今宵は新月なので
感じるままに日記をつづってみます。
いままで、当り前のように
来年も5年後も10年後も
このまま元気に過ごしてるんだと思ってました。
でも
そうとは限らない。
ただ家で寝ているだけで
自然災害に巻き込まれてしまったり
ある日ある道を歩いていただけで
暴走車にひかれて犠牲になったり
そんなつもりじゃなかったのに
死んでしまうこともあるでしょう。
私がその当事者だったら……と考えてみました。
何歳でも、死んだ時が寿命なんだと思ってます。
忘れているだけで、本当は
何年生きると決めて生まれてきているでしょうから。
忘れているから能天気に生きていられるんですよね。
例えば病気で余命を宣告されている方も
いらっしゃることでしょう。
そういう方は準備ができるのかもしれない。
私には魂の帰りたい場所というのがありました。
情けない話ですが
自分の望むように物事が進まなかった時
もう天に帰りたい! と心の中で弱音を吐いていたのです。
そんな時、亡き人が夢に現れて
扉の向こう、一緒に行くか誘われたのです。
(こんな近くにあの世への出入り口があるんだなぁと
思いました)
だけど、私はキッパリ断ってました。
そうか、私は生きたいんだなと、その時分かったのです。
天に帰りたいというのは
自分が来年も10年後も元気に生きているという
思い込みがあった上での甘えでした。
もし私が明日をも知れぬ命だったら
一日でも長く生きたいと願ったかもしれません。
実際に私がのんきにお茶している間に
一息一息、懸命に生きている方もいらっしゃることでしょう。
私が知らないだけで。
この世を去らなければならない前提で見ると
私のいるこの世界は彩り美しく
残していくのがせつなくなります。
渦中にいる時は分からなくても
少しづつ離れて、遠くから見れば
本当はキレイだったんだと分かるはず。
できなかったことにクローズアップしてしまいがちだけど
これからの限られた日々でできること
一つや二つはあるのかもしれません。
胸が痛くなるほど、この世界が愛しい。
私が生きている理由です。


