「ママ」の一言。 | 鎌倉 ロミロミ me ke aloha

鎌倉 ロミロミ me ke aloha

鎌倉小町でロミロミをしています。ロミロミは不思議な施術。どんどん生き方も良くなって行く!。精神世界と猫とコーヒーが好き♫




昨日は母の日!。熱海のローズガーデンはバラが満開!🌹



ALOHA!


週末は、近藤家(私と姉)の誕生日が3月と4月だったので、まとめてお誕生会をしよう!となり、血族…で熱海に行ってきました。


息子も含め、3世代が揃いました。


私の姉というのは、昔は勉強が出来てピアノも上手で字も綺麗で、絵に描いたような良い子でした。教科書を一度読むだけで全部暗記できる脳を持ってるのです。


しかし!!頭の良い人というのはどこかで悟るのか、、早々に頑張ることの馬鹿馬鹿しさに気付いて、

「楽!」is ナンバー1❗️という哲学に到達し、

何もしないことこそ人生の喜び…つまり、求め過ぎなければ恒常的な平穏を保てる、という生き方に到達しました。


人は、特別幸せになる必要はなく、不幸でなければそれでいい!という中庸を生きる生き方ですね。


そんな姉ですが、記憶力がいいことと、物事をそのまま受け取る性質が重なり、子どもの頃、母に言われた一言や、母にされた←(こっちは悪気ゼロ)こともかなり記憶に残ってしまう様で、いまだに「あの時こう言ったじゃん!!」、「こうされた!」と、思い出しては頭に来ている様子でした。


私と違って、何でそう言うのだろう??と、考えるより、額面通りに脳にインプットするタイプ。


私から見ると、姉みたいなタイプは単なるマザコンで、子供の頃はお母さんに認めてもらうことが使命というか、仕事というか、本人の喜びにもなってる感じ。


そして母も素直な姉に、言えば何でも言う通りにするし、成績も良いから、自分の指導は完璧!と思わせてくれる姉の存在にゾッコン!命ラブ♡でした。


ラブ


私は私で末っ子なので、それなりに大切に育てられましたが、母が私に何か言っても、


「何でそう思うの?」

「そんなことがあんたの幸せなんだ、ヘェ〜、アホクサ…」

と、生まれた時から反抗期で言い返してばかりだったので、その度に

「可愛く無いわね!」「素直じゃ無い!」と罵倒されてましたが、「可愛くねぇとか上等じゃねーか!!親に可愛いがられても何の得もねーしっ‼︎‼︎」と常に言い返し、家族から「変わり者」とされてました。


しかしその見返りとして、私の行動や進路決断に対しては全て自由に私に権限を持たせてくれました。

「なおちゃんには何を言ってもムダだから…」と。


それを見ている姉は、「ママは、なおばかり自由にさせてる」と、私の方が可愛がられていると思い込んでいたかも知れません。いやいや、単なる放置!なので(⌒-⌒; )。。



この様に、親の一言というのは、子どもにとって確かに重い存在かも知れない。

だから親は、その子どものタイプを見て、言うことや言い方に気をつけないと、素直な子どもはある意味親に洗脳されてしまう。


親の一言というのは、ある意味子どもに暗示をかけてしまう魔法なのだ。


「あなたはこういうタイプだから、こういう仕事が合ってるかもね…」とか、←こーゆー親最悪(≧∀≦)キャー


基本、子どもというのは親を喜ばせたいものなのだ。だから親の何気ない一言は、その子がその、「こういう仕事」という超安定の(一生やるには)つまらない仕事に着かせる為の資格が取れる学校に行かせてしまったり、実はその子にはもっと、超絶スゲー〜〜‼︎才能が他にもあるのに、親を安心させたいがために小さな安全パイを掴んで、子本人ではなく親が満足する様に育って行く…


という、お母さんを幼稚園や小学校のママ友の中の半数以上に見てきた。

例えば母親(女性)というのは割と単純なので、単なる子どもの趣味を「職業」にしてあげようとする。


好きなことを仕事にすれば幸せでしょ…という単純な思考。

趣味とは、趣味だからこそ!崇高なのではないか。



自然の力学を知らないと、親の能力という古く小さなスケールの中に子どもを閉じ込めてしまう。



子どもの才能とは、親の世界観やスケールの外側に存在する。何故なら一緒に生きいても、彼らの人生は、私たちとはまず、時空が違うのだ。


もっとわかり易く言えば教育の外側や、

成功ではなく失敗から芽吹く種や、そこから這い上がる時に伸びる枝葉こそが才能だから、

ある意味親が子どもの教育に関わりすぎると、大人が作った教育ランドという古く小さな枠に逆に子どもを閉じ込めてしまい、案外「普通」の領域から出られない普通の大人に育っていきます。


しかし、親達も潜在意識的には子どもの幸せよりも平均や普通であることを求めているので夢は叶っていると言えるでしょう。決して普通が悪い訳では無いが、親は自分の子どもは他とは違い、特別‼︎だと思っている割に…という話です。特別というのは、普通では無いことなので、収入は普通または普通以上でありながら特別な職業で子どもに目立って欲しい…というのは確率としてかなり低いから、その夢の根拠は不明です。



そう考えると、親が子どもにするべきことなど殆どなく、子どもそのものをいじくるのではなく、まず自分が幸せになり人生のお手本を見せることが一番大事だと私は思います。


余談だが…高価な家や車等、「物」なんかにお金を使うより、子どもが行きたい!やりたい!と言い出したらすぐに行かせて&やらせてあげられる現金、とにかくいつでも動かせるお金‼︎がある程度いつもあることと、それとは別に、1人あたり18歳までに700万円程貯めることと(大学や専門学校に限らず、子どもが自分の為に使える資金)


とにかく常に美味い飯!を食ぜさせ丈夫な身体という資本を作ってやることが親の仕事だと悟りました。


結局それが一番の愛❤️といつか理解されるのです。




「この子達が大人になる頃には、私たちのまだ知らない仕事が沢山増えてる筈。冗談でも将来の子どもの職業や自分が感じただけのその子の性格や特質なんかを決めつけて言葉にしてしまったら、子どもは言葉の暗示にかかり、逆に可能性を小さくしてるの、わかんないのかな??」と思ってた。


母が私に「素直じゃ無い!」と言った言葉も、私は素直じゃ無いんだとしばらくは思っていた。


しかし、親の言うことに疑問を持ち、「それは違う!」と言い返す私は、誰よりも自分の心に従い素直そのものじゃないか!と、ある日気付いた。

親というのも所詮未熟な人間だから、神では無いのだから仕方のない存在なのだ…と悟った頃、

自分は親を超えてしまい、彼らは、人格が形成された時代背景や日本の教育の犠牲者であるとわかって来たのです。だって、「天皇陛下万歳‼︎」の教育を受けた人たちですよ。軍隊教育しか知らないのです。


そこで、私と息子との間にも、「時空」という時代背景の違いが存在すると自覚すると、実は人と人は、「今」という瞬間しか共有出来ていないことを発見出来たのだ。だから、息子の未来について違う時空を生きてる私が何かをアドバイスするなんて滅相も無いし、お門違いも良いところ…な訳なのです。




だからさ、そういうのが分からない親だと、親自身もも子も結局混乱して大変なんだよな〜〜〜って、思うんだよね〜〜〜…、と、


バカみたいな写真を撮ってる息子に言うと、



息子「そんなものはねえ、それに言い返せない子どもが悪いんだ!」


と言った。


わたし「まぁ、それも一理あるか」。。。


息子「親が何を言っても言い返せないなら、そいつはそれまでなんだ!!後からグチグチ言ってもその時の決着が事実になるからね」


わたし「確かに!なるほど、その時の決着かぁ。

いいこと言うね〜👍」と言うと、



息子「それはママが言った!」


と。


えっ???わたしそんなこと言ったっけ???

(とうとうボケ始めた???)



息子「言った!!」。


それをその場で言い返さないのはね、その場で、言われた通りだと認めることになる。それを後から愚痴ると、言った本人より愚痴ってる人の方が人格が下だとオレは思う。

〇〇も、〇〇も、みんなそうなんだ!!

だからいまだに童貞なんだよ!!  (←そこ関係あるのか?!)


…ということらしい。



我ながら素晴らしいことを言っていたではないか!!👏



そっか、いつ息子に言ったのかは覚えて無いが、

自分の考えを持ち、相手に伝える能力というのは、自分を大切にする為の能力ですね。。。



久しぶりに親子3代で集まったが、

どの道、無意識に言っている「お母さんの一言」というのは、子どもの脳に🧠焼きつきます。


これまで、わたしも我が家でアホみたいなことも散々口走って来たが、息子には、

病気と犯罪者にだけはなるな、という条件さえ守ってくれれば、どう生きても、あとは任せた!!

と思ってます。



母の日だと息子にアピったけど、

プレゼントも何も無し(^◇^;)。。


もういい加減諦めればいいのに、いまだ母から無二の愛情をもらっていない!と、どこかちょっぴり不満を抱えて生きてる頭の良いはずの姉。


「最近ちょっとボケてるかも!!」と、笑って話し、まぁ自覚あるだけ良いかな…と、まだまだ元気な母。



だからってミニーマウスのTシャツ↑はどうなんだろう…??🎀と謎ですが、


良い熱海旅行ができました♨️




me ke aloha!ニコニコ花束