栄養補給の木 | 万土花草紙 ~話したいこと、たくさん~

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オノまどかの日々の気付きやお知らせを綴っています。
ふと目をとめて下さった方、いつも読んで下さる方、ありがとうございます。

絵本教室で宿題の絵を描いたり

保育園で歌を歌う時に園児に見せる絵を

描いたりしていたのだけれど

ずっとブログに絵を載せていなかったので。(^^ゞ

 

今回描いた絵は「栄養補給の木」というタイトルです。

 

ご覧の通り、私は特に絵が上手なわけではありません。(^~^)

 

でも子供の頃からおえかきが好きで

休み時間は友達と話しながら一緒に自由帳に絵を描いていたし

大学を卒業して就職したのは看板屋さんでした。

 

(絵が好きだったら、この仕事向いていると思うよ~と

看板屋の社長に言われたから、そこに就職したのです)

 

時が流れて、人生初の絵の個展を開いたのも

もとはと言えば、ある日、口が勝手に

「私は絵を描かなくては」と言ったからなのね。

 

自分でも何言ってるんだろう、ラクガキみたいな絵しか

描けないのにと思ったけど。(;^_^A

 

その後、チャレンジした保育士試験も絵の試験があって

今までこんなに毎日絵を描いたことがないというくらい

練習で描きまくったし

 

実際に保育士になった現在、ペープサート(絵が描かれた

まるい画用紙にわりばしみたいな持ち手のついたもので、

歌やお話の時に使う)をせっせと作っていたりなんかもします。

 

どういうわけか、人生の端々に絵が登場してくるのね。!(´Д`;)

 

別にうまくないし、とんだお目汚しなのに何でだろう? と

思ってました。

 

アメブロでも面白かったり可愛かったりするイラストのブログが

たくさんありますよね。

 

私もたまに見させて頂いてます。

 

そういう時、その絵がうまいかどうかじゃなくて

好きかどうかで私は見ている気がします。

 

ここでちょっと、関係のないようだけど関係のある

ピアノの話を。

 

ピアノの音色やピアノ曲が好きならば、プロのピアニストの

演奏を聴きに行けばいいことです。

 

それなのに何故、ど素人の私がピアノを習い始めたのか?

 

小さな子がちゃんとできなくても自分でやりたがるのと

共通したものがあるかもしれません。

 

例え上手くなくても、自分で弾けるとうれしいのですよ。

簡単な曲だとしても。

 

私の場合は、自分で奏でることに意義があるのです。

自分の指先から音を出していくことが大事なのね。

 

絵もそれと同じ。

 

私が自分の中にあるもの、受け取ったものを出していく

手段なのです。

 

このブログの愛読者様なら、私が見えないものを感じることがある

体質だとご存知かと思います。

 

自分の能力の使い道について、ずっと悩んできました。

 

でも、やっぱり絵なのかな~と最近、思い至った次第です。

 

もっと上手い人が描いた方がいいのにという気持ちもあります。

 

でもインスピレーションをキャッチするのは私だし

私は私のタッチでしか描けないので。

 

上手な絵は上手な人に任せようと思います。(笑)

 

気が付くと、絵を描く状況になっているというのは

私にしか描けない絵がきっとあるのでしょう。

 

劣等感に苦しんだり、自信がなかったり

これでいいのかと悩みながら不器用に歩いてきた私だから

描けるものがあるのかもしれません。

 

じゃあ、一体どんな絵が描きたいのか考えてみたところ

見た人がホッとする絵が描きたいと思いました。

 

大事なのは、表面のその奥にあるものです。

 

つたない絵ですが、私が描くことで

絵からホッと一息つけるようなぬくもりをお届けできたらと

思っています。^^