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こんにちは、まりちゃんです

 

 

 

自己流ゲジュタルト療法をしていて

物心着く頃から言われていた

性格が悪い

いじ腐れだ

短気だ

意地悪だ

っと責められてきたことを

脱却したい

もっといい人になりたい

もっと優しく穏やかな人になりたい

っという憧れを抱いていたんですが

だいぶそーゆー人になれてきています…

 

 

 

じゃあ、そんな人格で私は幸せけ?

って聞かれたら

 

 

 

私は

…そーでもない、そんなに幸せでもないし

なんなら、あんまり楽しくもない

自己満足は多少なりともあるけど

なんか自分じゃない気分もあるし

以前よりかは我慢できないわけじゃないから

スルーしている部分もあるけど

でも、もやるところはあるし

そのもやもやは自己流ゲジュタルト療法が

あるから大丈夫なんとかなる

っていう思考があるから

何とかなっているけど

正直これでいいのかなぁー感はある

これで幸せなのかなぁ

なりたかった自分に慣れているけど

憧れのあの子になって私は満足なのかなぁ?

これは自分じゃない感もある

って答えるかなぁ

 

 

でも、じゃあ本来の自分って何なんだ?

ってなると…捨ててきた

短気で怒り狂ってて

トチ狂っている自分なんだろうなぁー

って思った

 

 

で、そうなると

今働いている職場はそのキャラじゃぁ

うまく機能しないだろうなぁー

村八分にされそうだわー

異色すぎて

 

 

 

で、その異色を受け入れられるほどの

器が自分にないことも事実で

それが受け入れられないから

自分の性格を捨てて

穏やかな人間性を求めて今に至るんだけど…

 

 

 

そもそも、保育園の頃から

集団生活に馴染めなかった…

いや、別に集団生活はよしとしても

正直人間の好き嫌い合う合わないが

結構はっきりしているから

そこらへんでうまくいかない…

じゃあ、集団生活ってそこも含めて

しゅうだんせいかつだよねぇ…

まぁ、得意ではない

不得意の私は…

そこでストレスを抱えてダメになるならば

 

 

 

そもそも、自分を変えて我慢してまでも

どこかに所属するよりも

別の道を模索するのがよかったのではないのか??

ってちょっと思うようになってきました。

 

 

 

 

40歳になるまでずーーーーっと

自分の性格を変える努力をしてきて

ストイックにやってきたつもりはなく

なんか色々と転んで転がっていった先に結果として

まぁ、大体の理想通りには叶ったのですが

結果として時間というものを捧げてしまい

独身子供部屋おばさんが出来上がってしまったんですが

 

 

 

…まぁ、それは致し方ないとしても

叶った割に

冒頭に戻るのですが

これでよかったのかなぁ?っていう感覚が

うっすら出てきているこのごろですー

 

 

 

じゃあ、どうなりたかったんだろうー

って言うと

もう一つの憧れとして

自由に好き勝手言うキャラクターの子に

憧れていたこともありました

自分の強い意思で困難を薙ぎたをし

周りを巻き込んでいく台風みたいな

あの子、結果的にはご都合であっても

周りが幸せになっていて

そんな彼女に憧れたりしました

…具体的に誰だと言うわけじゃないのですが

そーゆーわがままな子に憧れていたんだと思います

 

 

 

 

うちの家族はそーゆーのはわがままだと非難してくるので

そのキャラのように強い意志や薙ぎ倒すほどの

胆力もなく

周りから否定され続けて

潰されていったんですが…

 

 

 

あとはマスコット的なキャラクターにも

憧れました

かわいい、アイドル的な小さい小動物的な

愛らしさがあるキャラクター

コロボックルみたいな小さい妖精的な

愛嬌ある存在にも憧れていたりしました

 

 

 

そうなろうと、言動や行動でやってみたりした時期もあったんですが

天然物ではないので

いじられることに嫌気がさして

負担がかかりやめました

私には無理だし

外見的にも私の理想像と私自身が違うので

やめちゃいました

 

 

 

明るくてみんなと仲良くなる子にも

憧れていましたが

頑張って声をかけたり

試行錯誤して勇気を出して声をかけたりして

頑張っていたのですが

ことごとくうまくいかなくて

もう私は陰キャの日陰もののブスだから

悪いんだーっと思うようになり

諦めていたんですが

 

 

 

自分の気持ちを整理したら

無理をしない範囲での交流を

することを心がけたら

だいぶ交流が楽しくなりました

 

 

 

小学校の頃理想だった

漫画のあの子のようにはなれませんでしたが

無理のない範囲で私なりの分け隔てなく

楽しく交流できてはいるので

それでいいかなぁー

って思っています

 

 

 

ってな感じで

憧れていたものが叶っていたり叶ってはいなかったり

しているんですが

 

 

 

あの頃否人格定されずにそだっていたら

私の意思や発言の尊重をされていたら

人間関係で大きく悩むことが起きなかったら

自分を否定せずに育っていたら

何を望み、どんなものに憧れ行動し

夢を持ち進んでいったのかなぁー

って思ってしまいます

 

 

 

ゆーても、同じことを望み

同じことで躓き

同じ今の感じに行き着いているかもしれませんが…orz

 

 

 

…いや、多分違うか

自分の言動や行動が肯定されて受容されて育っていたら

そもそも、芽生えた自分の価値観が否定されることがないから

また違った感性が育ったかもしれないなぁー

そう考えると、私とは全く別の私が存在するんだろうなぁー

 

 

 

これから、どうすればいいかはわかんないけど

居心地はいいんだけど居心地は悪い人格に居座るのも

なんかちょっと違う気がするので

また模索していきたいと思いますー

 

 

 

 

 

 

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