2015年の記事再アップです。

このスタンスは変わりません。
これが私です。

最近すぐあきらめる人が多すぎよ~!





ここから過去記事~

今『過剰な二人』 林真理子×見城徹 著を読んでいます。
3回目です。

過剰な二人/講談社
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もともと林真理子さんの書く文章が好きで、前回の【野心のすすめ】も何回も読みました。
ベストセラーになったので皆様の心にも響くものがあったと思いますが、私もドンピシャでした。

今回の【過剰な二人】も響きます。



中略~
最後に欠かせないのは運である。運に恵まれないと成功はできない。しかし、運とは、単なる偶然ではない。圧倒的努力をした人しか、運はつかめない。運と努力は、複雑かつ密接に絡み合っているのだ。

中略~
圧倒的努力は必ず実を結ぶ。20年後かもしれないし30年後かもしれないが、必ず報われる。
その時は無駄に思えるかもしれない。しかし無駄な努力など一つとしてないのだ。


この文は見城さんの章なのですが、『幻冬舎』を築き上げるのに(角川書店からですが)とてつもない努力をしてきたそうです。まさに血反吐を吐いて働いたと書いてありました。

そんな圧倒的努力をした人の言葉は心に響きます。

林さんも運はコントロールできると書いています。

一流の人がいうのだからそうなのだと思います。





私はコツコツ勉強して、実践してここまで来ました。(続けてこれたということです)

私はわりと自分を追い込むのが好きです。でも若いときはそれに酔いしれて『わたしこんなに頑張っているのに』なんて雰囲気を撒き散らした恥ずかしい過去があります。
今思えば大した事はしていないのですが、そこからも努力を惜しまず追い込んできたので、過去のやって来たことはどおってことないのだと思うことができるのだと思います。

もし追い込んでいなかったら、あの日の過去は今頃『過去の栄光』として自慢話の仲間入りしていることでしょう。



努力に上限はなく、上には上がいるものだと、ステップアップする度に思い知るのです。
現に最近も思い知りました。
でもそれは絶望ではなく希望です。世界が広がったからそのような人を知ることができ、自分も努力すればそこに行けるという夢を描けます。

私は運ってどうやってつかむのかなと考えたことがありました。
持って生まれたもの?

いい家に生まれたから?

なんて思った時期もありましたが、上記の見城さんがいっているように、圧倒的努力をした人にが運をつかめるという事であれば、希望が持てます。


最近、自分の体の声を聞いて楽しく生きて成功する的な感じの本などがありますが、私は疑問に思っていました。自分に甘い人は、その本の通り実践したら堕落していきます。好きなことだけやって、楽にお金を稼ぐことなんて不可能です。

たくさん努力している人がたくさんいるのです。

必要最低限に生きたいならいいと思いますが。

後輩でもそうです。努力している子と、怠けている子がいたら私は努力している子に手をさしのべます。


後輩にとって私のさしのべた手は運になるのです。

それは私にもあてはあります

私はフリーランスのような仕事の仕方をしていますが、こつこつ積み重ねてきたものでお仕事をいただけているのだと実感しています。

運は自分でつかむもの。

文句ばかりで努力をしない人は掴めない。

最近思うことです。






照れポッちっとしていただけたら嬉しいです

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