ハーマン・メルヴィル『白鯨』を読んでから、僕は鯨の虜になった。
『白鯨』に登場する巨大白クジラ、モービィ・ディックはマッコウクジラである。マッコウクジラはハクジラ亜目に分類されるクジラで、その体長は、雄では16メートル弱、雌では11メートル程度。世界最大の動物であり、ときには30mを超えるようなシロナガスクジラと比べると、そこまで大きくはない。ちなみにシロナガスクジラは、ヒゲクジラ亜目に分類される。口内に歯があるからハクジラ、ヒゲがあるからヒゲクジラ。何とも分かりやすい。ハクジラ亜目には、マッコウクジラのほかに、有名なものだとシャチや、俗にイルカと呼ばれている小型のクジラが属している。いっぽうヒゲクジラ亜目には、シロナガスクジラのほかに、ミンククジラ、ナガスクジラ、ザトウクジラなどがいる。
マッコウクジラは、潜水艦を思わせる巨大な頭部を持っている。頭部はそのほとんどが脳油袋という器官で占められており、そこには脳油と呼ばれる高品質の油がたくさん詰まっている。マッコウクジラの英名はsperm whale(精液クジラ)だが、その由来は、過去にこの脳油が精液と誤解されていたことからきているらしい。マッコウクジラの潜水深度は3000メートル、潜水時間は2時間近くにまで及ぶが、この、生物としては驚異的な潜水能力にも、頭部にたくわえられた脳油がかかわっているらしい。一説によると、潜水時には鼻から海水を吸い込むことで脳油を固化し、比重を高めることで、より高速で潜ることを可能にしており、浮上時には、脳油袋周辺の血流量を多くすることで、脳油を液化させ、比重を小さくすることで、急速な浮上を可能にしているらしい。
マッコウクジラが餌としているのは主にイカ類で、比率でいうと95%にもなるというのだから、ほとんどイカしか食べていないことになる。この傾向は、とくに雄の成熟したマッコウクジラにおいて顕著である。イカといっても、マッコウクジラ、それも成熟した雄が狙う獲物は、私たち、矮小な人類が食料品店で見かけるような、あの細長く切り刻まれた哀れなイカではない。イカの王様、ダイオウイカである。ダイオウイカといえば、深海の食物連鎖の頂点に君臨する怪物というイメージがあるが、それを、唯一、陽の当たる海上から脅かしにくるのが、マッコウクジラなのである。
想像してごらんなさい。頑強な下顎に信じがたい大きさの歯を幾本もそなえ、強靭な深紅の筋肉が充満した尾羽を、悠然と振りながら遊泳する巨躯。十本の触手を怪しげに蠢かせながら漂う怪物。その二つの巨大なものが、真暗な深海で闘う光景を。
個人的には、姿形が酷似しているイカとタコをどうやって区別して、イカだけを食べているのかが気になるのだが、その答えは、クジラが持つ優れたエコーロケーション能力にあるのかもしれない。と、ここまで書いたところで、そもそもイカとタコでは生息している水域が違うのではないか、そう思い少し調べてみたところ、案の定、ほとんどのタコは浅瀬にしか生息してしていないらしく、当然、マッコウクジラはそんな浅瀬では捕食活動を行わない。
マッコウクジラは、クジラのなかでもとりわけ優れたエコーロケーション能力を持っている。つくりだした音波をその巨大な脳油袋(メロン)でもって収束させ、指向性音波兵器として対象に照射することで、餌となるダイオウイカなどを一時的に麻痺させてしまい、それから捕食する……といった、想像力を刺激される説も唱えられているらしいが、この闘いが繰り広げられているのは何千メートルという深海であり、撮影は極めて困難、説を裏付ける証拠はいまのところ存在していない。
それから、これはほとんどのクジラに共通することでもあるが、マッコウクジラは群れをつくり、非常に社会的な生活を営むことで知られる。
その群れにもいくつかの種類があって、まず一つ目に、雌と幼い子どものクジラから構成される繁殖育児群がある。すべてのマッコウクジラは、この群れに生まれ、たくさんの雌クジラからの愛情を受けながら、すくすくと成長する。ちなみに、マッコウクジラのいわゆる赤ちゃんは、4メートルほどの大きさまで育って産まれてくる。雌のマッコウクジラの体長が11メートルほどだから、そうとう大きい。一見するとひどく大変なお産のように思えるが、クジラの骨盤はほとんど退化して、下腹部の筋肉のなかに浮遊する小さな骨片になっていることや、出産を行うのが地上ではなく水中で、浮力に補助してもらえることなどを考えると、案外するりと出てくるのかもしれない。産まれてきたクジラの赤ちゃんは、哺乳類なので、人間の赤ちゃんと同様、まず呼吸をしなくてはならない。人間の赤ちゃんの場合、産まれた直後は(おそらくほとんどの場合)地上にあるだろうから、すぐに呼吸を始められるが、クジラの場合はそうはいかない。一生のすべてを海ですごす(海洋常在種というらしい)クジラは、先祖の哺乳類が海に潜ったときからの宿命で、いきなり海水のなかに産み落とされる。赤ちゃんクジラが自力で海面まで泳いでいって、呼吸をする場合もあるが、泳ぎが得意でない赤ちゃんクジラの場合は、母親や、群れのほかの雌クジラたちが、赤ちゃんクジラを鼻先で押して海面まで運び、呼吸を促してやる。臍の緒は、そうやって呼吸しているうちに自然に切れるらしい。
さて、マッコウクジラの群れのうち二つ目は、幼い雄から構成される小型独身群である。人間でいえば、小中一貫の男子校といった感じだろうか。
三つ目は、そこそこに成長した雄から構成される中型独身群。人間でいうところの、男子高等学校から、女子がほとんどいない、あるいは皆無の学部へ進学する……といった感じだろうか。非常に分かりにくい例えで申しわけないが、要は、雄のみで構成される群れでは、捕食や敵との戦闘のなかで、お互い切磋琢磨するといった、雄同士の友情、師弟関係のようなものが発現するのだ。とくに、同じハクジラ亜目のハンドウイルカにおいては、年齢の近い雄同士が2~3頭結束し、「連合オス」なる小規模のグループをつくる習性がある。そこでは、雄同士の絆を深めるために、お互いに体を擦りつけ合うペッティングや、いわゆる同性愛に近い性行動が行われるという。もちろん、マッコウクジラやハンドウイルカの雄におけるこれらの行動は、すべて、次の段階である繁殖に備えたものである。
そして最後、四つ目は、単独大型雄である。マッコウクジラの雄は、成熟しきって一人前になると、単独で行動するようになり、広範囲を回遊しながら、最初に述べた繁殖育児群に合流し、そこにいる妊娠可能な雌と交尾するのである。単独大型雄はこうしてハーレムを形成するが、一つの繁殖育児群に長期間留まることはまれで、ほとんどの場合、交尾後すぐ、別の繁殖育児群を探すために群れを離れるらしい。
海洋の生態系の頂点にあるクジラだが、天敵がいないわけではない。マッコウクジラの天敵は、同じクジラ類に属するシャチ、それからサメだ。天敵に襲われたとき、マッコウクジラの群れ、とくに繁殖育児群では、クジラたちが特殊な陣形をとることがあり、それは菊花陣形、あるいはマーガレット・フォーメーションと呼ばれている。妊娠中の雌や幼い子どもを中央に置き、その周りを大人の雌クジラたちが囲む。ちょうど、頭が内側、尾が外側になるような具合に。それで、敵を追い払うために、陣形の外側に位置した尾羽で海面を激しく打ち、敵を威嚇するのだ。
さて、ここまで長々と鯨のことを書いてきて、この話はタイピングと何の関係があるのかと疑問に思った読者の方もいるかと思うが、残念ながらタイピングとの関係は一切ない。しいて言えば、クジラの背中に跨ってエクストリームタイピングをしてみたいなあ、といった願望があるくらい(隅野さんがすでに敢行済みの可能性も否定できない)で、タイピングとは本当に何の関係もないのである。
クジラの何に惹かれたのかと言われれば、月並みだが、やはりその巨大さ、雄大さだろうか。もともと子どものころから恐竜や怪獣なんかの巨大生物は好きなほうだったし、『白鯨』を読んで鯨の魅力に気づかされるのも、あるいは当然のことだったのかもしれない。聞くところによると、『白鯨』は読了に大変な労力を要する小説で、途中で挫折してしまう人が少なくないらしい。僕はほとんど一気読みの勢いで読了してしまったのだが、一日に500ページも600ページも読むような生活を半年以上続けていたから、単に読書に耐性が付いていただけという可能性もある。でも、『白鯨』の面白さは本当に凄まじいのだ。クジラに関する膨大な知識、捕鯨史、捕鯨船の仕組み、鯨との格闘、白鯨の脅威……それらがあの仰々しい文体で語られるのだからたまらない。読み終わってからしばらくのあいだは、僕が今年読んできた小説が全部忘れられて、目を瞑れば、瞼の裏に白いクジラが泳ぎはじめるくらいだった。
当記事に使用した画像は、すべてwikipediaのマッコウクジラのページから引用したものである。
また、参考文献は以下の通り。
・加藤秀弘『マッコウクジラの自然誌』(平凡社、1995)
・村山司『鯨類学』(東海大学出版会、2008)


