私にとっての異国といえば恋の国カリブのあの小さな島でしかないのである。ジリジリと焼ける日差しと甘い匂いの中、はじめて彼と出会ったのは到着したその日に訪れた街中にある大きなスーパーだった。
丸一日飛行機に詰め込まれ疲弊したほぼすっぴんの私を彼はイケテルねと言った。
スーパーの中は寒いほどに涼しい。
彼はにんじんを買っていた。
カレーをつくるそうだ。
音割れしたレゲエミュージックがどこからか小さく聴こえる。
次の年も私はその島へ行った。
なんだかんだと理由を付けて会った。
ブロックパーティーで少しだけ言葉を交わす。
暑い。
一緒にカレーを食べた。
彼はまないたと包丁で大胆にウィードをほぐす。
しかし私は一ヶ月もの間、女であることをごまかしながら過ごした。時間がない。なにも伝えていない。彼と約束もままならないまま最終日の夜を迎え、タクシーでチボリガーデンという治安の良くない地域のブロックパーティーへと向かった。
この島では私はあまりお酒を飲まない。トイレがなかなか見つからないし、もしあってもできれば入りたくないようなトイレだからだ。
胸には神経質に巻かれたジョイント。
ダンスホールは最高潮に近い状態まで達している。
スピーカーの前には有名な東京のサウンドマンがいる。
ビデオマンに冷たい視線を投げる女の子たち。
若いダンサー達が蛍光灯に向かう夏の虫のように光の輪に集まる。
ストゥーキーがかかった瞬間暗闇から古参のダンスクルーが現れる。
みんな汗をかいている。
もう会えないまま日本に帰ることになるかも知れない。
暑い。
私は手持ち無沙汰で暗闇に沈んだベンチに座っている。
「よう。」
彼だ。最後に会えた。
彼が私の右側に座る。
ヤバイ。酒飲んどきゃよかった、バリバリのシラフだ。なにを話せばいいのか、今日の出来事?そんなのあほらしい。遠回りはやめだ。
「ねえ、あたし明日帰っちゃうよ?」
今思えばだいぶ単刀直入である。しかしたぶん顔はイタズラっぽい表情をしていたと思う。なんで私はイタズラっぽい表情をしてしまうのか、なんでビッチ装ってしまうのか、正面からぶつかれないこの勇気のなさ。
彼の表情は見えない。
少しだけ海のにおいを感じる。
「、、、飲みもの買ってくるから、ここにいて」
「うん。」
うねり鳴くレゲエミュージック。
次に会えるのは一年後。
なにを伝えればいいのか一瞬の迷いのあと決めた。
言葉は組み立てない。
彼がドリンクを買って、仲間と挨拶して、私のところへ戻ってくる、隣に座る。そのときの気持ち、その瞬間に紡いだ言葉で。
しばらく時間がたった。
そしてすっと私の右隣に座った、のは、見知らぬ黒人男性であった。
Ohアンビリバボー!である。
気付くと彼はドリンクを手に私から少し離れたところに立っている。
たぶん彼も私と同じアンビリバボーな気持ちだった、と思いたい。
わたしは彼を待った。彼はしばらくそこにいた。わたしは彼を待った。
だがそうするうち彼は声をかけてきた現地の友達と話込み、私もまた友達とダンスホールの輪の中へ消えたのだった。
あれから数年がたった。彼へのくすぶった思いの火種は帰国してしばらくすると違う形となった。異国という緊張状態からの解放からか、彼が日本に帰ってくると私たちは比較的リラックスしたゆるい友情関係をつくった。異国の恋の熱気の中にあった当時では想像できなかった不思議な親密さを感じる。秘密の熱気の共有。そしてその関係は危うい均衡を辛うじて保ちながら今も続いている。
しかし私は思う。私と彼の関係はチボリガーデンでのベンチでのあの瞬間に完結したのだ。中島らも曰く、あとは日常への地獄下りである。しかしその瞬間は永遠を孕んでいる。
