【壮絶体験記】私が「自分」を失い、再び歩き出すまでの記録②
こんにちは統合失調症ママ♪めめ♪です社会人1年目の23歳で統合失調症発症。投薬を続けながら結婚し今は2児のママをしています🍀少しでも同じ病気の方のお役に立ちたいこの病気を正しく知ってもらい病気があっても明るく生きられる世の中にしたい🌸そんな願いを込めて、日々を綴っています🍀私の過去の体験談この記事には、私が統合失調症を発症した当時の少しショッキングな内容が含まれています。もし今、同じような不安を抱えて辛い気持ちの方がいたら、無理をせずにページを閉じてくださいね。病気があっても明るく生きられることを伝えたい。そんな願いを込めて、過去の自分と向き合ってみます。いつもは朝の工夫など明るい話題を書いていますが、今日は少しだけ、私の根底にある『病気との出会い』について書いてみようと思います。【壮絶体験記】私が「自分」を失い、再び歩き出すまでの記録①の続きです。今でも鮮明に覚えているのは、オーディション帰りにモデル仲間にお茶に誘われた時、私が何か話すと目の前の友人の顔が信じられないくらい曇り出す。あのように人の表情の変わっていくさまは一生忘れられない。そのくらい何を言っているのか分からない、もう既に錯乱していたのだろう。その状態で助けを求めて仲が良かった友人の所へ行く。その友人も「疲れているんだよ、とワインでも飲んだら」と進めてくれ、話をする。その時も友人の表情がどんどん歪んでいく。それでも爆発しそうな頭を抱え込み、私は自分の家まで、帰った。いよいよ頼る人も居なくて、元彼を頼ろうと飛行機のチケットを予約して羽田まで向かおうとしていた所で、道に倒れて救急車に乗って運ばれたそうだ。どうしてここまで追い詰められるまで私は病院という選択肢を思い付かなかったのだろう。でもこの頃はもう自力で行くのは無理だったのかもしれない。運ばれたものの、ベッドがいっぱいだと断られて家に返される。2日後、更に錯乱状態で病院へ向かう。実家から病院まで高速で2時間くらい、その間ずっと、ラジオから聴こえてくる音声がそのまま幻覚になったり、トイレにもまともに行けない状態だったようだ。最終的に注射と全身拘束で保護室に入る。保護室は怖くて堪らなかった。トイレに行くと言って何度も逃げようと試みては失敗していた。狭い窓もない部屋で洗濯機の回る音だけが日常が感じられる唯一の救いだった。両親が面会に来るのも最初は怖かった。看護師さんについてもらって、面会した事もあった。主治医はよく「今は脳が焼け野原の状態」と言っていっけ。安静にして修復を待ちましょうと。「私はもう一生ここから出られないかも。ずっとこのままなんだ」と泣いていた事もあった。その度、看護師さんが「この病棟の患者さんはね、全員良くなって退院するんですよ」と優しくなだめてくれた。その時の私には今のような生活は全く想像も付かず、自分の身に何が起こったのかもまだ理解できてなかった。今日はこのくらいでまた続きを投稿しますねこちらもメンタルを整えるのにオススメ🙌↓完訳7つの習慣 30周年記念版 [ スティーブ・R.コヴィー ]楽天市場完訳7つの習慣 人格主義の回復 [ スティーヴン・R.コヴィー ]楽天市場ぼくに7つの習慣を教えてよ! リーダー・イン・ミー [ フランクリン・コヴィー・ジャパン株式会社 ]楽天市場いいね👍やコメント📝励みになりまた遊びに来てねフォローはこちらから🍀めめの楽天ルーム始めました♪