この記事はタイパー Advent Calendar 22日目の記事です。
**********************************************************************************************
司っていう英語タイパーがいるんだけど、この人、以前はタイピング小説をブログに投稿していたのに、あるときからめっきり書かなくなっちゃったんだよね。俗にいう黒歴史ってやつだと思うんだけど、黒歴史になっちゃうってことはつまり、作品に自信持ってなかった証拠なんですよ。ま、その小心野郎が書いた真っ黒な小説を、今日の講義ではやるわけなんですけども。うん、なに、金払って大学来てるのに素人の小説を読ませられる義理はないって。君ね、普段は後ろの席でずっと突っ伏してるのに、こんなときだけ主張したってそりゃ通りませんよ。いや僕だってこんな小説の解釈やりたくないの。だけど教授にやれって命令されたんじゃ非常勤の僕は逆らえないんだから。許してちょんまげ。えっ、どうしても読みたくないから帰るって。単位いらないの。行っちゃった。どうも文学部でよく本読んでる学生ほど素人の書いた小説に今みたいな拒絶反応示すみたいなんだよね。ふう、また前置きが長くなっちゃった。では出席取ります。三宅くん。欠席。井上さん。欠席。あれっ、ちょっと待って誰もいないじゃないの。教室間違えたかしら。オホン、えー、ではまず一作目の『タイピストの夢の装置』から。テキストの11ページを開いてください。もう皆さん読んできてくださっているかと思いますが、念のためあらすじを説明しておきますと、多忙の人気作家がですね、まずおりまして、これが執筆速度を上げるために脳波入力装置を買ってきます。この装置なんですが、頭に被って使うものでして、えー、いわゆる、そう、ヘルメットみたいなものです。そしてこの作家、ここで思いついた。閃いたんですね。降りてきたんです。何を閃いたかというと、夢を言語化できるのではないかということをです。つまり、これを被って夢を見るとですね、夢の内容がですね、そのままパソコンの画面に文字になって出てくるんじゃないかと。それで、夢が小説になるわけなので、これを出版しようというわけなのです。要するにSFというやつです。これを書いたひとの名前、えーと司といいましたか、この人、筒井康隆に傾倒しちゃっているんです。日本文学史というのは筒井康隆が産声を上げたところから始まって、筒井のデビュー直後の作品を古典文学、絶頂期を中世文学、断筆以降を近現代文学でもって理解して、筒井が死んだら文学も終わると思ってるの。それだから今も『文学部唯野教授』の文体を必死に真似しようとして書いてるんだけど、全然上手くいってないから面白いよね。ま、本人の読書遍歴についてはこの辺にしておいて、さっそく作品解釈のほうへ行きましょ。ところでこの作品のテーマって何だと思います。ハイ、記録速度の極限化です。よく出来ましたプラス100点。君はもう学期末のレポート出さなくてよろしい。それで記録速度なんだけど、タイピングって、要は書くことなんだよね。大昔の人は棒で粘土板に文字を書いていて、文明が発展するとこれが葦とパピルスになって、かたや中国では何千年も前から筆が存在していて、ヨーロッパでは15世紀に活版印刷が始まって、そのあとは鉛筆やら万年筆やらタイプライターやらが立て続けに登場します。ちなみにこれ欧米の話ね。日本語ってのはこの辺見てもらえば分かるとおり、文字の種類が多すぎてタイプライターとワープロの開発・普及は遅れ気味だったの。それでそのタイプライターがワープロになって、ワープロがキーボードになるわけ。今だったらここへ音声入力を付け加えてもいいと思うんだけど、おれ、音声入力嫌いなんだよね。だって公の場所でそういう言葉検索できないでしょ。何が言いたいかというと、キーボードは筆記具、タイピングは記録行為ってことなんです。情報を記録するためには、記録方法と、記録媒体が必要。記録方法のほうは、キーボードでタイピングするとか、鉛筆で書くとか、プリンターで刷るとか、そういったもの。記録媒体は、鉛筆とプリンターなら紙だし、キーボードなら、これはワープロソフトってことになるのかな。ハードディスクかもしれない。おれ文系だから、そこんとこよく分からないんだよね。ところで学生諸君の中にはタイパーやってる人もいて、そういう人は大抵タイプウェルやってると思うんだけど、タイプウェルでタイピングするのは記録行為になるのかなあ。練習履歴が残る点では記録行為かもしれないけど、実際にはほとんど複写行為ですよ。ま、筆記具の歴史はこの辺でおいといて、作品のほうに戻りましょ。それでテーマは何だっけ。そう、記録速度の極限化でした。ここで作者が言ってる記録速度ってのは人間の頭の中のものを言語化する速度のことで、印刷機で印刷する速度のことじゃないから注意ね。キーボードの登場によって、人間はずいぶん速く記録できるようになりました。えっ、速記があるだろって。でも速記ってどちらかというと複写に特化した記録方法って感じがするんだよね。いまの日本で、普段から速記で文章を書いている人がどれだけいるかって考えると、やっぱりほとんどがペンかキーボードで書いてるだろうし、これだっていつほかの記録方法に取って代わられるか分からない。ええっ、タブレット端末にタッチペンで書く場合はどうなる、だって。キリがないなあ。ま、いずれにせよこの作者は脳波入力によって記録速度にさらなる革命がもたらされると考えてるんですよ。SFにしては時代考証が甘すぎるし、ここまで言ってきたような筆記具の歴史が全然踏まえられていないあたりがやっぱり素人なんだなって感じ。一発ネタを文体で煮込んでやれば小説になると思ってるんでしょうね。で、その一発ネタっていうのが、脳波入力装置によって夢を言語化するってやつ。ここ、完全に筒井の『パプリカ』なんだけど、著作権大丈夫なのかなあ。言語化された夢を小説にするって考え方と、主人公の見る夢の内容がハード・ボイルドってとこからも筒井臭がするし、ここまでくるともう個人崇拝の域だと思うんだけど、それでいてこの人、筒井の小説全部読んでないんだよね。
< 筒井康隆とワープロ >
執筆環境にいち早くワープロを取り入れた作家といえば、安倍公房が有名ですけれども、筒井康隆もそのうちの一人なんです。
筒井は1989年に『残像に口紅を』という小説を発表しました。昨年だったか、忘れてしまいましたが、お笑い芸人のカズレーザーさんが紹介したことで売上が激増して話題になりましたので、もしかしたらタイトルをご存じの方もいるかもしれません。
この作品は、章が進むにつれて使える文字が少なくなっていくという、いわゆるリポグラム(文字落とし)の手法で書かれています。これは例えば、章が進んで「あ」が使えなくなると、「愛」という概念も小説世界から消えてしまい、登場人物たちは誰も愛せなくなります。同様に「つ」が消えると主人公の「妻」が消え、「む」が消えると「娘」も消えてしまいます。こんなふうにして、消えゆく世界の中で主人公が奔走するというのがストーリーの大筋ですが、『虚人たち』をはじめとした筒井のメタフィクション・前衛小説の系譜や、筒井の断筆騒動なども頭に入れて読むと、より楽しめると思います。
筒井はこの作品を書くにあたり、どの文字をすでに消してしまったのか、どの文字をいま使うことができるのか、を把握する必要がありました。ここで、紙にペンの執筆方法ではとても無理だと判断し、ワープロを導入します。筒井は消した文字に対応するワープロのキーに赤丸を貼ることで、どの文字を消してどの文字を消していないかを把握し、執筆していったそうです。ワープロというツールなくしては誕生しえなかった作品、とまで言っていますね。またこれらのことから、筒井が使用している配列は、ほぼ間違いなくJISかなでしょう。
また、筒井は『悪と異端者』というエッセイ集の「ワープロについて」という章で、ワープロと変換機能について書いています。ワープロの変換機能の性能の低さを嘆き、不条理な変換ミスにいちいちツッコミを入れていくという内容で、少なくとも僕は読んでいて面白かったですし、変換に詳しいタイパーが読めば抱腹絶倒かと思います。興味のある方はぜひチェックしてみてください。
以上、「タイピングと小説と私」と題した、筒井小説の露骨な宣伝でした。