今日、朝6時50分頃だったか、最近日課の父との周辺散歩に出かけ、今までの人生でほとんどしゃべった事のないような事を話した。
父にとって「理想となる教師役のような存在」や「尊敬できる存在」とは、どういう存在だったか。
「JR勤務時の職場の上司がそうだったかな」とかおしゃっていた。
父はどういう存在と「友達となりたいと思いますか」という質問もした。
「趣味があう人で、話を聞いてくれる存在で話していて落ち着く存在かな」というような返答をしてくれたような気がした。
父は「どういう存在をいらない存在と思いますか」について。
父の判断は、「能力が足りなくて、教育を施しても学ぼうとせず、協調性が足りず、時間を守らなかったりする、愚かな存在」とおっしゃっていた。
JR退職後の次の職場にそういう人がいたとか。
私は「いらないと思われる存在にも承認や愛を注いで、能力が花咲くようにするべきじゃないですか」
と言った。
「お父さんは私をいらない存在だと思う?」と聞いたら「そんな事はない」といった返答をされていた。
父は「どういう時私を褒め、私を叱ったか、どういう教育を私に直接言葉でほどこしてくれたか」について。
褒めてくれた事について。
「一番褒めたのは、関学受かった時かな。一緒に入学式も行って撮影もしたじゃないか」
とおっしゃったけど、
「私はその時褒めてもらった記憶がないし、写真に写ったお父さんはあまり嬉しそうではなかった」
と言った。
叱った事について。
「幼稚園の時、輪を抜けて一人で行動していた時」に叱ったとおしゃった。
「それは記憶にないし、私が記憶している範囲では、小学生の時ツインファミコンをお父さんが壊そうとした時の事をよく覚えている。泣き叫びながら「ファミコン壊さないで!」と言っていたのを覚えている。他に叱られた経験はあまり記憶にない」と言った。
直接言葉でほどこしてくれた教育について。
「お母さん任せやったなぁ」という感じの返答をくれた。
「最近でも私は本を渡しているけど、最初から最後まで読んで、直接正常なコミュニケーションにのってくれた事ないね」と私は言った。
父から本をプレゼントしてくれた事はあっただろうか。教育的な言葉で何か教えてくれた事はどれくらいあったか。
人生の中で「理想とする教師役のような存在を精神の内面に取り込めなかった人はどうなると思う?」と聞いたけど、あまり返答をいただけなかった。
私は、「曖昧で実体が分からない強力な存在を仮定して、欲望なり表現が整った高度な形にならない事になったり、自己否定的なエネルギーが自分に向かったりするんじゃないでしょうか」
というような事を言った。
仕事後、吉田豊くん実家前を通って撮影。
「AMNESTY死刑廃止入門セミナー」に行ってきた。
AMNESTYパンフレット。
(やっぱり乾いた感性による表現か小児的な表現になってしまいそうだけど。
長期間にわたる言葉や音声による精神的虐待と、
愛と承認と豊かな知恵を与えてくれる人がいない生活環境が長かったのもあるのだろうな)
今日は、アムネスティ大阪事務所であった「死刑廃止入門セミナー」に父と行ってきた。
到着するまでに時間がかかり、10数分淀屋橋駅から道修町周辺をうろついてアムネスティ大阪事務所ビルを探す。
集まったのは司会者の田森さんを除くと私と父とオシャレな美人さん一人だけ。
その美人さんは警察関係の活動を支持する工作員かと思った。
日本音響研究所と思われる人の力か、幻聴として処理される音声を流された。
死刑というシリアスな話題なのに美人さんが隣にいたから、場にそぐわない変な反応が心の中で生じてしまう。多分それも思考盗聴で公開のだろうけど。されている
あと、その他いろいろ、場にそぐわない変な反応が心の中で生じてしまいそれも思考盗聴で公開されていたように思った。、
そしてそれらの感情を罰するために、ズボンの上から右太ももをペンで自傷した。(帰宅後着替えるためにズボンを脱ぐと、結構その傷ができていた)
警察支持の工作員と思われる女性がアムネスティの「死刑廃止セミナー」にいて、思考盗聴されている事を想定している事からできた自罰の傷。
最初にTVで流された映像は画面の一部が不完全にしか表示されず、字幕や名前の表示が半端にしか見えなかった。
司会者がほとんど中心で話をされ、終わりにさしかかるまでは、私だけが途中で口をはさんで意見を言ったりコメントをした。
それらの映像も思考内容も一般公開されてそうだけど。
アムネスティ大阪事務所には、今後メールを度々送って、体験をコミュニケーションに組み込んでもらおうと思う。
街では普通の歩いている人たちや電車の中に乗っている人たちも、間接的表現で私を酷く表現していたように感じた。
思考盗聴音声はどのように他の人たちに伝わって、どういう判断から他の人たちは冷たい表現をされているのか、事実を伝えて欲しいと思っている。
阪神西宮駅に帰ってからは、父と「餃子の王将」に行き、私は餃子を5つくらい食べた。
ストレスによる小食のようで、最近めっきりお腹がすかない。
食事中、よく髪を切りに行かせていただいている「理容所髪創」に行く事を思いつき、お父さんのスマートフォンで予約を入れ、食事を食べ終わる頃には予約時間になっていた。
歩いて理容所「髪創」に行き、久しぶりに家族以外の他者と豊かなコミュニケーションをする。
「愛について語ってくれませんか?」という話からはじめた。
基本全て「愛に関する事」で会話をした。
私は、エーリッヒ・フロム「愛するということ」、エヴァの綾波レイ、「寄生獣」の思考、などを作品として出ている文化の中から引いてきて喋った。
「両親が子との絆を断とうとしても、子というものはいつまでも両親にとって大切なものであるという意識は残る」というような事をおっしゃって、少し涙が出て自分の中の何かが浄化されたような気がした。
知性と愛の関係についても少し語ったかもしれない。(これは大阪で思った事だったか)
「感情表現の裏付けのない知性など存在しないという話がある。昔のサイエンスフィクションに登場するアンドロイドのような、感情表現に欠けた天才的頭脳の持ち主など存在しない」
というような話だったか。
「同じ人間でも、こいつは同じ人間とみなせないという人がいるとしたらどういう存在ですか?」
と私が聞いたら
「感情表現が欠けていて頭を使って表現していない人かな。でもそういう存在も環境が酷くて自己防衛反応としてそうなっているのかも。でもそういう人は自分の事を被害者だと思っているのかも。そういう人が客として来たら普通に対応しますね。暴れてもらっても困るので」
とおっしゃった。
久しぶりに家族以外の他者と自然な感情表現の入ったコミュニケーションができて、とても嬉しかった。
もっと日常の中で他者と豊かなコミュニケーションができたら嬉しい。
できれば文字に残る形式で対等な人間として文字に残る形式で。
愛について深い話で普遍的と思われるものを長文でできたら嬉しい。
ネットで愛について語り合うサイトはないのだろうか。