流動化〜龍門館〜登竜門 | ◇マトメノフミ◇

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世も末(節目)となりました。死後に後悔する方が少しでも減るように、私なりにお手伝いをさせていただきます。

 
そうした中で私に【店じまい】と【新しい店開け】の言葉が出て来ました。
 
三次元世界の店じまいと五次元世界の幕開け
 
 この世(三次元世界)の店じまいの兆しは西暦2020年から起きたと思われますが、みろくの世(五次元世界へ移行)の店開けがはっきりと見定めが出来ないがありました。
 この日本を見渡しても、もう何もかも行き詰まった状態と言えます。私などは年金暮らしなので物価の高騰に悲鳴を上げていますが、物価のみならず社会保険料の高騰もそこには少子化問題があります。人口減で必然的に年寄りを支えきれなくなるのです。今の物価高は露国のウクライナ侵攻に起因はありますが、円安も物価を押し上げます。日本の経済力が強い時は円高で物価も安いのですが、円安は日本の国の力が落ちたなのです。国が強いとは国を指導する政治家もしっかりしているのです。しかし今は無為無策の政治家だらけと言えます。
 
 西暦2023年は【右左岐(兔)】の年で、世に悪行を積んでいる者達の過去の罪が表に浮かび上がる年となっていました。そして世に次々と諸悪が暴かれるです。
 
 誰しも今の世を見渡すと【流動化】して来たと解ります。そうした中で私は一体の龍が出て来るのを見ておりまして、その龍が【最後の審判】に関連する龍だと感じました。そしてその龍が五次元世界の【幕開け】を告げたなのです。この龍が出て来ないと、日本神話の【天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)】の意味が解らないのです。
 
天叢雲剣の【叢】は【業(カルマ)を取る】で天の雲剣
 
来年、五次元世界に上がれる【登龍門】が開かれる
 
 
 
日本の出雲神話には素戔嗚尊の【八岐大蛇(やまたのおろちたいじ)】があります。また仏教では【八大龍王】が出て来ます。
 
龍と呼ばれる存在は、数字の【八】と関わっている? 
 
 大本教から日本書紀で初発の神と記されるウシトラ金神国常立尊よりも上位の神として、【天之峰火夫皇大御神】と呼ばれる神名が出されました。が、実際にその神を見たという神は神社に祭られる神霊段階には存在していないようです。この【峰】は【蜂(八)】の漢字と関係しており、そこには【峰山の龍待ち】と呼ばれる事柄があるのです。今の世は【七(質)】の世であり、みろくの世は【八】の世で、みろくの世に入るには宇宙創造神。宇宙最高神と呼ばれる龍神の存在を見ないといけなくなります。
 
宇宙創造神が現れる時、世は一気に流動(龍道)化する
 
 
 私はその自分には一億体もの白龍神が従っているという方に首を捻っていました。黒龍神と呼ばれる龍神達は自分達の力を誇示する為に【群れ】て集団化してその霊力を見せつけます。一方、白龍神は一騎でも力があるので集団で群れないのです。何をもって一億体もの白龍神がその人に従っていると言っているのか?。よく解らなかったがあります。
 その一億体もの白龍神の正体が解った時、思わず笑ってしまいました。なるほどそれで一億体もが群れで集団行動しているのかです。それでその数が一億体もあるという意味も解ったなのです。しかしそれは一億体集めても、さほど役には立たないなのです。低い次元界の龍神は数を集めただけでは、総合力パワーがあまり無いなのです。
 
龍神は流神なので数ではなく、総合力パワーで判断
 
 だが、それはいよいよ龍神界に手をつけるぞ!。そうしたメッセージでもあるなのです。そこに【8月8日】の意味があったと言えます。
 龍神界が動き出して来るということは、八岐大蛇退治の神話に起源を持つ【天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)】と呼ばれる神の剣の働きが起きるなのです。 その鍵を握るのが大本教神諭が告げた【大本の龍門館】と言えるのです。
 
 
 
大本教の出口王仁三郎聖師は、綾部の大本教の金龍海は型にすぎず。本当の金龍海は私が住む土地の崖下の綾部に残る伝説の【底無し沼】と呼ばれた場所一帯だと言っておられます。そこを【陸(あげ)の龍宮城】と言われました。かなり広い土地に成ります。私は霊的にその一帯に神殿群が立ち並んでいる光景を見させられて、いったいこの地はどういう土地だったのか?。
その底無し沼と呼ばれた池の地下水脈は、霊能者によれば若狭湾の舞鶴沖、国常立尊が御引退されたとする冠島までつながっていると言います。私は土中に【龍道(土竜)】の存在を知りましたが、海中でも同様に龍道があるのだろうと考えられます。
 
みろく神業に使われるお宝とは、【陸の龍宮城】のお宝
 
大本教では大本教が【龍門館(りゅうもんやかた)】としましたが、それは大本教神苑内に設けた型たる金龍池からでしょう。霊能者によれば私が住む場所が龍宮の門の口に当たると言います。
 
その師匠を通じて豊受姫から聞かされたことは、そこは汚れた土地ではあるが清めに清めれば、やがては【創造神】が天下られる場所とまで言われます。その創造神とは【国常立尊】様のことではないのです。本当の「宇宙最高神」のことです。別の霊能者はその土地は今の神界ではなく、超太古の神界の中心点とまで言われます。 道理で霊的映像は、神殿群が立ち並んでいたのです。
その後、幾人かのサイキッカーや霊能者から、その出来事は既存の日本の神々では手に負えない出来事で、肉体を持つ貴方だから出来たことですと教えられたしだいです。そして、その土地に存在した霊とは、今の世の神々では無いと一致して言われます。
 
それらの霊能者は、
 
この場所は地球の【五次元上昇(みろく世)】の鍵を握ると言う
 
それは大本教霊界物語に記載される。【主の神は三十五万年前に御引退】に関わって落とされて封じ込められていた神々だったのです。すなわち、今の世には出ることが出来なかった国常立尊配下の神達であったと思われます。
 
大本教の出口王仁三郎聖師が、それほど重要な土地を大本教団で所有されなかったのは、自分の子孫にはそうした神霊浄化が出来る者が生まれ出て来ないことだと解っておられたからでしょう。
 
 
 
この曲の五番目の歌詞に【ろくでなし】と【ひとでなし】があります。【ろくでなし】には「陸でなし」と「碌でなし」の漢字が振られていますが「碌」は当て字とされます。【碌】ならば「火水の石」の意味であり玉たる魂を意味します。では【陸】は何だ!。となります。この【陸】の漢字は【六合(天地四方)大神】を表しています。その【六合大神】は大本教霊界物語に出て来ますが、天地四方(宇宙)を支配する神。すなわち創造神のことです。
 
六が無ければ、自己の魂から創造神の核が消えて行く
 
 
 
鯉から【龍】と化す道の途中には【八聖堂(八正道)】が出てきます。しかしそれを仏教の四諦八正道の教えで理解しようとしても、悟りには到達しないでしょう。これは大本教神論予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】から来る【米】型の八正道の理解が無いと悟りにはほど遠いなのです。
 
鯉は【里(田の土)で、実った米が粒(りゅう)】
 
 それが大本教神論の【米ならば野に落ちていても一粒だに救う】となるのです。  
 
 豊受姫から私の使命は【八角堂の夢殿】の意味を紐解くことだと告げられ、法隆寺の八角堂に行ったがあります。法隆寺の八角堂は【救世観音】ですが、そこには朝鮮半島に残されていた【最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。】とある救世の「米」型を出す意味もあったと言えます。そして【観ずる音の観音】です。
 
西暦2023年は、右左岐(兔)でみろく世に行く者を選別
 
 西暦2023年は小さな出来事ですが、不思議な事件が多発していました。個々の人のレベルでこれでもかこれでもかと諸悪が吹き出しているです。まるで個々の過去の罪の精算です。
 
西暦2024年は、みろく世の幹部と成る者を登龍させる
 
 西暦2024年はこれまでの神霊界は一種の店閉めに入り、みろく世で幹部と成る神々達の店開け。すなわち【登龍門の門が開く】となります。衰退して行く者達と新たに起き上がる者達です。
 
 
 
では、良心神はどの様な【行為】によって、自分の魂に【加点】されて行くかです。そこに【仁義八行】の言葉の教えがありました。
仁義八行とは、【仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌】の八文字を言います。その文字の意味を「広辞苑」で調べますと
 
仁…慈しみ。思いやり。礼に基づく自己抑制と他者への思いやり。
  (自己抑制が求められるのでスピリチュアルの何をしてもいいではない)
  (孟子は、身につけた徳で仁政を行う者が王者であると述べています)
 
義…道理。条理。物事の理にかなったこと。人間の行うべき道筋。
  (義において命を落とされた方は天国界に進むが多い犠牲心)
 
礼…社会の秩序を保つための生活規範の総称。
   (新漢語林では、神をまつる。また、その儀式。禮と同字で豊の示し)
   (礼儀を知らぬ者は、神や霊の世界とは遠くなるので無法者)
 
智…物事を理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。
   (仏教では知は一般の分別・判断で、智は高次元の宗教的叡智とする)
   (魂を玉思惟とするのは叡智であり、玉恣意は知に過ぎない) 
 
忠…偽りのない心。真心。君主に対して臣下たる本分をつくす。
  (心の真ん中、片寄らない。それが正直)
  (魂の真ん中に在る天帝に仕える心の持ち主が、最大の忠臣)
 
信…欺かないこと。言をたがえないこと。まこと。宗教に帰依すること。
   (信の漢字の成り立ちは、人と口と辛いで言葉に嘘があれば罰を受ける)
 
孝…よく父母に仕えること。父母を大切にすること。
  (父母のみならず。先祖を祭り、その志を継ぐ。年長者に従う)
 
悌…年長者に対して従順なこと。兄弟中睦まじいこと。
  (悌は弟の心で、順列を尊ぶ。これを破れば、天子をも疎外する)
 
国常立尊は【蛇霊に唆された者達の背信】から、地上神界の主宰神の座から追われてしまわれました。そこから【忠】を非常に大切にされます。そこに、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は【この神だけを唯一の神とする者達は、この私が一人残らず救う。】の言葉があったと言えます。
 
この八字の中の【仁・義・礼・智・信】は需教で人の常に守るべき五種として【五常】として示されて来たものと言えます。この【仁義礼智信】は日本の【武士道】としても知られています。戦国大名の伊達政宗の有名な言葉に、
 
仁に過ぎれば弱くなる。 
 (あまり仁に走ると、可哀想だ気の毒だで物事は破綻する)
 
義に過ぎれば固くなる。 
 (あまり正義ばかりに走ると、何事にも硬直する)
 
礼に過ぎれば諂(へつらい)となる。 
 (尊敬されて礼を受けるのでなく、魂胆からされる過度の礼もある)
 
智に過ぎれば嘘をつく。 
 (単なる学びの智だけでは嘘になる。自己の体験経験に基づく智が必要)
 
信に過ぎれば損をする。  
 (何事も無条件で信じすぎますと、後で後悔や損をする)
 (巷で自分は救世主だと称する宗教家を信じすぎると後で悔やむ)
 
がありますが、【仁義礼智信】も過ぎざれば、そうした弊害が出ます。 その「仁・義・礼・智・信」に【忠・孝・悌】の三文字を加えて【八行】とします。その中で【孝と悌】は似通っていますが、それは神(万物の創造神)に対してとしますと、主の神には【忠臣】であり。主の神を【親】とも思い。主の神に対しては【従順】であるなのです。
今の世の人と昔の人を比べると、昔の人は【仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌】の働きが強く、人に内在する【良心神】存在を知らずとも、良心神の点数が高かったと言えます。