日吉の”大聖院”にも戦争の爪痕があった。 | メロママ&じーじの旅日記

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"日吉台地下壕”の続編です。

 

慶応義塾大学の構内から駅の反対側に向かいます。

このお寺が戦争遺跡になっているんですよ。

 

天台宗の”大聖院”というお寺ですね。

 

このお寺の裏山はこんな感じなんです。  実はこの山の地下にも10本くらいの通路の地下壕が彫られていたんです。

"艦政本部地下壕”と呼ばれています。 ここは、1945年にできたもので、ほとんど使われなかったそうです。

現在は、すべて入り口は埋められ外からは一切見えないようです。

 

これが本堂です。  立派な建物ですね。 1945年の空襲で焼失したそうです。 その御再建されたものですね。

 

お庭も焼夷弾で焼けたそうですが、今は跡形もないですね。

 

ところが、このヒバの木ですが、空襲の傷跡が残っているんです。  中央部がえぐれていますね。

 

さらに、この百日紅(さるすべり)の木も焼けた跡がありました。  連合艦隊の司令部があったのが米軍に漏れていたのかな?