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制作と音楽のダイアリー

お蔭さまで、第45回日展の入選通知が届きました。

これで一安心、束の間の休息ではありますが、次回作に移る前に少しだけ羽を伸ばせます。

今回は長野県からも知人がいたので、懇親会もより楽しく過ごせそうです。

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最近の碌山館です。ツタの紅葉が始まりました。これから周りの楓なども赤く染まってきます。
秋の碌山館を是非訪ねてみて下さい。美しいですよ!
今日は私の母校である豊科高等学校の創立90周年記念式典がありました。
私も記念誌作りを微力ながらお手伝いさせてもらい、記念式典に出かけました。

久しぶりに校歌を大きな声で唄い、懐かしさで胸が一杯になってしまいました。

大正12年に女学校としてスタートしてから、途中男女共学となりましたが、穏やかでのんびりした自由な校風が今も昔も変わらず、良い学校です。

校舎に入ると、必ず生徒1人1人が「こんにちは!」と挨拶してくれ、気持ちが良いのです。

ここでまた詩を1つ。

   安曇野

 春の田舎のちいさい駅に
 私を見送る女学生が七八人
 別れを惜んでまだ去りやらず佇んでいる。
 彼女らのあまりに満ちた異性の若さと
 その純な こぼれるような人なつこさとが、
 私に或る圧迫をさえ感じさせる。
 私はそれとなく風景に目をさまよわす。
 駅のまわりには岩燕がひるがえり、
 田植前の田圃の水に
 鋤きこまれた紫雲英げんげの花が浮いている。
 そしてその温かい水面に、ようやく傾く太陽が
 薄みどりの霞をとおして金紅色に照りかえし、
 白い綬のように残雪を懸けた常念が
 雄渾なピラミッドを逆さまに映している。

 絵のような烏川黒沢川の扇状地、
 穂高の山葵田わさびだはあの森かげに、
 彫刻家碌山の記念の家は
 こちらの山裾にある筈だ。
 いずこも懐かしい曾遊の地と
 暮春安曇野のこの娘ら‥‥‥
 私の電車はまだ来ない。

この詩もまた尾崎喜八によって書かれて、詩集「花咲ける孤独」に入っていますが、

豊科高校の校歌が尾崎によって作詞されましたので、その時にでも田舎の女学校である母校を訪れた折の情景だと聞きました。

豊科高校サッカー部を何度も全校大会へ出場させ、輝かしい成績を揚げた平林先生が記念講演でお話しされましたが、青年だった先生も白髪になられて、(しかし精悍さはお変わりなく。)
何か涙が出そうな心持になりましたが、本当におばさんになっても生きてみるものだと幸せな1日を過ごしました。

   豊科高校バンザイ!


 


< 田舎のモーツァルト >  尾崎 喜八

中学の音楽室でピアノが鳴っている。

生徒たちは、男も女も

両手を膝に、目をすえて、

きらめくような、流れるような、

音の造形に聴き入っている。

そとは秋晴れの安曇平(あずみだいら)、

青い常念(じょうねん)と黄ばんだアカシア。

自然にも形成と傾聴のあるこの田舎で、

新任の若い女の先生が孜々(しし)として

モーツァルトのみごとなロンドを弾(ひ)いている。


自然を愛した詩人尾崎喜八が、ここ安曇野の穂高東中を訪れた際に作られたものです。


1966年 尾崎喜八詩集『田舎のモーツァルト』より

 元来モーツァルトの音楽は、青年たると老年たるとを問わず、貴賤の別なく、実に万人を喜
ばせ、万人の愛に値いし、また作曲家自身それを期待してもいた芸術である。

 詩の霊感から言えば、それは地方の或る田舎の中学校と、その音楽室でピアノを弾く新任の
若い女教師と、それに聴き入っている純真でけなげな男女の生徒と、おりからの秋と、その光
と、周囲をかこむ峻厳な山々のたたずまいとから触発されたものではあるが、そういうモーツァ
ルトこそ、私には真のモーツァルト、少数の貴人や知識人の専有物でない、万人共有の宝であ
るモーツァルトだという気がする。

 そして田舎! ああ、私の郷愁の理想世界の姿であるこのいなかというもの。これこそ、彼の
芸術の本当のすみかでなければならなかった。

 そして願わくば私の詩も、またそのようでありたいと思っている。

                             尾崎喜八



どうでしょうか?私は強く感動しました。私の絵もまた、そういうものでありたいと、、、。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

10月18日 碌山美術館が敷地内にある、穂高東中学校で田舎のモーツァルト音楽祭が開催されます。