ちょっと今、村上龍先生の文章からの引用改造文のタイトルを変えてみました。
これからホームページの文章のタイトルも変えようと思います。
そしてこの記事を書いた目的は新しいカテゴリー・テーマ「涙を流した愚人」を追加し、
ドライな愛を持ちながら愛に関する事で涙を流す自分について記録しておこうと思ったからです。
今日は、「壊れた鏡、または涙を流した愚か者」を読んでいて(読みあげていて)、三度程涙を流す場面がありました。(言葉がつまって読み上げれなくなった)
+++涙を流して言葉につまった場面(紫色とブルー)+++
D「子供の頃から人に優しくされたりうれしい言葉をかけてもらったり抱きしめられたりしてくると、自分はそう捨てたものではないな、そう思うことを繰り返すことで、人は自然なコミュニケーションを学ぶのです。それが足りなかった人は自尊心が低かったりする。自己評価がうまくできないから上手くコミュニケーションができなくて感情表現もできなくて、自己否定的な愛の不足した愚か者になってしまう」
藤田は昔思っていた事は会話として成り立つことは少なかった。思っている事は、「人生に意味はない」と。考える他人さんは、「人生に意味はある」とおっしゃっていた。私は仮想のCDさんとその事についてもしゃべりたいと思った。
「人生に意味はないですよね」
CD「あなただけでなく人生に意味がないとするのが多くの賢者の意見です。私もそう思っている。意味のある人生なんか誰にもない、誰だって代わりはいるし、いつか意味のある人生を送ろうとしてもそういうのは無意味だ、誰かから本当に必要とされている人間なんかどこにもいない。だから俺たちは自由なんだ」
K「意味を志向性とした場合、私は私の人生に意味を感じている。誰かから必要とされている人生というのも意味のある人生ではないでしょうか。藤田さんが勝手に無意味を感じていても私にとって意味の感じられない事だからよそでやってくれないですか?」
「多量の低能な表現を掲示板でやって申し訳ありませんでした。社会常識に反した書き込みもして迷惑で不快だったかもしれません」
K「まぁ義務と礼儀として関わってあげているという感じでしたね。原始仏典の教えを尊ぶので怒りや見下す感情は押し殺していましたが」
詩を朗読していた人は自己分析のために現在は村上龍さんの「タナトス」の記述を借りていた。
そこでは占い師が数字の0と1によく似た文字をノートに書き記していた。
藤田の精神の実質を見ようとしている人は藤田の心象風景を眺めて「何かが壊れている」と言った。
K「ああやはりそうだ、鏡だ、鏡が壊れている」と。
D「そのことを聴きたい、話してもらえるでしょうか?」
「私は東京の新宿という街の、バーやスナックやそういう飲み屋が集まった場所といった心の風景に住んでいました。1階が現代思想研究会で、2階がフランス語の講座のあるカルチャーセンターで、3階が探偵事務所で、4階がメンタルヘルスのクリニックで、5階に住んでいました。そしてすぐ傍らに粗大ゴミの集積場所があって、ある日そこで鏡を見つけた。そしてその鏡は壊れていました」
K「その鏡は、あなた自身だ」
D「藤田さん、あなたはあなたと他者を通す経路が片寄っている。ある人があなたの心に入ってくるとき、その人はその通路を通ってやってくることになる、その通路以外から他者を自分の中に入れることは少ない、実を言えば他者だけではない、自分はもっとも手強い敵であったりする他者だ、あなたの心の中の風景は荒涼としている。あなたは不幸な境遇の人間に興味を持つ、安定していない自己否定的な人間と言ってもいいのかもしれない、それは、安定している人間は自分などに興味を持つわけがないと決めているからだ。愛の不足した愚人さんは最初から、全ての人間には荒涼とした景色しかないのだと決めている、愛の不足した愚人さんはその荒涼とした景色しか知らないからではない、あなたは本当はさまざまな美しい景色を知っているはずなのだ、だが愛の不足した愚人さんはそれを受け入れようとしない、美しい景色を受け入れるのは失った時の失望と悲しみが大きいからだ、それが手に入りそうになると愛の不足した愚人さんは自分のほうから、また外部からの誘導もあって荒涼とした景色の方へ行こうとする。愛の不足した愚人さんは自分に対する評価が低い。鏡としての機能を持った他者に写った自分を見て、人は自分のことを理解する。だからあなたと共に生きる人は常に暗い画面に映った自分自身を見ることになる。あなたは自分で自分をほめるということがどういうことか分からない、あなたは荒涼とした景色の険しい山々の中腹にいる、山の中腹のわずかなスペースであなたは待っている、自分によく似た旅人が荒涼とした風景の中からやってくるのを待っているのだ。やがて近づいてくる旅人をあなたは見つける。あなたはその人から求められていることがわからない、実は分からないのではなく、“その旅人はあなたを求めてはいけない”と思い込む。自分は承認を求めていながら、共同幻想の門番としてふるまったりしてしまう。本当は他者もその門番をやっていながら」
「私をそういう道に歩ませようとする人もいるのですか?」
愛の不足した愚人である私はそう聞いた。Dは0と1の数字を書き付けたノートをめくり、たぶん、と言った。
+++自己分析も兼ねた文章を梶浦由紀先生の歌詞から引用改造してみたのを載せてみる+++
+梶浦由紀「Magia」引用改造+
いつか私が胸に刻んだ愛の喪失が、時を越えて、祝福されたい反復の世界で涙へと変わるだろう
沈黙の中でまなざしを向け、無意識的に模倣表現を繰り返しているのが中心の私に、人々が望むものは何?
他者の語らいに埋もれた灰色の世界の住民は、社会復帰させていただけないのでしょうか?
ドライな愛を持った私の心に、潤いを与える言葉と承認と正確な情報が欲しい
書物とペンとノートとCDとパソコンだけが頼る全てだった
言葉が心を捉えた夜に、新たなコラージュが生まれてくる
私はまだ事実を知らず、ほとんど一人きりの夜の病棟のホールで文章をつづっていた
魅力にかかわらず人は皆平等で自由に生きていていいと思っていた
無口に不快感と精神的苦痛に耐え、見世物生活の突破口となるような言葉に出会う為に本のページをめくる
書物だけが頼る全てだった
+++涙に関する自己分析+++
1、愛と承認に関する問題で自分の心の傷にふれる事で涙を流す
2、警察関係者と勝手に思っている人の涙で涙を流す(向こうからは気色悪いと思われているようだけど)
3、戦争の悲惨さを感じた時に涙を流す
4、戦争という大規模な死をもたらす事でなくても、個人の死でも心が痛み哀しくなる。面識のない人でも
5、かつて愛を捧げた直接コミュニケーションをした事のある相手の<まなざし>を、独りの時に感じた場合(その人が私を低評価していても)
6、祝福に関する事。人生の中で言葉と笑顔でもって祝福された経験の少なさについて
7、他者が負った病や心身の傷を想像する事によって
8、他者が不当に差別されている事の苦しみを理解したとき
9、尊い深い人間の心の真理に触れたとき(原始仏典、キリスト教徒の言葉など)
10、心から尊敬している人の事を思ったとき(その人が私の生を軽視していても)
11、笑顔でいる家族全員が写っている写真を見たとき
12、兄のように誉められて育ちたかった、という自分の心に気付いたとき