この記事は、

★【私のピアノ歴1】ピアノの練習が大嫌いな子どもでした(幼児~小学生)
★【私のピアノ歴2】譜読みが遅すぎてレッスンまでに曲が仕上がらない(中学生)

の続きです。

 

相変わらず譜読みの遅い高校時代

1小節の譜読みに時間がかかる状態は、高校時代も続いていました。
そんなに苦労しているのになぜピアノをやめなかったかと言えば、好きだからではなく、両親が厳しくてピアノをやめる選択肢がなかったからです。


さて、私の行っていた私立高校は1学年10クラスあり、1年に1回の大ホールでの音楽祭のために長い期間練習していました。
曲はモーツァルトのグローリアだったりメサイアだったり・・とにかく何十ページもあるクラシックの大曲です。

音楽の先生は4人いて、音楽祭に向けての練習で弾くピアノ伴奏者を毎年2人選ぶのです。
※(5クラスに1人×2)つまり10クラスに伴奏者は2人。

毎年選ばれる伴奏者は、もちろんピアノがバリバリに弾けるすごい子たちばかり
私は落ちこぼれの、楽譜がよく読めない、ただピアノを習っているだけのよくいる生徒でした。

 

ピアノ伴奏者に選ばれる!

ある日先生達に音楽研究室(先生達の控室)に呼ばれました。

「今年の5クラスの伴奏者はお前に頼もうと思う」

はっ?

 
一瞬何を言われているのかよくわかりませんでした。
えっ?何かの間違いでは??ピアノの弾ける子は他にいるし・・

「私、弾けません・・・」
「いや、最初からあきらめないでやってみろ」
「・・・・・・」


半ば強引に説得され、膨大な量のモーツァルトの楽譜を渡されました。

内心、真っ青(@_@;)

たぶん私が選ばれたのは、身内に音楽を専門にしている者がいたこと、謙遜していてもきっとできるだろうと思われていただろうこと、いつまでたっても影に引っ込んで ちっとも上達しないこと、伴奏者にすることで引っ張り上げようという教師心(親心)だったのではないかと思います。

1小節譜読みをするのに苦労する私に、何という大曲を渡してくれたのだ・・・。
楽譜の量は膨大です。
めくってもめくっても終わらない。

泣きそうになりながら、毎日毎日楽譜とにらめっこして伴奏の練習をしていました。
 

悲惨な、最初の合奏との合わせ(ピアノ伴奏)

今まで生きてきた中でやったことがないほど がんばってがんばって何時間も練習し、来る日も来る日も楽譜と格闘しました。

でも・・・
当然ながら、5クラス全員がピアノ伴奏と最初から最後まで合わせる運命の日までに、譜読みが終わりませんでした。

合唱とピアノ伴奏が初めて合わされる運命の日

どんな展開が待っていたと思いますか?

読者の期待を裏切らず?私の伴奏は途中で止まりました。
理由はもちろん、そこから先譜読みができていなかったからです。


音楽の先生の指揮はそのまま続き、ピアノが無音の中、5クラスの合唱の声だけが流れました。

 

恥ずかしかった・・・本当に恥ずかしかった・・・(号泣)

 

 

5クラス全員(男女)の目が注がれる中、私はなすすべもなく、ピアノの前に座っていました。
恥ずかしさの余り、手には汗びっしょり。

おそらく先生も、これほどまでに弾けないとは考えてもいなかったのではないかと思います。

 

”だから弾けないって言ったのに・・”


という思い、5クラス全員の前で恥をかいた恥ずかしさで身の置き場もないような気持ちでした。

必死の思いで来る日も来る日も練習

人間これだけ恥をかくと、死に物狂いで努力するようになります。
学校から帰ると、宿題とご飯とお風呂以外は全部ピアノの練習。
相変わらず譜読みは遅いものの、何としてでも最後まで伴奏を仕上げなくてはいけません。
それこそ石にかじりつくような気持ちで毎日練習しました。

だからといって、残念ながらドラマのようにすぐに弾けるようにはなりません。

ここで私が一つ学んだこと
それは・・・
 

ピアノ伴奏者は、間違えても空白を作らない

 

ということです。
どういうことかと言うと、間違えてしまって両手とも弾くのをやめてしまったら、ピアノは完全に無音になり、合唱の声だけになってしまいます。

間違えても無音にだけはしてはいけない

そこで私が取った手段は、右手のメロディだけを弾き続けることでした。
こうすることで、無音だけは避けることができます。
これが、譜読みの遅い私が取れる精一杯の苦肉の策でした。

 

先生の声かけで、合唱部に入る

たぶん同じような時期だったと思いますが、音楽の先生から「合唱部に入らないか」と誘いがありました。
そこでも「ピアノ伴奏者をやれ」と。
今思えば、これは先生なりのスパルタだったのかもしれません。
その裏には、何としても私を引き上げようとする意図があったのかも。

5クラスの伴奏と合唱部の伴奏。
譜読みの遅い私にはすさまじい負担。
ピアノが好きなんて気持ちはどこにもない。ただただ必死。ただただ練習。
そんな日々でしたが、たぶんこの頃から少しずつ上達していたのだと思います。
 

音楽科を目指すクラスへ

 

タイトルを見ただけでため息が出そうなほど無謀だなと思いますが、エスカレーター式の私立高校だったので大学受験はなく、何の科を選ぶかが問題でした。

自分でもヘタレだなと思いますが、これといって強みもなく、取りあえず必死に取り組んできたピアノに関する科を選ぶことにしました。

高校2年の時点で、自分の選んだ科に関する授業が格段に多くなります。
つまり、音楽理論やソルフェージュなどなど、圧倒的に音楽の授業が増えるのです。

驚くべきことに、この時点でまだ譜読みが苦手。音楽理論が苦手でした。
音楽を選択した生徒の中では、譜読みも遅いし、理論がよくわからないし、先生たちもそんな目で私を見ていたと思います。

ただし、子どもの頃から絶対音感はあったので、耳で聞いた音をそのままピアノで再現することはできました。

★ある日いきなり音と楽譜がつながった!

そんな落ちこぼれの私でしたが、ある日突然 音と楽譜がつながりました。


え?いきなり?どういうこと?

と思われるかもしれませんが、これをどう説明していいのか・・

今まで苦労して指で数えていた音が、見ただけで実音とつながったんです。
そして苦労して読んでいたリズムも、私の感覚の中でつながりました。

これってこういうことだったんだ!・・

目の前がクリアに開けた感じがしました。

あんなに苦労していたソルフェージュも、音楽理論も、スラスラ歌ったり解けるようになりました。

先生たち、そんな私の姿に衝撃。

「おまえ、いきなりどうしたんだ?」

 

「うーん、何か つながったんです・・」
それしか言いようのない私。
先生達には理解できなかったかも。

何度か校内で試験に向けたピアノ演奏会が開かれましたが、そこで弾いたベートーベンソナタの3楽章が音楽の先生方に絶賛されました。

「高校時代、一番成長が著しかったのはおまえだ」 とも言われました。

この頃から、ショパンも弾いてみたいなぁ、この曲何てきれいなんだろう。この和音(コード)の移り変わりが素敵!と 自分なりに表現したいという思いが芽生えてきたように思います。

つづく・・・