義母の命日 | Londokinawaの世界へようこそ❤

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アメリカ在住を経て、国際結婚を機に2003年から憧れだったイギリス在住。
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今日6月23日はうちなーんちゅにとって特別な日なんですが、

 

 

夫の母の命日でもあります。

 

***

 

7年前の今日。

 

実際に言うと7年前の6月22日。

 

病院に検査入院していた義母のお見舞いに出かけた夫が、

遅くなっても帰ってきませんでした。

 

当時次女がまだ1歳半と小さかったこともあって、

家族全員でのお見舞いは避けていました。

 

入院中に長女が夫と1回お見舞いに行って、

夫は1人で2回ほど行ったんですが、

私はそのたび次女とお留守番。

7年前の6月22日は多忙な夫の仕事が

早めに終わったこともあり、

やっとお見舞に行く時間が取れたので

約2週間ぶりのお見舞でした。

 

前回お見舞いに行ったときから、

何と状態が悪化していたのです。

 

検査入院のはずで、まさか死が間近に迫っているとは

予想外のことでした。

 

夫と連絡が取れて話を聞くと、

状態が悪化していて人工呼吸器をつけているとのこと。

 

義父と夫が付き添っていたんですが、

義姉と義弟に連絡して2人は家族を連れて

いま病院に向かっているとのことでした。

 

平日で夜も遅くなっていたし、

私は幼い次女を病院に連れていくことに気が引けていたので、

その夜は家にいることにしました。

 

 

次の日の朝。

目が覚めて夫がまだ戻って来ていないことに気づいた私。

 

私から連絡したのか、夫から連絡が来たのかは憶えていませんが、

義母に死が迫っていて集中治療室に移されそうになったのを拒んで

 

家で最期を迎えたい

 

という義母の願いを叶えるために、

住み慣れた家に連れ戻してきたというのです。

 

 

義母の最期を家族みんなで看取るために

実家に集まることになったんですが、

当時9歳だった長女を連れて行こうか悩みました。

 

かなり衰弱しているので、その姿を見せたら

トラウマになるんじゃないかという心配があって

夫や夫の家族と相談して、長女を通常通り

学校に連れていくことにしました。

 

長女を学校に送り届けた足でタクシーに乗り

幼い次女と2人実家へ。

 

 

病院から支給されたシングルベッドに横たわって

人工呼吸器をつけている義母の姿に、

正直戸惑いましたが、

私が着いた時にはまだ会話も少しできる状態だったので

挨拶をして、義母が横たわるリビングルームで

家族みんなで過ごしました。

 

義姉の娘も職場からかけつけて、

我が家の長女以外全員が集まりました。

 

義姉の娘は、長女もここにいるべきだと言っていました。

 

夫のおばあちゃん、

その義姉の娘のひいおばあちゃんに当たる人が亡くなる前、

当時5,6歳だった義姉の娘は

義姉と家族の配慮でひいおばあちゃんの死に立ち会えなかったので

逆にそれがトラウマになってると言っていました。

 

ある日ひいおばあちゃんが車に乗り込んだ姿を見たのを最後に、

数日か数週間か後に、ひいおばあちゃんの死を突然知らされ、

その状況にかなり混乱してしばらく大変だったといいます。

 

身近な人が、みんないなくなってしまう。

 

とパニック状態に陥ったりして、今でもトラウマになっているとのこと。

 

だから義姉の娘は、私の長女もここにいるべきだと言っていました。

 

それで迷わず長女の学校にすぐ連絡して迎えに行きました。

 

義母はその日の夜に息を引き取ったんですが、

住み慣れた家で家族に囲まれて幸せな最期を迎えられたと思います。

 

***

 

正直これまでにいろいろ大変な思いをしましたが、

いま振り返るとその経験から学ばせていただいたこともあります。

 

精神的に追い詰められたくらい大変な思いもたくさんしましたが、

最後に義母に感謝の気持ちを伝えられたことは本当によかったと思います。

 

 

夫を産んでくれてありがとう。

お義母さんが夫を産んでいなければ、

私もこうしてこの家族を持ててなかった。

私の娘たちも生まれていなかった。

素敵な家族を持たせてくれて感謝します。

 

 

 

今日はディナーのあと、義母のために家族4人で乾杯しました🥂