが知れたものです。一般的に仏教では、今の世は【末法】とされる時期であり、末法は長ければ一万年続いてこの世は終わるとされているのに、56億7千万などの数字はどこから出たのかとなります。私は末法は一万年の予定であったが、八千年縮めたと出た時、エッー!となりました。すると、今じゃないかです。

が、大本教神諭予告【九つ花】を紐解くと、そこに【みろく】の仕組と【お釈迦様の悟り】と【56億7千万の数字】が見事に浮かび上がって来るのです。


ただ、その大本教神諭が予告した【九つ花】を「誠」で紐解けと言われても、誰をもってしても解けるものではありませんでした。それは単なる数字の羅列だからです。言で成るを知らないと難しいのです。


今の世を終える前、人類を未来の世に渡すのが【みろく】の存在


大本教が日本神道でありながら、仏教の【みろく】を表に出したのは、大本教そのものは世の立替論で、今の世が終わるとまでは告げませんでしたが、みろくの仕組が紐解かれることは今の世は終わって【未来】にと向かうので、「みのおわり」そのものを告げるなのです。

実によく出来た【神芝居】の筋書きがなされたのです。


だが、正しき心で創造神の存在を信じる人達は何の心配もないのです。私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と名乗る声は、【この世の舞台が終われば、そういうことだったのかと神々も人民もこの神の仕組に驚いて、この私に大喝采をして、この神の栄誉を称えるであろう。しかし、その途中の筋書きはそなたにも教えぬ】でした。


私は、その人民も神々も創造神に対して歓声や大喝采のビジョンは見ましたが、そこに至る迄の過程は見ておりませんので説明は出来ません。ただ、豊受姫が私に言われた【貴方は立替の大嵐の中を突破する】が本当に出来るのだろうかとは思っています。その時にはかなりの覚悟が必要だと思われるからです。


大本教神諭が予告した【九つ花】とは数列と言霊の仕組でしかありません。しかしながら、その解読をさせる為の言葉の仕組とは、大本教神諭にある「三千」年の月日を要したなのです。

その為に「モーゼ」も「イエス」も「お釈迦さま」まで、その日本語による言葉の仕組の為に出られたとも言えますし、この地球が365.22日で運行しているのも、霊界物語を読めばそこに必然性があったとなります。

私はこの言葉を仕組んだ神はとんでもない神だと言うのは、その仕組が日本の神社や仏閣に鎮まる神霊の力では組み立てそのものが不可能だからです。


ただ、大本教神諭には【世の立替があることはどの神もご存知なれど】とありますが、現実には立替って何だ?。そうした神霊ばかりであり、神界上層部の神霊達は立替を言われても、末端の神霊界に行き届いていない有様を見ると、それが本当に起きるとは断言は出来かねます。どうしても警告の【注意喚起】で終わってしまいます。

為には何も解っていない。解ろうとしない末端神界の神霊は大掃除をしなければならなくなるからです。それには力の発動が欠かせないからです。


私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から【私はこの世の幕を引く】と告げられました。だが、それは単に【人類の滅亡】を意味した物ではなくて、その次に【嬉し嬉しの永遠の世が訪れる】為の「今の世の幕引き」であるとも教えられました。

ただ、その嬉し嬉しの永遠の世とは、この地球上で展開されるのではなくて、聖書のヨハネの黙示録に記載される【今の天地は滅びて、私は新しい天地を見た】の方です。だが、それはあまりにも途方も無いことであり、既存の神霊や天使と称する霊達が語れるようなものでもありません。


私自身はこの世に何の未練も執着もありません。それは何故かと言った時、別にこの世では苦労ばかりであったからという理由ではなくて、私のこの世に出る前の【天の御国】の仲間達との記憶であり、その仲間達の前に【ただいま帰りました】と言いたいからです。また仲間達と【再会】したいなのです。その仲間達への土産話は、この世での私の体験話と言えます。

ただ、私が苦慮するのは中有界の霊でも、この世の人でも【神の御国】に案内しようとした時、どの霊も人も自分の概念の決めつけを起こして来ると、霊界の霊壁を越えて神の御国に導いてあげることが非常に難しいのです。私でも神霊でも言う言葉にそんな方法では登れないと反発すれば霊壁が越えられないなのです。


この霊界の【霊壁】を超える方法は、霊壁の存在すらスピリチュアルでも宗教でも説いてはいません。私の最初の師匠はそんな霊壁は存在しないと言うので、私は師匠が霊壁を知らないことに首を傾げて、他の霊能力がある人を当たったところ、幾多の方がこの霊界の【霊壁】を超えておられました。それらの方達がその霊壁を越えられた方法は、私が説く登る方法でした。

そうした方達は基本的に自己の内在神であるところの正守護神とか本守護神が表に出ておられるのです。その指導の下です。ですから、その言葉に素直に従えるから霊界の霊壁を越えられるなのです。外在神ではそれを教えるとは限りませんので危ないともなるのです。

私の最初の師匠は豊受姫様の御代でもその霊壁を知らず。豊受姫の分魂を貰っておられた2名の女性はその霊壁の存在を知っておられて、その登り方も知っておられたからです。だが神霊の御代に成るような方であれば、その神霊の言葉に反発されないので、その時にはその登り方に疑問を持たずにその言葉通りに従われるでしょう。