連絡して数時間後に旦那が病室に来ました。
先生からはもう説明を受けたようですが、泣いてる私に対して旦那は冷静でした。

「いま生まれたらどうしよう…。まだ750gしかないのに…、赤ちゃん生きてられないかもしれない…」
というと、
「なるようようにしかならないけど、俺はすごく運が強いから大丈夫」
根拠ない言葉でしたが、ふっと力に抜けたのを覚えてます。


初日に頂いた入院計画書には、

「切迫早産」

と書かれていました。
たまごクラブなどで知ってたけど、無関係だと思って読み飛ばしていました。
1ヶ月前の検診ではすこぶる順調だったし、お腹がよく張る訳でもなかったので、まさか自分が…って感じです。

入院中は、子宮収縮を抑える塩酸リトドリンの24時間持続点滴と、日に2回の抗生剤の点滴、毎朝の膣洗浄と膣剤投薬を受けながら、トイレ洗面意外は歩行禁止のベッド上安静生活を指示されました。
入院期間は未定、35週以降なら退院できるかも、と言われました。
今では病院で年越しする覚悟もできたけど、その時は2ヶ月以上旦那と離ればなれで、おうちに帰れないことが悲しくてつらくて…ガーン
旦那が寂しくないようにって、置いていってくれたスヌーピーのぬいぐるみを抱きしめて、初日は泣きながら眠りました。
入院当時のことを振り返って。。。

休み明けの月曜日。
その日は25wの定期妊婦検診でした。
今夜は旦那の好きな唐揚げにしようと、冷凍してあった鶏肉を冷蔵庫のフレッシュルームに移して、病院に行きました。

1時間程待たされて、まず経腹エコーがありました。
まだベビーの性別が不明だったので、エコーをすごく楽しみにしていたのですが、あんよを行儀よくぴたりと閉じていて、その日も分からず仕舞いあせる
でも、赤ちゃん元気ですよ、いま750gくらいですね、順調です、と言われて、ホッとしましたニコニコ

その後に問診と経膣エコーがありました。
それまでにこやかだった医師の顔が、経膣エコーのときに急に険しくなりました。

「このまま入院してもらいます。ご主人に連絡して下さい」

即断で入院が決まってしまいました。

「本来4cmある子宮頚管が3mmしかありません。今のところ破水はしてないけど、いつ子宮口が開いてきたり、破水してもおかしくない状態です。この病院では25週の早産児に対応できないので、NICUのある病院に受け入れて貰えるか打診してみます」

それまでなんの自覚症状もなく、順調だとばかり思っていた妊婦生活だったので、(何が起きてるの…?赤ちゃん生まれちゃうの…?)と茫然としたまま、そんな説明を受けました。

今後の治療方針などの話のあと、その場で点滴を繋がれて、よくわからないまま、車椅子で病室へと運ばれました。

25w0d。
これが、私の長い入院生活の始まりです。