旅に備えて予習を入念にするか、行き当たりばったりを好むか、個人差あると思う。
海外旅行の話を先日友人としていたら、このテーマになった。
友人は完全に後者だという。
前提知識なしで行って、それで自分で発見、見聞し、その意味を推測して、あとあと「なるほどこれとこれは、こう繋がるのか!」という気づきがあると感動するのだと。
なるほどな、と思った。
それもまた、いい旅の過ごし方だなと心底思った。ノー知識で挑むからこそ、バイアスなく五感が素直にフルに働くということもあろう。
ただ、これも前提として皆さんに伝えたい。
彼はめちゃくちゃに聡明である。
だからこそ、元町の高架下のへこみを見て、その不自然さに気づき、もしかすると大戦の銃弾の跡ではないかと考え、あとから確認したらやはりそうだったという視座の養い方ができるのだ。
同じ物象を見ても、得られる視座は教養素養のレベルによって全く異なってくる。
同じ音楽を聴いても「うぇーい、なんかおっしゃれ〜!」で終わる人、
同じ飯を口にしても「何だかわかんねーけど甘くておいしー!」とむさぼる人、
朝まで生テレビを4時間観ても「田原さんうるせー!みんなうるせー!」しか感想を持てない人、
映画も本も全てそうだ。
一方で、ただの壁を見てもリテラシーが高い人はそうでない人の何倍も感度が高い。
これはもはや、価値観の問題ではない。
もちろん、「いーじゃん、楽しけりゃ!うまけりゃ!いちいちうっせー!」と思う人に何か変革を求めてはいない。
ただ僕は恥ずかしい。
彼を尊敬するとともに、もっと成長したいと素直に思った。
冒頭のテーマに戻るが、僕は専ら予習をする派。
だって、失敗したくないから。
特に、というか飯についてはそう。
失礼ながら田舎町、数少ないパティスリーの中でもきらりと光る名店があった。
それこそ、東京にあるアヴランシュゲネーやイナムラショウゾウと並ぶレベル。
もう見るからにレベルが違う。
3日もかけるといっても、どんな工程かさっぱり分からなかったが、もはやこちらをオーダーしないなんてありえず。
この日は、目の前の松山大学、そして愛媛大学も卒業式らしく、店内貸切。
イートイン叶わず、とはいえ、これを東京まで持ち帰るのも飛行機で開封するのも何だかなぁと思い、ダメもとで情に訴える作戦に出た。
スタッフ(シェフの奥様?)さんに
「あのぅ、外のベンチでなら食べられますか…僕、東京から来て…どうしても食べたくて…」
言わずして気を利かせてくれるパターン、言っても拒否られるパターンとあるが、今回は"言って無理矢理そうさせるパターン。まさに、無理を通せば道理引っ込むパターン"だった。
貸切のお客さんが入るまでの間、どうぞと店内に案内してくれた。
もちろん、そうとなればこちらのこだわり紅茶もオーダー!
わーい、一気に優雅な雰囲気に!
店名を冠したエスプリ。
生地の色、生クリームのきめ、そして色の良い苺。おそらく3日かかるのは生地を寝かせ、そしてクリームとしっとり馴染ませるからだろう。
今度聞いてみよう。
いい店は皿も含めて芸術。
僕はわかって食べているよ、この店がどれほどすごいか。
だから、無理をさせたことを許しておくれ。
敢えて薄めに淹れているという紅茶とよく合う。
何個かいただけばよかった。
これでも気を遣ってしまったのだよ。
最近訪れたとある国内屈指の観光名所で、外国人観光客がこぞってチェーン店のスイーツを食らっていた。
その地域の、庶民のローカルなチープ飯を味わうぞ!とかならそれでいいと思う。
だが、ただの無知によって、(本当は結構美味しいものを食べたかったのに)いわゆるコンビニ飯レベルの店で「おー、これが!」と思ってしまうのは残念すぎると思った。
だから予習をしたいのだ僕は。冒頭の彼ほどの思考力も持ち合わせていないから。
まぁ、海外行って、日本でいうミスドのエンゼルフレンチを食べて、おぉ〜これこそがこの土地の逸品!と感じちゃう時点で、その人はある意味幸せだからいいかもね、とは思う。
僕の入念な予習は今後も続く。
(賢い彼の言いたかったことと大幅にそれたことは気付かないフリ)