もう諦めた、今日は遅刻していこう。今日の午前の仕事は他の派遣社員で回せるはずだ。
そう決めた私はのんびりと最寄り駅までの畑道を歩きジャリ道を歩いた。
今年の冬は長かった。4月に入ってやっと春らしくなり近所の猫も嬉しそうに目をつぶっている。

郊外の小さな田舎の駅の10時はとても閑散としている。
向かいのホームに私と同じく遅刻中と思われるOL風の女性。
あの女性は正社員だろうか?独身だろうか?
同じ歳くらいの女性をみると気になってしまう。私は派遣社員の身でそろそろ契約期間満了を迎えるのだ。そしてそれ以上に結婚の話。両親からのプレッシャーが年々重くなり、年に数回実家に帰るのも気が重くなってきてしまった。
去年妹に子どもが産まれてからますますに足が遠のいた。
学生の頃の友達のSNSは子どもの写真で溢れている。
未婚の友達ももちろんいる。だが、、。
いつもそばにある漠然とした不安。

そんな不安を空は見越したかのように低くて黒い雲が西から流れて太陽を隠したと思うとほどなく大粒の雨が降り出した。
あー、もう、傘なんか持ってきてないよ。
すぐやむといいけどな、と思っているといつの間にか隣におばさんとおばあさんの中間くらいの女性が立っていた。
「あらやだ雨、すぐやむといいけどね。」
「そうですね。」
大人なのでこのくらいの会話には付き合える。
「あら、あなた、おっぱいがおおきいわね。」
はい?予想外の展開。
今朝黒染めしたかのような真っ黒な髪の毛。おそらく本当の色は白がかなりまじっているだろう。
そしてその髪の色くらい真っ黒な瞳で私の胸を見る。
「は。そうですかね、、」
「わたしも大きいのよ、でも歳とると大変よほら、垂れちゃって垂れちゃって。」
なんとも表現できないニット越しにおばさんの胸を見る。
変なおばさんだな、やだな。
「まあ子どもにおっぱいあげたことは無いんだけどね。」
ディープな話になってきた。ここらでひきあげたいが、また電車が来るには数分ある。
「昔、子宮の病気してね、生理が来なくてね、病院行ってあたしったら先生に『生理が来ないんです、5年もヤってないのに!』って言ってね、あっはっは!30半ばのころかな」
ああ、30半ばはそういう歳か。
「そうだったんですか。」
豪快に笑っているがなんとも心がきゅうっとなる話だ。
「それまではね、上野のキャバレーでそれはもうぶいぶい言わせてたんだけどね、今じゃあこんな田舎に都落ちよ。あっはっは」
私は40年前の上野の様子を想像しようと試みたが無駄だった。
「病気が見つかったとおなじ頃に母親が倒れちゃってね、帰ってきたんだけど。ほんと田舎でヤンなっちゃうねあっはっは」
きっとその母親は今はもう亡くなっているんだろう。
そんな歳だ、30半ばは。
親が倒れる歳だ。
いつの間にか雨は止んでいた。

「でもね、あんたはだいじょぶ、あんたは幸せになるよ。じゃあね」
「あ。」
その瞬間空を黒く覆っていた雲はぐんぐんと流れ、
そしてホームの向こう側には二重の虹がかかった。
私の乗るべき電車がホームへと滑り込んできた。
おばさんは向かいのホームへの階段へむかって軽くビッコを引きながら不自由そうにゆっくりと歩っていった。
朝方まで酒をくらい、始発で帰路についた時の話だ。


乗車するなり私は椅子にもたれ頭を垂れる。
頭の中ではもう一人の私が、流行りの歌を機嫌良く歌っている。


そのままどのくらい電車に揺られていたのだろうか。


「目的地で下車する」という電車に乗る全ての人が持つべき目標もいよいよ忘れ、
眠りは底なし沼へと沈んでいきそうなその時、事件は突然やってきた。



ワタシノカタヲダレカガダイテイル。
わたしのかたをだれかがだいている。


隣の人が私の肩を抱いている!


可能な限り泥酔の頭を回し始め、今夜誰と遊んだのか、
どこで誰と別れを告げ電車に乗ったのかを懸命に考える。


・・乗車時確かに一人だった・・


瞬間、恐怖が足元から這い上がってくる。


声を出すことはおろか、相手の顔さえ見れない。
私は肩を抱かれた状態を保たれつつ、頭を垂れたまま目線のみ荷物を確認。
それらを握りしめ停車と同時に一目散に下車。
振り返らず、急いでその場を離れる。



私にも非はあった。隙がありすぎた。いや隙のみと言っても過言ではない。
弱者は人間界でも食われる時がある。

そしてこの世の凹と凸は恐ろしい程に事象の幅を持ち合わせているのだと知った。



世間様と比べたら既に古文かもしれません。



ちょうど青豆と天吾と牛河がワチャワチャしてきたところであります。

以前小澤ピニャコラーダさんが事前に教えてくれたように、睡眠を奪う程のアレではありません。




ひつじおとこ、おどるこびと、りとる・ぴーぷる、えどきりこ。

私にとっての異国といえば恋の国カリブのあの小さな島でしかないのである。ジリジリと焼ける日差しと甘い匂いの中、はじめて彼と出会ったのは到着したその日に訪れた街中にある大きなスーパーだった。
丸一日飛行機に詰め込まれ疲弊したほぼすっぴんの私を彼はイケテルねと言った。
スーパーの中は寒いほどに涼しい。
彼はにんじんを買っていた。
カレーをつくるそうだ。
音割れしたレゲエミュージックがどこからか小さく聴こえる。


次の年も私はその島へ行った。
なんだかんだと理由を付けて会った。
ブロックパーティーで少しだけ言葉を交わす。
暑い。
一緒にカレーを食べた。
彼はまないたと包丁で大胆にウィードをほぐす。
しかし私は一ヶ月もの間、女であることをごまかしながら過ごした。時間がない。なにも伝えていない。彼と約束もままならないまま最終日の夜を迎え、タクシーでチボリガーデンという治安の良くない地域のブロックパーティーへと向かった。

この島では私はあまりお酒を飲まない。トイレがなかなか見つからないし、もしあってもできれば入りたくないようなトイレだからだ。
胸には神経質に巻かれたジョイント。
ダンスホールは最高潮に近い状態まで達している。
スピーカーの前には有名な東京のサウンドマンがいる。
ビデオマンに冷たい視線を投げる女の子たち。
若いダンサー達が蛍光灯に向かう夏の虫のように光の輪に集まる。
ストゥーキーがかかった瞬間暗闇から古参のダンスクルーが現れる。
みんな汗をかいている。
もう会えないまま日本に帰ることになるかも知れない。
暑い。
私は手持ち無沙汰で暗闇に沈んだベンチに座っている。

「よう。」
彼だ。最後に会えた。
彼が私の右側に座る。
ヤバイ。酒飲んどきゃよかった、バリバリのシラフだ。なにを話せばいいのか、今日の出来事?そんなのあほらしい。遠回りはやめだ。
「ねえ、あたし明日帰っちゃうよ?」
今思えばだいぶ単刀直入である。しかしたぶん顔はイタズラっぽい表情をしていたと思う。なんで私はイタズラっぽい表情をしてしまうのか、なんでビッチ装ってしまうのか、正面からぶつかれないこの勇気のなさ。
彼の表情は見えない。
少しだけ海のにおいを感じる。
「、、、飲みもの買ってくるから、ここにいて」
「うん。」
うねり鳴くレゲエミュージック。





次に会えるのは一年後。
なにを伝えればいいのか一瞬の迷いのあと決めた。
言葉は組み立てない。
彼がドリンクを買って、仲間と挨拶して、私のところへ戻ってくる、隣に座る。そのときの気持ち、その瞬間に紡いだ言葉で。

しばらく時間がたった。
そしてすっと私の右隣に座った、のは、見知らぬ黒人男性であった。
Ohアンビリバボー!である。


気付くと彼はドリンクを手に私から少し離れたところに立っている。
たぶん彼も私と同じアンビリバボーな気持ちだった、と思いたい。

わたしは彼を待った。彼はしばらくそこにいた。わたしは彼を待った。

だがそうするうち彼は声をかけてきた現地の友達と話込み、私もまた友達とダンスホールの輪の中へ消えたのだった。



あれから数年がたった。彼へのくすぶった思いの火種は帰国してしばらくすると違う形となった。異国という緊張状態からの解放からか、彼が日本に帰ってくると私たちは比較的リラックスしたゆるい友情関係をつくった。異国の恋の熱気の中にあった当時では想像できなかった不思議な親密さを感じる。秘密の熱気の共有。そしてその関係は危うい均衡を辛うじて保ちながら今も続いている。

しかし私は思う。私と彼の関係はチボリガーデンでのベンチでのあの瞬間に完結したのだ。中島らも曰く、あとは日常への地獄下りである。しかしその瞬間は永遠を孕んでいる。

{1D08EE66-4C90-4926-A4F5-D3A410F24C70:01}




使いかけのキャベツが気がかりだ。早く食べてしまわなければ!


冷蔵庫の野菜室は異国だ。
常温で買われた野菜たちもレジという出国手続きを済ませると、みなそろって異国行きとなる。


彼らにとってそこは居心地がいいのかは私たちには分からない。
どんな天気なのかも知らない。
教科書通り、なんとなく、そこへ送る。


日中異国にいる彼らのことを考えることは・・・まずない。


私たちが考えるのは、そこにいる彼らをどうやって次の異国(胃国)へ出国させるかのみである。