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食道ガンの父との記録

両親の不和により、同じ家に住みながら十何年も避けてきた父が先日食道ガンだと診断されました。ステージ4です。リンパ転移により、手術ができず現在抗がん剤治療と放射線治療を受けています。余命9ヶ月と言われた父との闘病記録を綴っていきます。

ある日、父が台所に置き手紙をしていました。

内容は、定年後に働いてきた仕事を先週辞めたこと。そのため、今後の収入が年金のみになること。そして昨年の秋から胃が痛く、先日市内の病院で胃カメラ、エコーの検査をしたことでした。

母に頼まれ、私は父の部屋へ。
「胃が痛いって大丈夫なの?検査結果は出た?」と父に聞いた。父は「胃がんだべ」と答えた。父は東北出身で、いまだにむこうの方言がぬけていない。

私「胃がんって…、お医者さんが言ってたの?」
父「いや、言われてねえ。でも胃がんだべ。」
私「まだ言われてないなら、勝手に決めつけたって仕方ないでしょ。食事はおかゆとかがいいの?」
父「なんにもべつに変えなくていい。食えっから。」
私「…そう。結果はいつわかるの?」
父「わかんね」
私「…。じゃあ、わかったらちゃんと教えてね?」

そんな会話をした翌日、病院から電話が。父は検査結果を聞きに病院へ。
結果は食道ガンでした。

食道ガン?胃じゃなかったの?

てっきり胃に異常があるのだと思っていたので、意外だった。

検査をした病院側で、市内でいちばん大きな国保の病院へ紹介状を書いて父に渡してくれていた。いつ行くのか父に確認し、わたしも一緒に行こうか?と言ってみた。いつもならたいてい「いらねぇべつに。」と言うような父だか、その時は「ん?……。」と迷っているようだった。「一緒に行ってもいいんでしょ?休み貰うから、一緒に行こう。」と言って、二階の母のところへ。

母は「大学病院とか、がんセンターの方が良いんじゃないかねえ。。」と言っていた。わたしは「とりあえず紹介状書いて貰ってるから、そこで診てもらって状況によって病院変えてもいいんじゃない?」と母に言った。

紹介された病院へ行く途中、車を運転していた父が突然言った。「おれが死んだらこの車やっから(あげるから)。まだ4年しか乗ってねえからあと2年は乗れっから。車検も受けたばり(ばかり)だから1年半は大丈夫だがら。」わたしはドキッとした。「ははは。ありがとう。でもまだなんにもわからないでしょ。まずは治療して回復することを考えなきゃ笑」そう答えるのが精一杯だった。病院では改めて胃カメラ、CT、PET、エコーの検査をし直した。先生によると、食道ガンにいちばん良い治療は手術。ただし転移の状態によっては手術できないことがある、とのことでした。

数日後、検査結果を聞きに病院へ。いろいろな前置きがあったが、ようは大元となっているガンから遠く離れたリンパにまで転移が認められたため、手術は適さない。抗がん剤治療と放射線治療を行なうとのことだった。当初先生の説明に「はい…。はい…。」と返事をしていた父が、手術できないと聞いた瞬間きら声を失ってレントゲンの画像を凝視するだけになった。

ステージ4。

治療はするが、完治させられない。
そういうことだった。喉の奥がぎゅうっとしめつけられるようだった。

帰りの車の中で父は「手術は適さず。延命治療か。」と少し笑うような声で言った。無理をしているようだ。前日の夜に「どうせ末期だべ」と言ってはいたが、まさか本当にそうだとは。実際に先生から言われると一気に現実感にショックを受ける。
「いや、抗がん剤と放射線の治療するならまだ見込みはあるんだよ、きっと。一か八か、がんばろうよ!」なんて言いつつわたしも混乱していた。