※ ネタバレ全開です。ネタバレ回避の方はお読みにならないようお願いいたします。 ※
6月22日夜公演: ビクター:チョン・ドンソク アンリ:ハン・チサン
6月23日昼公演: ビクター:ミン・ウヒョク アンリ:パク・ミンソン
6月24日昼公演: ビクター:チョン・ドンソク アンリ:KAI
6月24日夜公演: ビクター:リュ・ジョンハン アンリ:パク・ウンテ
上記の4公演で、3ビクター4アンリ全ての方々を観てくることができました。
どの公演もプレビューとは思えない熱量の高い舞台で、素晴らしかったです!
「キタキタキタ~~っ!!」と、自分の血が湧き立つのを感じましたwww
やっぱり「フランケンシュタイン」は、私にとって特別な作品みたいです。
まずは、それぞれの俳優さんたちが演じるキャラクターの簡単な感想を。
<ドンソクビクター>
俺様でエキセントリックなマッドサイエンティスト。
でも、めちゃめちゃ格好いい!
自信満々な中に見え隠れする孤独感と幼さが、母性をくすぐる。
<ドンソクジャック>
かわいい。キラキラ。きゃぴきゃぴ。
ほっぺたぷくぅ~って膨らませる仕草が反則的に可愛い!
<ウヒョクビクター>
とにかくアツイ。そして視野が狭くて生きることに不器用そう。
生命力が強くてエネルギーが尽きることがない感じ。
なので、終盤のしおれ具合が切ない・・。
<ウヒョクジャック>
傾向としてはドンソクジャックに似た感じ?
ただガタイがいいため、可愛さよりも手練れ感が強い。
<ジョンハンビクター>
緩急自在で世慣れしている感じもあり、大人の余裕が感じられる。
でも、ちょっと気弱。
ある瞬間に噴き出すように表出する狂気がゾクゾクくる。
<ジョンハンジャック>
自分では手を出さず、手下に怪物を痛めつけさせる。
そして「ちゃれっそ~」と手下を褒めるという、ラスボス系。
バーバリーの靴がおしゃれ。
<チサンアンリ>
ドンソクビクター相手の時の「お兄ちゃん感」がめっちゃ好き!
やんちゃな弟を優しく見守りフォローする感じ。めっちゃ好き!(←大切なことなので2回言いましたww)
<チサンけむる>
七変化の声色と爆発的な感情表現。
カトリーヌとのシーンでは子犬的な可愛さが爆発。めっちゃ好き!
<ミンソンアンリ>
デキル男、頼れる男系。
ウヒョクビクターとの間の対等感、信頼感、親友感がすごく良かった!
<ミンソンけむる>
声色を使い分けるところは、チサンけむるに似ているかも?
でも子犬的な可愛さというよりは、中型犬。
「私は怪物」の終盤がめちゃめちゃ良かった!(実は4公演の「なんけむる」の中で、一番泣いたのはミンソンけむる)
<カイアンリ>
「フランケンシュタイン」史上、初の眼鏡男子アンリ。
美貌が隠れてしまうのは残念だけど、知的で冷静な雰囲気がタマリマセン。
めっちゃプライド高そう。
<カイけむる>
類人猿のように背を丸め、足を引き摺って歩く。
目はぎょろぎょろと見開き、口からは絶えずヨダレが滴り落ちる。
異形感の強い、まさに「怪物」。
<ウンテアンリ>
美しくノーブルなアンリ。美声が響き渡る。
<ウンテけむる>
美しく格好いい怪物。神々しさがある。
プレビューの4公演を観た中での感想です。
ビクターとアンリの組み合わせによって色々とキャラクターが変わってきたりもしますので、二人のケミストリーが今から楽しみです!
続きまして、再演版からの変更点について。
1)1幕序盤のジュリアのソロと2幕冒頭のビクターとジュリアの結婚式(および二人のデュエット)が復活。(これは日本版も同じ)
2)「私はなぜ」を筆頭に、いくつかのナンバーで歌詞が変更されたり、短縮されたりというマイナーチェンジ多々あり。
3)少年ビクターが転倒するシーンが1回増えて計3回に。子役さんたちも、身体はってて大変ですよね・・。
4)2幕終盤のナンバーの順序入れ替え。(シーンの順序の入れ替え)
こんなところでしょうか。
私にとって最も重要な変更点となったのが、2幕終盤のシーンの順序入れ替えです。
再演版で自分なりに解釈したことが三演版では通用しない部分もあり、改めて色々と解釈を考える必要に迫られました。
ざっくりと言うと、怪物による復讐劇の意味合いが強まって、全体的にダークな色彩になったのではないかと思います。
具体的に、どこがどう変わったのかをご説明しますね。
<三演版の流れ>
その日に私が → 傷 → 絶望 → ジュリアの死 → 後悔 → 北極
<再演版の流れ>
その日に私が → 絶望 → ジュリアの死 → 後悔 → 傷 → 北極
「傷」のシーンが「絶望」の前に挿入されたことがわかります。
全体的に初演版に戻った印象の三演版ですが、この順序は初演版とも異なっています。
参考のために、初演版も記載しておきますね。
<初演版の流れ>
その日に私が → 絶望 → 後悔 → 傷 → ジュリアの死 → 北極
今回の三演版の流れ。
私は、「傷」の前後の繋がりにとても興味を引かれました。
三演版のシナリオの醍醐味は、ここにあるのではないかと思ったのです。
「その日に私が」は、ビクターの少年時代の回想シーンです。
しかしこのシーンは子役ではなく大人のビクターが演じており、過去と現在の交錯が見られています。
エレンが去った後、ビクターはくずおれるようにして泣き続け、場面転換となります。
次が「傷」のシーンですが、ビクターの泣き声は少年の泣き声へと引き継がれていきます。
そして少年は、「少年ビクター」の衣裳に似た衣裳を着ています。
(補足訂正:スーツ姿で、生地の感じも少年ビクターが着ていたものに似て見えたので、同じものだと私は思い込んでいたのですが、少し違う衣裳だったというご指摘を頂きました。「同じ衣裳」ではなく「似た衣裳」に訂正させて頂きました。2018.6.29)
「傷」のシーンの解釈については幅広い解釈が可能だと思いますが、三演版では「この少年は少年時代のビクターなのだ」という事を、少し押し出してきたように個人的には感じました。
怪物は少年を湖に突き落とした後「くろじま(そうはならないで)」とつぶやきます。
三演版、私はこの「くろじま」が少し独立した響きに聞こえたんですよね・・。
「大人になって人間のふりをしないで」ではなく「大人になって呪われた道を歩まないで」という意味に聞こえたんです。
で、舞台は実験室に移るのですが、ここで怪物は実験装置を破壊しているんですよね・・。
その行為には「生命創造・死者蘇生という呪われた道を再び歩ませない」という強い決意があるように私には思えました。
となると、怪物にはビクターを「救済」しようとする意志があるようにも見えるのですが・・。
ところが、この後、怪物はジュリアを殺害します。
そこには強い「復讐」の念を感じます。
この愛憎入り乱れる情念、救済と復讐の混在。
ダークで残酷でうねるような感情の入り混じる哀しい物語が、三演版の特徴なのではないかと感じた次第です。
ここまでは総論的に三演版のシナリオの解釈を語ってきましたが、「フランケンシュタイン」は演じる役者さんや組み合わせで印象が大きく異なるのが特徴。
今回も色々と違う印象の4公演でしたので、それらの個々の舞台については各論として語っていきたいと思います!
それにしても、「フランケンシュタイン」って、どうしてこんなに語りたくなるんでしょう?
私のオタク魂に火をつける何かがあるんですね、きっとwww